41.新機
連絡先の交換をして、また涙ぐむ揚羽さんに別れを告げて、タクシーに乗り込む。ようやく肩が軽くなった気分だ。緊張が解けてうとうとしているうちに、マンションへと着いてしまったらしい。ツバメの呼ぶ声がした。
「お嬢さん」
「……ん」
「着いたぞ。ほら、それよこせ」
こちらに差し出された手に、手を重ねる。
ツバメが妙な顔をした。
「……いや、お嬢さんじゃなくてな……」
首を傾げているうちに、だんだん目が覚めてきた。
キャリーケースのことだと思いつく頃には、ツバメは苦笑しつつ私の手を引いたので、離すタイミングを失ってしまう。
「エスコートまでしなきゃダメかよ」
「ち……違うの! 寝ぼけてて……」
「脳味噌シェイクされるような話ばっかだったもんな」
私が立ち上がってもふらつかないのを確認すると、ごく自然に手を離してキャリーケースを迎えに行く。
「俺も、こいつが親父さんと繋がってるとは思わなかった」
「今日一番の衝撃だったかも……」
「話すのにためらいがないはずだよな」
何気なく見た玄関前の植え込みに、黄色いアゲハ蝶がひらひらと舞っていた。
「……揚羽さん、結構な頻度で星に来るの?」
「いや? 最初の頃はまあ、頻繁っちゃあ頻繁に来てたが、ここのとこは肥料の補充くらいだからな。荷物送ってくるくらいで、本人は半年に一度来るか来ないかくらいだぞ」
「……寂しいね」
「あぁん?」
鮮やかなオレンジの花に止まっては、またひらひらと舞い上がる蝶を見ながら呟いた言葉に、ツバメは眉を寄せた。
「変なこと考えてんじゃねーよ。俺は
エレベーターの中でキャリーバッグを渡されて、三階でツバメは降りて行った。
部屋に戻ると、アンドゥがじっと見上げてくる。
「……そうなのかな。アンドゥ、ツバメは揚羽さんに振られたから、そう言ってるだけだったりしない? ツバメ、揚羽さんには優しいよね」
『さあ。私はツバメよりも『情』を理解しているわけではありませんから――ただ……あの頃のツバメが、揚羽様を助けようと動いたことをどうしてだろうと考えることはありました』
「ほっといちゃうタイプだった?」
『狙われたのが男性でも女性でも、通報くらいするでしょうが、自分で動くとは思えません。ですから、揚羽様で、妊婦だったから……というのが多分、一番正解に近いのだと思います』
「揚羽さんで……」
安藤はクスリと笑って、アンドゥはその場で丸くなってしまった。
『『理想の母親』を見たのではないかと。男児の初恋が母親だということは、ありふれた話でしょう?』
ツバメは母親を知らないから……検診に向かう、幸せそうな妊婦を、その子供を、あるべき親子の形を、傷つけたくなかった?
『憶測ですよ。あるいは、本人も気付いていないのかもしれません。通り魔の刃は最初からユリ様に向けられていましたから』
「じゃあ、後で母と知られていないって解った時は、がっかりしたのかな」
『どうでしょう。それでも揚羽様は紫陽さんを愛していましたから。それは、伝わっているはずです』
「愛してる」なんて、照れくさいけど、ツバメのお母さんも、きっと最期までツバメを守ろうとしたのだと、そう、信じられているといいな。
私はアンドゥをひと撫でしてから、今夜は何を食べようかと頭を切り替えたのだった。
☆
週明け、父さんは自分の部屋に戻る前にうちの部屋の呼び鈴を押した。父さんの後ろから続いて入ってきた人物に戸惑って、父さんに視線を投げる。
年のころはツバメとそう変わらなそうという感じのアジア系男性だ。中肉中背で、切れ長の瞳はチャイナ服が似合いそうだった。日本人かどうかは微妙なライン。父さんの部下かもしれないけど、ここまで一緒に来る理由が思い当たらない。
「なんだ。連れ帰ると言ったじゃないか。津波黒君も呼んで」
「え!? えと、じゃあ、彼が……」
「そう。変な癖がつくといけないから追尾モードだけで動かしてきたんだ」
言いながらジェスチャーで急かされるので、私はツバメを呼んだ。
それから、もう一度観察してみる。瞬きも少なめで表情もない。最新式というだけあって、ぱっと見は作り物とは思えなかった。
アンドゥも寄ってきたところで、呼び鈴が鳴る。
私が動くより先に父さんが自らドアに向かった。開けられたドアの向こうで、ツバメがちょっと驚いている。
「いらっしゃい。久しぶりだね」
「……モニターで操作できるんだろ?」
「顔を見たいかと思って」
笑っているけど、父さんの口調には棘が混ざっている。
揚羽さんと星で会っていたことを知らされていなかったから、根に持っているのかもしれない。
ツバメも同じことを感じているのだろう。ちょっと渋い顔をしてこちらを見ると、見慣れない人物を見つけて表情が引き締まった。
「邪魔する。それが――慰謝料代わりにもらったやつか?」
「ああ。今はカルガモみたいについてくるだけだ。設定は任せるよ」
「いいのかよ。任せちまって」
「安藤君を入れるのなら、そうおかしなことは出来まい?」
ちっ、と舌打ちをしたけれど、ツバメはどこか楽しそうだった。抱えていたノートパソコンとケーブルを繋いでテキパキと準備を始めている。
「アンドゥ」
呼ばれたアンドゥは、素直にツバメに近づいた。
「いいんだな?」
にゃあ、と猫が返事をする。ツバメは先にアンドゥにケーブルを繋いで、それから男の人の耳の後ろ辺りに別のケーブルを繋いだ。
「時間かかるぞ。親父さんと外に出てても――」
「ううん。見てたい」
何をしているのか、解らなくても。
私の返事にツバメはちらりと父さんを見やって、肩をすくめる。
「やれやれ。最強の見張りだな」
父さんと安藤が、同じように含み笑いを漏らした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます