24.誘拐

 なんとか身体を起こした時には、横山さんは運転席に戻っていた。

 無駄だと承知しながらドアに手を伸ばすと、車が動き出した。もちろん、ドアのロックはかかっているし、どこに触れても、そのドアがびくともすることはなかった。

 そうしているうちに、窓の色が変わっていく。スクリーンでもかかっているかのように、徐々に暗い色へと。

 私は前へ向き直る。バックミラーの中の横山さんと、目が合った。


「何をするんですか!」


 私にしては、荒げた声だっただろう。

 前の座席との間には透明な仕切りがあって、声が届きにくいんじゃないかと思ったせいもある。道に出ると、彼は助手席のヘッドに手をかけて、ゆっくりとこちらを向いた。


「確かめた?」

「……え?」

「別に、全部が嘘じゃないんだけど」


 ふふっと笑いながら、彼は私よりもさらに右に視線を流した。自分の、ほぼ真後ろに。

 私は横山さんから目を離さずに、手探りでキャリーケースを手繰り寄せた。

 横山さんは頷くと前に向き直る。

 そっとキャリーを開けると、グレーの猫が死んだように横たわっていた。大ぶりの鈴がついた革の首輪をしている。


「アンドゥ!」

「電源を落としてるだけだよ」


 柔らかな口調は、子供を諭しているようでもある。


「アンドゥを連れてきてくれただけなら、どこに向かってるんですか!」


 マンションの前はとうに通り過ぎている。

 彼の目的が見えなかった。


「それは、言えないな」


 キャリーケースを抱えたまま、端末を取り出す。コンビニに行くだけのつもりだったので、斜め掛けできるケースのみを身に着けていた。


「誰にかけるつもり? 父親は機上の人。タカトも帰ったでしょ? チケット取ったの確認したよ。現社長に助けを求める?」

「ツバメは……!」

「『ツバメ』?」


 横山さんは眉をひそめて少しだけこちらを見る。

 ぐっと言葉を飲み込んだ。ツバメがもう帰ってしまったと思ってくれてるなら、言わない方がいいかもしれない。何も言えなくても、通話状態にしておけばツバメは追いかけてくれるはずだ。

 そう信じて、紫陽花のアイコンをタップする。


「前社長が、そういえば時々そんな呼び方を……貴女までそう呼ぶとは、意外だな」


 若干呆れたような声は、彼もツバメの過去を知っているんだろうか。

 何度か受話器のマークをタップしているのに、通信エラーになってしまう。文字を打ち込んでも、結果は同じだった。


「繋がらないでしょ。そこ、特殊空間だから。そう遠くないよ。おとなしくしてて」


 口元に薄笑いを浮かべた横山さんの横顔は、だんだんと見えなくなっていった。

 透明だった仕切りが、窓と同じように暗く色を変えていく。


「ちょっと……どうして!」


 バンバンと仕切りを叩きつける手のひらも、どんどん見えなくなっていく。暗闇が怖いわけではないけど、情報をすべてシャットアウトされるのは嫌だった。

 やがて完全に暗闇に閉ざされたかと思うと、目の前に落下する飛行機が現れた。

 驚いて、のけぞる。


「まあ、映画でも見てて。話題のアクション映画だから、退屈はしないと思うけど」


 楽しんでる余裕はさすがになくて、それでもアンドゥが動けばと、映像の明かりを頼りに彼の電源を探す。ようやく指先で探し当てて、ボタンのようなものを押し込んでも反応がない。充電がすっかりなくなっているのか、壊れてしまったのか……横山さんは電源を落としただけと言ったけれど、どこまで信用できるのかわからない。

 泣きたい気分になりながら、冷たいアンドゥの背中にそっと頬を押し当てた。



 ☆



 小一時間ほど走って、スロープを下りていく感覚の後に車は停車した。

 映画の音で外の様子もほとんど分からなかったのが辛い。自分がどこにいるのか、全く分からなかった。

 映像が消え、仕切りや窓の色が消えていくと、後部ドアが開き始める。

 アンドゥを抱いたまま、当然のようにそこに立っている横山さんを睨みつけると、彼は肩をすくませた。

 ふと、桐人さんの忠告を思い出したものの、アンドゥを手放す気にはなれない。


「別に、そこに居たいなら、それでもいいけど。もう少しましなところに案内するよ? 危害を加えたいわけじゃないんだ」


 私を無理やり外に出すつもりはないらしく、彼は一度手で促しただけで、あとは立ったまま黙って待っていた。

 色の抜けた窓からは、コンクリートの壁しか見えない。車庫なのか、その空間も広くはなかった。

 迷う。

 ここに居ると言えば、彼はそのままドアを閉め、ロックしてしまいそうだ。外に出た方が、逃げ出したり、誰かに連絡できるチャンスがあるかもしれない。


「ここは何処ですか。私を、どうするつもりで……」

「何処かは言えないけど、私の家の一つだよ。どうかはあんまり考えてないかな。お話がしたくてね?」

「話なら、こんな風に連れてこなくても……!」

「えー? どうせタカトに注意されてるでしょ。近づくなって。それに、その辺でできる話じゃないよ」


 口調は相変わらず柔らかくて、後部座席に突き飛ばされた以外は私に触れようとする様子もない。逃げられない自信があるのか、その余裕な態度は少し癪に障る。


「考えてもあんまり変わらないと思うけど。まあ、そうしたいなら、ごゆっくり」


 にこにこと我慢比べも辞さない様子に、ここで意地になっても無駄だと悟る。

 私は意を決して、アンドゥを抱えたまま車を降りた。




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