07.疑問

「さあさあ、紫陽しはるちゃんはこっちに来て、ちょーっとお話ししましょう?」


 手を取ってカウンターに誘導される。それを視線で追っている飛燕の隣に座れば、ジーナさんはちょっと口を尖らせてそれからにっこりと笑った。


「やっぱり一人暮らしになると荒れ気味になっちゃうわね。ハンドマッサージしましょ! サービスしとく! 飲み物もつけるわよ?」

「過剰なサービスには裏があると思ってくださいね」


 冷ややかな飛燕の言葉に、ジーナさんはぶぅっとむくれた。


「真面目だけど、面白くない子ね? 去年出た最新式かな。紫苑さん、いいもの与えてるけど、紫陽ちゃんならもう少し面白く教育できると思うんだけどなぁ。これからかしら」

「面白くって……どういう風にですか?」

「主人一筋に仕込むとかぁ。あ、あれ楽しそうよ? 騎士モード? お遊びアプリだけど、じわっと流行ってるんだから」


 口を動かしながらアイスティーを淹れて、ハンドマッサージの準備もしてる。自分も座り直した飛燕が、真面目な顔でこちらを向いた。


「入れますか?」

「え? ううん。今のままでいい」


 コクリと頷くとまた前に向き直る。


「安藤ちゃんなら、そこで冗談のひとつでも挟んだものねー。あ、他意はないわよ? 感傷よ。感傷。それで、どこでアマタツと知り合ったの? 全然接点が見えないんだけど」


 手を取られ、クリームを乗せられ、綺麗な長い指が私の手を包む。


「映画を見た帰りに、自販機で。前後に並んでたようで、私の買ったお水が最後だったから、後ろですごく残念そうにしてたので……」

「ああ。そういうこと。アマタツも二次元一筋だったからお祝いしたい気持ちもあるけど……因果ねぇ」

「ジーナさんはそのアニメ見てるんですか?」

「見てる見てる。十分くらいのショートショートでくっだらないんだけど、たまにごりっごりのシュールなギャグ混ぜてくるから癖になって。絵柄は猫耳の可愛い二頭身キャラがいっぱい出てくるから、そのギャップも好きっていう人も多いわよ?」


 指先から手のひら、最後に肘の辺りまで丁寧にマッサージされて手がポカポカしてくる。

 当たり前のように次は反対の手だ。


「世の中は偏見に満ちてるからねぇ。アマタツだって日常は普通の顔してるのよ? ここで存分に愛を叫べるようになって、ストレス発散できるようになったら仕事も回りだしたタイプ。趣味にケチつけないいいライバルができたかと思ったら、敵性企業だと教えられてきたとこの人間で、見えるものがずいぶん変わったって」

「ずいぶん推すんですね?」

「んふ。だぁって、教えれば教えるだけ目の前で変わっていくのよ? 楽しいじゃない。うちの服も似合ってるでしょ? 磨きがいあったわー」


 横山さんと同じようなこと言ってる。やっぱり、姉弟なんだろうか。

 左手もポカポカしてきたところで、ふとジーナさんの手が止まる。


「あ、でもね、気をつけて? 紫陽ちゃん。彼、三次元耐性全然ないから、に触れてきたら、ガツンと目を覚まさせるのよ?」

「え? ひゃ……っ」


 今まで触れていた指が、突然別の生き物になったかと思った。温かく心地いい圧力ではなく、絡みついて内側を探るような感覚に腰の辺りがぞくりと粟立つ。思わず腕を引っ込めれば、ジーナさんは意地悪い笑顔を浮かべながらもう一度手を差し出した。


「わかった? 忘れないのよ? ワタシみたいに簡単に離してくれないから、ガツンとよ? 深い仲になりたいなら……まあ、止めないケド。ほらほらもうしないから、最後の仕上げ、させて?」


 おそるおそる手を出せば、ちゃんと最初の心地いいマッサージで締めてくれた。

 お終いって離れていくネイルを見送る。


「ジーナさん……あの。弟さん……」

「んー?」

「ジーナさんの、弟さんって」

「弟?」


 きょとんとして、少しだけ考え込むと、彼女は「ああ」と笑った。

 軽く店内を見渡して、口元に薄く笑みを乗せる。その顔は、確かに彼に似ていた。


「そういうんでも、いいかなぁ」


 彼女の綺麗な指が、私の唇にそっと添えられる。


「紫陽ちゃん。ワタシと付き合う時のルール。ジーナじゃないワタシのことは発言禁止。どうしても聞きたいことは、完全に二人きりのところでお願い」

「あっ。ハイ」

「うん。素直でよろしい。さっきの質問のお返事は、温泉で機会があったら教えてあげる」

「あの、じゃあ、冨士さんは。彼、ジーナさんのこと知らないんですか? ジーナさんは……」

「ん、ふふ。会ったことはなかったわねぇ。私は知ってるけど。データ上はね? 今はアマタツのとこにいるし。なかなか鋭い紫陽ちゃんにおまけの情報。冨士くんはさっき初めてこの店に足を踏み入れました」

「え? えと、そう、なんですか」

「そうなの。サービスはここまでね?」


 同じ部署でもなく、リモートも多い職なら同じ会社でも顔を合わせたことが無くて当然……なのだろう。

 冨士さんはジーナさんと初対面みたいだった。『情報屋』のジーナさんは普段の顔を隠して、人前に出る時はいつも違う格好をしているようだし、今日だって、前に会った時とは全然違うし……そもそも店にいるとは限らないみたいだし。冨士さんがランチに来たのは、偶然?

 何かが引っかかってて、でもよくわからなくて、安藤の意見も聞こうと端末を取り出した。


「マッサージ、ありがとうございました。お会計、お願いします」

「はぁい。じゃ、なかった。紫陽ちゃんの分はいただいてるから大丈夫よ。いつでもまた来て? 必要な情報があれば、別料金だけどお役に立てるわよ。会員登録したいから、それ用のIDちょうだい? 夜は、まだお勧めしないけど、デザート系も力入れてるからお茶だけでも」


 頷きながら端末を操作して、差し出された手のひらサイズの読み取り機に画面をかざす。シャランと硬質な電子音に、ふとランチを食べていた席を振り返った。もう片付けられていて、そこには何もないけれど。

 ジーナさんを仰ぎ見れば、彼女は意味ありげに目を細めて「ありがとうございました」と店員の顔で言った。


 冨士さんは、なんで現金で払ったんだろう?




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