02.切札

「え? な、なに?」

「揚羽様は彼をご存じありませんか?」

「冨士君? 私が知ってるのは四つくらいまでだし、それこそ交流は……」

「いえ。もう一方ひとかたのほうです」

「え? ……知らない、と、思う」


 少し眉を寄せながら、揚羽さんは記憶を探りつつそう言った。


「では、天龍社という企業を聞いたことは」

「あっ。それは、あるかも。久我の傍系も傍系でかなり関係は薄いのだけど、その分隠れ蓑として色々使われてたり……って、え?」

「おそらく関係者ですね。社員なのか、どなたかのご家族なのか……写真が数枚しかヒットしないので、ちょっと、それ以上はもう少し時間がかかりそうですが」

「どういうこと? 何か、まずいの?」

「表面上は特に。冨士様が研修に入っておられる会社ですから」


 さらりと言われて余計混乱する。


「……え? 久我の系列に?」

「系列ではないのよ。でも、息がかかっている、っていうのか、縄張りの中にあるっていうのか……」

「崋山院にもありますよ。平時にはニュートラルにしておいて、何かあった時には協力を取り付けるというような。なので、腹の探り合いをする感覚で若い人を研修名目で送り込むことがあるのですよ。あわよくば寝返らせることもできますし」

「別のところだけど、私と紫苑さんが出会ったのもそういうところのひとつだし……」

「えっ? そうなの?」


 二人の話も気になるけど、なんだかちょっと不穏な言い回しをする飛燕にソワソワする。


「お二人のように垣根を越えて交流されているのなら、いいのですが」

「紫苑さんはずっと隠してたから、越えてたわけじゃないのよ? 知っていたら、こうはなってないのだから」


 久我と崋山院の間の溝は深く長い。

 それでも、揚羽さんは崋山院直系の父さんと心を通わせることができたのだから、しがらみの薄い傍系企業で働く者同士が友情を育むくらいは……できる、はずよね?

 楽観的なことを考えていた私の表情を読んだのか、飛燕はこちらを見て逡巡した。揚羽さんが苦笑する。


「本人同士はいいのよ。騙し騙されても覚悟の上だから。でも、立場によっては、必ず背後に控えたものの影響を受けざるを得ないから……とはいえ、彼らはそんなこと最初から分かっているはずだし、短くとも本音で語り合える時間が持てているのは、いいことなんじゃないかな。仲、良さそうだったわよね?」

「カスミ様や蓮様に簡潔に報告してもいい案件ですが」


 どうします? と問われて焦る。


「え? 報告……? そんな、大それたこと?」

「もちろん、皆様承知の上かもしれませんので妙な憶測は省きますが、冨士様は跡取りレースの一員ですので、あちこちから情報は集まります。外野から見た客観的な印象は意外と丁寧に扱われますよ。紫陽様は棄権者認定されていますが、彼らには美味しい駒のひとつであることも確かですし」


 お婆ちゃんの星をそのまま残すというのは、本当に厄介なんだなとため息が出る。言動一つ一つにも意味がついてしまうということなのだろう。

 揚羽さんもも丁寧に説明してくれているということは、これも講義みたいなものなのだ。両社の不仲を上辺でしか知らない、未熟な私への。

 吐き出したため息をもう一度吸い込む。


「私は、彼が冨士さんだと気づきませんでした……そういうことでも、いい?」


 飛燕の薄い唇がゆるく弧を描く。


「いいですよ。情報も足りませんからね。状況を見て、切り札に使おうというのも悪くはありません」


 切り札とか、あんまりそういうつもりはないのだけど!

 胃が痛くなるような気がする。

 私はパンフレットに視線を落として、無理やり綺麗な庭を思い出すことにした。



 ☆



 新学年での講義も始まり、そんなことも日々の忙しさに紛れてしまった頃、思いがけない再会が待っていた。

 父さんが懇意にしている建築家の中川さんからチケットをもらったので『建築アート展』に足を運んだ時のこと。機能性を盛り込んだデザインや、猫愛たっぷりのご自宅。ただただ奇抜な物。写真やVRでの紹介に小型模型の展示もある見ごたえのあるイベントだった。


「中川さんのデザインはどこかに必ず温かみがあって私も好きだな」


 父さんが懇意にしているというのが解る。


「ネコロンに振り回されるのが玉に瑕ですが、些細なこと、なんでしょうね」


 写真集やモニュメントを模したキーホルダーなど物販を眺めながら飛燕と何気ない会話をしていると、隣で豪快に写真集の見本を落とす人がいた。拾う気配がないのを不思議に思いながら屈んでそれを拾い上げる。見ていた彼に渡した方がいいのか、ディスプレイされていたように戻すのがいいのか……

 小さな迷いのその隙に、写真集を持った腕を掴まれた。


「え?」

「こんなところで会えるなんて……」


 ずい、と寄った身体は次の瞬間に飛燕に遮られた。


「それ以上は」


 温度のない声に、相手が怯むのが解る。けれど、すぐに彼は居住まいを直して飛燕に向き直った。


「申し訳ない。少々焦ってしまった。貴殿のあるじのお時間を少しいただきたいのだが。どうしても、礼がしたい」


 礼? そう言われて、確認するように振り返った飛燕の陰からその人の顔を覗き見る。

 興奮でか、少し朱の散った顔は見覚えがあるようなないような。きちんと整えられた髪は全体的に右へと流されていて、ワイシャツも濃いグレーの三つ揃えもビシッと隙が無い。


「どこかで、お会いしましたか?」

「……水をっ……」


 言って、彼は少し頬の朱を濃くした。一瞬の間に周囲を確認する視線がそれ以上の説明は困難だと告げたようだった。そして、それで私も思い出した。あの日はラフな格好だったし、眼鏡をかけていたからだいぶ印象が違う。見違えたかもしれない。


「場所を、変えましょうか」


 苦笑して頭を下げながら写真集を戻せば、彼も慌てて頭を下げる。「いいんですよ。坊ちゃん」そう聞こえたのは、間違いじゃないだろう。


「すまない。後で、また」


 ブースの人に言い置いて、彼は身をひるがえした。




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