39.戸惑

『現在、揚羽様はこの隣の造園会社の一社員として働いています。表立って崋山院が後押しすることはできなかったので、ユリ様は水の見つかった星に趣味用として花を持ち込むことを考えました。小さな会社ですから、大口の納品は無理です。土も肥料も少しずつ、けれど継続して頼んでいました』

「俺が管理を頼まれた時は、ドームと機械室があるくらいで何もないとこだったんだ。少しずつ滞在できる環境を整えるから、空調なんかのメンテナンスをたまにしてくれと。楽な仕事さ。三か月から半年に一度往復するくらいで金がもらえる。個人の趣味だから、崋山院とのかかわりもほとんどない、と。趣味で星をどうにかしようなんて、俺にはちょっと感覚が分かんなかったけどな。そのうち小さな花壇が出来て、花が植えられていった。初めは横目に見るだけだったんだ」


 スプリンクラーや気温調節。ツバメの仕事は少しずつ増えていったらしい。

 三か月に一度が月に一度足を運ぶようになった頃、揚羽さんに再会したのだという。


「話は聞いていたのだけど、星でばったり会ったときはやっぱりびっくりして。傷跡もしっかり残っていたし……過去のことを謝る私に、もう忘れたから、今何してんのか教えろって」


 揚羽さんは懐かしそうに微笑む。


「子供はもうでかくなったんじゃねーの? って訊いたら黙っちまって。写真を見せてくれながら、一緒に暮らしてないって聞かされて。そん時は、金持ちの親でも子の扱いなんてそんなもんなのかと流しただけだった。それから時々星で会うと、話題に困るんだろうな。だいたいがお嬢さんの話になって。砂遊びで頭から砂を被ったとか、水たまりで転がったとか……」


 にやにやと私を見ながら、ツバメは頬杖をついた。揚羽さんまでそうそうって笑うから、ちょっと居心地が悪くなる。


「ご丁寧に写真を見せられながら、その成長に笑ってたかと思うと、急に涙ぐんだり。訳が分からなくてさ。なんで一緒に暮らさねーのってある時訊いて、事情を知った。知ったって俺にできることなんてないんだけどな。とりあえず、お嬢さん以外の話もできるようになれば気も紛れるかと、花の仕事を教えてもらうことにしたんだよ」

「……そんな理由だったの? 急に手伝うなんて言うから、どういう風の吹きまわしなのかとは思ってたけど……」

「ウルセ。忘れろ」


 初めは枯れてしまったり、根つかないものも多かったようだけど、庭は少しずつ広がり、滞在用の小さな洋館が建てられ、ツバメはほとんどをその星で過ごすようになっていったそうだ。

 毎日花や木を観察するという名目だったらしいけれど、きっと、いつ来るかわからない揚羽さんとすれ違いたくなかったのではないだろうか。


「お嬢さんの写真は中学入学以降は見せてくれなくなったな。話は、相変わらず聞かされたけど」

「当たり前でしょ。紫陽しはるはだんだん美人になっていくんだもの。狼には見せられません」

「あのなぁ」

「自覚はあるんでしょ? 若さだなんて、誤魔化されませんから。何度か私に言ったこと、忘れた?」


 苦虫を噛み潰したような顔をしてツバメは口を閉じ、それからぼそりと呟いた。


「子供扱いしやがったくせに。五歳しか、違わないのに。てめえの娘と扱いが一緒だった」

「気にしてたなら、ごめんね。でも、鷹斗君は時々とても幼く感じたんだもの」

『冗談ではなく、花の世話を始めてから、ツバメは尖っていた雰囲気が和らぎました。工事で入る人夫ともトラブルが減って、どこか投げやりだった生活も、規則正しくなっていったような気がします』

「どいつもこいつもウルセーよ……俺の話はいいんだよ!」


 ふてくされたような態度で、でも声に迫力はなかった。


「庭が落ち着いたころ、花があるんだから、蜜が取れれば物珍しさでウケるかもねって提案したの。うちの会社は蜂のことはあまり詳しくなかったから、二人で一から調べて。失敗して借金も作ったりしたけど、どうにか軌道に乗ってきた……そんな時にお義母様の訃報が飛び込んできて……紫陽が……紫陽ちゃんが星を継ぐって、安藤君が壊れたって――一気にあらゆることが変わってしまった」


 揚羽さんは一度背筋を伸ばしてから、ゆっくりと頭を下げた。


「私より、あなたの方が戸惑ってるわよね……母親らしいことは何一つできなくてごめんなさい。どう思われても、今日、あなたに会うことができて……よかった」


 戸惑ってる……の、かな。

 全部を聞いても、まだ実感が湧いてこない。どころか、私とツバメより、揚羽さんとツバメの方が歳が近いのを、なんだかずるいと思っている。私のいない時間を二人が過ごしていたのが。

 母親を盗られたような気がして、なの? そういう戸惑い、かな?

 頭を下げ続ける揚羽さんには、怒る気持ちも恨む気持ちもない。その代わり、恋しい気持ちも……だから、そんな姿を見続けるのは申し訳なかった。


「あの……頭を上げてください。私も、今まで母親のことを知ろうともしませんでした。いなくとも、生きてこられたので……」


 ぴくりと揚羽さんの頭が揺れる。


「こう言うと、揚羽さんは傷つくと思うんですけど……でも、だから、それで帳消しかなって。「お母さん」とは、まだ呼べないけど、良いも悪いも今は無いので、よかったら……またここでお話しませんか? 私も、お庭の仕事のこと、聞きたいです」


 おずおずと視線を上げた揚羽さんは泣きそうな顔をしていて、私の言葉を最後まで聞いた後、滂沱の涙を流したのだった。




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