閑話:二月

※ バレンタインSSとして書いたものです



「……は?」


 ソファの上で寝ていたツバメは、少し肩を揺すっただけで飛び起きた。

 それでもまだ寝ぼけていて、半分しか開いていない目は焦点が定かじゃない。朝早くから作業して、昼過ぎたこの時間はひと眠り。午後三時くらいからまた作業を開始するのだと、安藤は教えてくれた。

 何度かブザーを鳴らしても出てきてくれなかったので、鍵がかかってないのをいいことに勝手に上がり込んでしまった。ちょっと急いでるから、仕方ないよね?


「驚かせてごめんなさい。どうしても、今日中に渡したくて」

「は? ……お嬢、さん?」

「連絡は、飛燕ひえんがしてくれたと思うんだけど……?」


 目をこすりながら、まだ事態を把握していない様子に首を傾げて、視線でアンドゥを探す。

 姿が見えないのは、わざとなのかな。


「もう。時間ないのに。とりあえず、包丁借りるね?」


 慌ただしくキッチンから包丁を借りてくると、火の点かない煙草を咥えてゆらゆら揺らしながら、ツバメが渋い顔でこちらを見ていた。


「飛燕がなんだって? あいつはどこにいるんだよ?」

宇宙船ふねで待ってる。すぐ戻らなきゃいけないの」


 言いながら、テーブルに置いてあった箱を開けて、中身を切り分ける。

 ツバメはようやくそれに気付いたようだった。

 一欠片を紙皿に乗せて横にどけておく。残りを全部ツバメの方へと押しやった。


「甘いもの……嫌い? 一応、ブランデーも入ってるけど……」


 ツバメは渋い顔のままだ。起こされて不機嫌なのか、甘いものが嫌いだったのか、判断が付かなくて無理に来たことを後悔し始める。


「お邪魔して、ごめんなさい……もう帰るから、迷惑だったら捨てて……」

「何しに来たんだよ」


 ツバメの言葉に首をかしげる。


「何って……これを届けに……ブラウニーなら冷やしても美味しいし、えと、何度か作ってみたから、変な味はしないはずで……」

「いやいやいや。それでとんぼ返りって。別に、時間のあるときでいいだろう? お嬢さん、まだ宇宙生活に慣れてないんだし、無理する必要はどこにも……」

「え?! えっと……あの……きょ、今日は、ほら……」


 カッと顔が熱くなった。それを説明してしまうのは、恥ずかしい。

 言葉に詰まっている間に、通信端末がアラーム音を響かせた。タイムリミットだ。紙皿を手に後ろ髪引かれながらも、いとまを告げる。


「あの、ごめんなさい。時間。これ、お婆ちゃんに供えておくから、後で回収して?」

「は? おい。マジかよ」

「また来るね」


 ツバメの唖然とした雰囲気を感じつつ、私は急いでお婆ちゃんの墓標に手を合わせに向かうのだった。



 ☆



「ツバメは受け取ってくれましたか?」


 忙しなく出発してから、飛燕が聞いた。なんとなく、笑ってる気がする。


「連絡しておいてくれたんじゃないの? 寝てたし、たぶん、何のことだか解ってない」


 不機嫌を感じ取ったのだろう。飛燕は今度こそふふと笑った。


「そういうのは、直接伝えるからいいんですよ」

「そんな、大げさなものじゃないし。日頃の感謝の気持ちというか……」

「じゃあ、そう伝えれば良かったのでは?」

「…………飛燕、聞いてたでしょ」

「何のことでしょう」


 すまし顔が憎たらしい。安藤と違って、ボディガード仕様のその表情はあまり変わらないから、今もすましているのとは違うのかもしれないけど、なんとなく、そう思った。

 飛燕は――安藤は、私のこのふわふわした名前のつけがたい感情の正体を知っているのよね。このまま育っていけば、きっと厄介だっていうことも。

 子供みたいにふてくされて、ぷいと顔をそむける。

 無理をすれば、行けますよ。と誘ったのは飛燕だ。何か理由が無ければ、自分の星とはいえ、未成年の私が崋山院の宇宙船を占有してちょこちょこ向かうのは難しい。今回もバレンタインパッケージにしたハチミツの売り上げのチェックと墓参を理由にしてある。

 飛燕のマスターは私だけど、安藤のマスターはお婆ちゃんだ。お婆ちゃんは私がツバメと仲良くなることを望んでたんだろうか。それとも、そんなことは全く考えてもいなかったんだろうか。

 ちょっとだけ、遠ざかる花の星を振り返る。

 置いてきたブラウニー、食べてもらえなかったら悲しいな。



 ☆



「くっそ。なんだってんだ。おい! アンドゥ! どこ行きやがった!」


 にゃあ、と声がした方をツバメは振り返った。鋭く睨みつけられても、猫は素知らぬ顔。


「お嬢さんが来るなんて、聞いてねーぞ? 何の用事だったんだ?」

『ハチミツの売り上げデータが必要だったので、こちらで渡しておきましたよ』

「は? そんなの、お嬢さんが来るまでもないだろ?」

『データのやり取りだけでは、信用がないのですよ』


 ツバメの眉間に皺が寄る。


「ババアへの報告か? けっ。ご苦労なこって」

『……と、いうのは口実ですが。本当に分からないのですか?』

「は?」

『今日は何月何日か把握してますか?』

「……は?」


 少々目を泳がせてから、ツバメは自分の通信端末に手を伸ばす。


「にがつ、じゅうよっか……?」

『俗に、何の日かご存じで?』

「――バレンタイン……」


 ツバメは、テーブルの上に残された切り分けられたチョコブラウニーに視線を落として、それをひとつつまみ上げる。しばらくじっと眺めてから、ゆっくりと口に入れた。


『美味しいでしょう? 食べられないのが、口惜しいですね』


 返事はない。


『ツバメ。顔が赤いですよ? そんなにブランデー効いてましたか?』


 くすくす笑う猫に、ツバメは無言でケリを入れようとして――見事に空ぶった。




 紫陽がチャットアプリで「うまかった」と一言もらうのは、次の日の出来事。




ハッピーバレンタイン☆



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