05.下心

「ちょっと、あれどうなの? ボディガードとしては」

「お付き合いされるというならともかく、これきりなら逆に安心かと」


 聞えよがしな会話に、天野さんが慌てた。


「なんだよ、もう! 冨士君の知り合いだっていうから、背景鑑みてわざと情報シャットアウトしたんだよ! 余計な先入観持ちたくなかったの!! あんまり考えたくないから、怖いこと言わないでよ」

紫陽しはるちゃんの方が大人に見えるわねぇ。まぁまぁ、惚れた弱みは仕方ないものね。はい。お待たせ。ランチセットふたつ」

「余計なことも言わなくていいんだけど」


 お野菜たっぷり使ったワンプレートは、見た目も華やかでお洒落だ。

 頬を赤くしてる天野さんに私も少し照れながらお箸を持つ。本当に、知らずに好意を向けてくれたのなら、嬉しい、かもしれない。


「あの、お水一本で、何故?」


 天野さんは少し身を乗り出した。


「あの水、今いくらで取引されてるか知ってますか?」

「え? いいえ」

「会場限定、数量限定。紫陽さんが譲ってくれたラベルのデザインは他のデザインの半分ほどの数しか入っていないレアものだったんです。マニアの間では一万円出しても惜しくないって」

「……へぇ」

「お返しした方がいいですか? 開けてないので、もし、惜しいと思うなら……」

「あ、いいえ。全然。好きな方が持っているのがいいんじゃないでしょうか」


 天野さんはほっと肩の力を抜いてにこにこと嬉しそうに笑う。


「ほら。アニメも世界で認められるものから、くだらないと一刀両断されるものまで幅が広くて、そういうの見てるってだけで舐められたり蔑まれたり、やっぱりあるんだよね。特に、あの時見に行ったの、原作は結構碌でもなくて。そのくだらなさもいいんだけど、パンフ持ってたら「キショッ」って捨て台詞吐かれたりもしてて……でも映画は意外と深かったりもするんだけどね? 水売切れの表示見て、オタク丸出しにしてた俺に、押しつけがましくもなく笑顔で譲れるのは、素敵だなと、後から、なんだかじわじわと……そう思ったら、もうあのラベルを見てもキャラじゃなく紫陽さんの顔しか浮かばなくて……っ……す、すいません。気持ち悪い、感じ、ですね……」


 話しながらつつかれて崩されたサラダの山を勢いよく頬張り始める。

 しばらく勢いのまま食べ続けて、飲み物でいったん落ち着けると、彼はさっぱりした笑顔を作った。


「だから、別に、紫陽さんが「誰か」なんてのは俺もどうでもいいんです。こうして一緒にランチ食べてもらえただけで。確かに、友達くらいにはなってくれないかなとか下心も無いわけではないけど……なんか、難しそうだし?」


 飛燕とジーナさんに視線を投げて、溜息をこぼす。


「それで、俺は図々しくも軽々しく声をかけたのか……答え、教えてくれる?」

「ず、図々しくはないんですよ? 私の後ろが面倒臭いだけで……私自身は全然。えっと、昨年、崋山院ユリが亡くなったのはご存じですよね?」


 ごくりと、彼の喉が鳴った。遠慮がちに首が縦に振られる。


「その、遺産相続の騒動は……」


 箸が一本彼の手から滑り落ちて、カランと乾いた音を立てた。


「崋山院、紫陽……あー……」

「なので、その、こう言うのは大変おこがましいんですけど……たぶん、周囲に知られると面倒くさいことが色々……」


 以前からの親しい友人でさえ、あることないこと噂されてる。

 飛燕が傍で色々教えてくれるようになって、私も段々わかってきて崋山院内での立ち回りはだいぶ上手くなったけど、久我の息のかかった企業の跡取りと、なんて絶対噂の方が先行する。私の手に負える気がしない。

 天野さんも呆けた顔のまま、何度か首を上下させた。

 口元を片手で覆って呼吸も忘れたような顔を見て、ジーナさんがお水を足しに来てくれる。


「……どうして来てくれたの……」

「冨士さんと仲良さそうだったし、裏がなさそうだったから、かな」

「冨士君にずいぶん信頼を寄せてるんだね」

「ううん。逆。全然知らないんです。私は跡取りレースからは外れているから、従兄達は誰も相手にしてくれてなくて。でも今はレースが有利になる駒のひとつになっちゃいましたから。自分がただの駒でいないためにも、彼らのことやライバルのことは知らなくちゃいけないでしょう?」

「レースには参加しないのに?」

「ただ使われるなんて嫌じゃないですか。私、お婆ちゃんの星をそのまま守るって決めたから」

「お婆ちゃんの、星……」


 コクリと頷く私を、しばらくじっと見てから、天野さんはふっと口元を緩めた。


「それって全方位に宣戦布告してるみたいだね」

「そうかもしれません」

「崋山院の跡取りも敵に回すの?」

「状況次第では」

「味方は……欲しいよね?」

「もちろん。私の知らなかった親戚や子会社の何人かも協力を申し出てくれました……けど」

「……けど?」

「現社長の伯母様とたもとを分かつことになっても躊躇しないでいられるかを問うたら、残るものはありませんでした」


 天野さんがぶるりと微かに震える。

 入店の電子音が鳴った。お客が増えるなら、そろそろこの話は切り上げなければ。


「当然ですよね。父はともかく、私には何もない。ですから、今は……」

「藁にも縋る……いや。違うな。まだ派手には動けない。でも、可能性を探してる。今じゃなくてもいい。味方になりそうな人脈を――」


 天野さんが身を乗り出して私の左手を取った瞬間、その手をさらに上から掴むスーツの袖が伸びてきた。


「調子に乗るな。口で言うほど簡単じゃない」

「っ……! 冨士、君」


 見上げれば、黒縁眼鏡の奥から鋭い目が私たちを見下ろしていた。




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