06.提案
「え……なんで? どうして、ここに……」
うろたえる天野さんの手を私から離させると、冨士さんは彼を押しやるようにして隣に腰掛けた。
「こっちのセリフだが? にこにゃんの発売日じゃなかったのか? お前の担当の分まで営業に回ってる俺が昼を食べに来ちゃいけない理由でも?」
「ご注文は?」
いつのまにかテーブルの脇に立っていたジーナさんが流れるようにお水とおしぼりを置いて、にっこりと笑う。
「同じものを」
「かしこまりました」
プレートを指した指先を見ていて、はたと気付く。
「あ。冨士さん、お久しぶりです。あの、あの時はお茶、ありがとうございました」
少しだけ眉間に皺を寄せると、彼は「別に」と視線を伏せた。
「礼なんていらないし、あの場のことも忘れてもらっていい……気付いてないかと思ったが、そんなにぼんくらじゃなかったんだな」
「冨士君! そんな言い方! それに、なんであの時教えてくれなかったんだよ? そうすればもっと早く礼ができたのに……」
「だから、話はそんなに簡単じゃないって言ってるだろ? お前が思ってるのの百倍は両社の仲は拗れてるんだよ。もっと言えば、従兄妹同士なんて隙を見せれば足を引っかけ合う対象だろ」
「なんでだよ!
冨士さんはちらと飛燕に視線を向けてから、私を見た。
「そう言ってるだけかもしれない。孫たちの中で正式に相続の品をもらったのは彼女だけだ」
「ひねくれてるなぁ……」
「身内なんて、一番信用ならない」
冨士さんの言うことも理解できてしまうから、私は苦笑を浮かべるしかできなかった。
もうひとつプレートが運ばれてきて、冨士さんは黙々と食べ進める。姿勢もお箸の使い方もとても綺麗で、黙っていればそんなにきつい言葉を吐く人には見えない。
あんまり話したこともないけど、子供の頃の印象でも、「おとなしい子」という感じで、きついイメージはないんだけどな。やっぱり、その立場は大変なものがあるんだろう。
「冷めるぞ」
ぼそりと落とされた言葉にハッとして、私たちはとりあえず食事を終わらせた。
先に箸をおいた冨士さんが天野さんを見据えて言う。
「もしもあの光景を久我の名を持つ者が見たら、間違いなく「水一本で買収した」と言われる。どちらにも不愉快な話だろう? その後でこんな密会がバレてみろ。お前が潰されるくらいならまだいい」
「いいのかよ」
「会社ごと更地にされてからじゃ遅いからな。軽々しいことを口にするな」
「なぁ、それも久我への偏見入ってないか?」
「だといいな。ちなみに、崋山院が同じようなことをされた時の顛末を元に俺は話してる」
ドン引きしてる天野さんを置いて立ち上がった冨士さんの前に、すらりとした長身が立ちはだかった。
「ねぇ、それは相手が久我だったから?」
冨士さんを覗き込むようにして近づいた顔に、彼は少しのけぞった。その肩を押して距離を取ってから答える。
「そうだ。他の企業だったらこちらの問題だと担当者の左遷くらいで済むものも、久我が絡むととたんにムキになる。向こうだって同じだ」
「でも、それならちょっと怪しく見せかければ、勝手に自社の協力会社潰してくれて儲けものになるんじゃない?」
ストーンの並んだ白いネイルを顎の横に当てながら、その首はコケティッシュに傾げられる。
「ノウハウは吸い上げてるんだ。いくらでも新しく作って首を挿げ替えればいい。傘下に入りたがるところだっていくらでもある」
「でも、それって本気で仲良くしたい人たちにとっては迷惑な話よね?」
冨士さんは眉をひそめてちらりと私たちを振り返った。
「本気なら、可愛いうちの常連さんだもの。ワタシ、協力を惜しまないわ」
「なに……」
「ちょうどゴールデンウィークに小さな温泉貸し切りで社員旅行計画してるの。ほらほら。裸の付き合いで、腹を割って話したり、仲を深めたりするの、いいと思わない? ね? 友達思いの、ボ・ク」
唇にトントンと突き付けられた指先を勢いよくはらって「お会計」と冷めた声がする。
唐突に、天野さんが立ち上がった。
「行こう! こんな機会でもなきゃ、お前とプライベートな旅行なんて行けない」
「何言ってんだ。そういう見通しの甘さが」
「けってーい!!」
「は?」
「大丈夫よ。二泊三日、シークレットトラベルだから一泊目はそれぞれバラバラの場所に泊まってもらうし、肝心の温泉は崋山院も久我も手を付けてないトコだから。ちょっと調べたくらいじゃ疑われないようにしておく。電子チケット送るから、捨てIDでもいいからちょーだい? 会員限定の抽選に当たったことにするから」
「行かないぞ」
「えー。そう言わずに。楽しもう? ね? 紫陽ちゃん!」
「えっ?!」
ぎゅっと飛びつかれて、飛燕が立ち上がった。目の端でそれを捉えて、ジーナさんはパッと離れていく。
「三人分、責任をもって準備するわ」
「え。あの、でも」
「混浴とか言わないから大丈夫! 紫陽ちゃんにはお詫びの気持ちもちょっとだけこめて、ね?」
小首を傾げてウィンクされたけど、お詫びって、心当たりがない。関連して思いつくのは横山さんのことだけど……それも、訊くいい機会だろうか。
「飛燕も連れていっていいんですよね?」
「もちろん。ワタシはあくまでも主催者として接するわ。それでどうかしら? ボディガードさん?」
飛燕は特に表情を変えずに私を向いた。
「行ってもいい、かな?」
正直、旅行も久しぶりだった。星へは何度か行ったけど、旅行というよりは出張という感じが近いんじゃないかと思う。毎回慌ただしくて、本当はもう少しゆっくり滞在したいのだけど、ツバメに帰れと言われるし……
一般のツアー旅行に参加するよりよっぽど安全な気がする。
飛燕はほとんどわからないくらい眉間に皺を刻んで目を閉じる。
「……紫陽様のお気の向くままに」
「うわ。じゃぁ、もう一度会えるってこと?」
「龍臣!!」
「いいだろ。そのくらい。偶然会うくらい。冨士君が嫌なら仕方ないけど、俺が一人旅するのは、勝手だよな?」
ぐっと一瞬言葉を飲んで、冨士さんは財布を取り出した。テーブルの上にお札とQRコードのついたカードを叩きつけて、天野さんの腕を掴んだかと思うと、有無を言わさず引きずるようにして行ってしまう。
ふふ、とジーナさんが小さく楽しそうに笑った。
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