14.求婚

「早くない? 私メール返したのさっきだよ?」


 驚く私に父さんは笑う。


「会社を出たところでチェックできたから。ここにいれば外の人間は接触できないけれど、内の人間は止められないからね。早めに出た方がいいかもしれない」

「……桐人さんは伯母様に言われて来たのかな」

「どうだろう。桐人君が頼もしいのは本当だから、紫陽がしたいのなら、口出しはしないよ」


 会話は聞こえていたらしい。


「……よくわからない」


 苦笑すると、父さんは私の頭に手を置いた。


「好きにおし。私も、紫陽も、崋山院の名に縛られることはないんだから」

「……うん」


 部屋を出ようとした私の背中に、思い出したように父さんの声が追いかけてきた。


「あ、そうだ。『ネコロン』、えっと、アンドゥ、だったか? 週明けにちょっと貸してほしいんだが」

「え? どうして?」

「たまにこっちにいるんだからって知り合いの建築家の新築パーティに誘われてな……どうやら、彼がその猫にメロメロらしいんだ。なんでも猫アレルギーで長年猫を飼うのを諦めてたのが、『ネコロン』に出会って……という話らしい。他に何人か連れてくるという話だから、乗っておこうかと」

「へ……へぇ。でも、アンドゥ『やんちゃモード』だからしいから、知らない人に愛想ふったりしないよ?」

「いい。いい。ベタベタ他人に触られたりしなくていいだろ」


 ちょっと投げやりに言う父さんに、大人の世界も大変だなって可笑しくなった。


「まだ一応預かりものだから、大事にしてね」

「わかってるよ」


 自分の部屋に戻ると、机の上でアンドゥは丸くなっていた。

 ダウンロードは終わったようだったので、どいてもらって受け損ねていた講義をアーカイブで受ける。安藤が黙っていれば、アンドゥは本当にただの猫だ。画面の中で動く教授の手やポインタに反応して手を出す様子に、しばしば巻き戻しをすることになったのは、反省しなければいけない。

 一緒に布団に入ってすり寄ってくる様子は、メロメロになるのがよくわかる。

 生き物はお別れが寂しいから飼いたいと言うことはなかった。


「アンドゥ? 父さんが、あなたを借りたいって。パーティに連れて行ってくれるみたい。いい子にして、ちゃんと帰ってきてね」


 にゃあ、と返事が帰ってくる。


『紫苑様が持っている案件の中だと、週明けの中川様の新築お披露目パーティですか?』

「週明けって言ってたから、多分……わかるの?」

『中川様のインスタ経由での推測ですが。彼は紫苑様ともよく仕事をする仲ですので』

「問題ないよね?」

『ええ。彼の猫好きは有名ですからね。『ネコロン』は初期の物からずっと愛用しているはずです』

「そう。よかった」

『離れていてもネットに繋がっていれば連絡はとれますから、何かあればアプリ設定の『居場所検索』をかけてみてくださいね』


 ほかほかと体温より少し高い温度は気持ちよくて、私は返事を音にできずに、ただ頷いて眠りに落ちたのだった。



 ☆



 翌日の朝食にはアンドゥも連れて行った。

 桐人さんは、生き物は苦手だと距離を取っていたけれど、アンドゥも警戒して近づくことはしなかったので平和だったと言える。

 安藤の希望通りに、そのままアンドゥを敷地内に放して大学へと向かった。

 さすがに大学まで持ち込むのは、父さんや桐人さんに不審がられそうだったから。友人に紹介するという触れ込みなら、何度か連れていけるかもしれない。


 桐人さん自ら助手席を開けてくれて、ためらいながらも乗り込むと、彼は反対側に回り込んで運転席に座った。


「桐人さんが、運転なさるんですか?」

「送っていくって言ったじゃない」

「桐人さんの警護は……」

「ついてくるよ」


 バックミラーに視線を向ける彼に後ろを振り向くと、バイクが一台準備万端で待っていた。


「まあ、自動運転だし、心配はいらないよ。自分の腕を見せようだなんて思ってないから」


 にこやかにそう言うと、彼は車をスタートさせた。

 終わる時間を確認され、連絡先――無料のチャット&通話アプリの方だったけど――も交換させられて、夕方まで大学にいたにもかかわらず、私はやっぱり桐人さんと車に乗っていた。

 だからご飯も食べに行こう。

 そう言われても上手く断り切れないことにだんだん焦ってきた。

 食事するのだからとミニドレスに着替えさせられ(もちろん彼もスーツ姿に)、夜景を目下に眺められるレストランでワイングラスを前にして、思わずため息がこぼれる。

 くすりと桐人さんの口元がほころんだ。


「疲れちゃった? ごめんね。連れまわして」

「……どういうつもりですか?」


 上辺だけの理由でも聞いておかねばならないだろうと、切り出した。

 さすがに不自然だ。


「うん? わかってるんじゃない? せっかくだから、食べちゃおう? まずくはしたくないでしょ」


 私のグラスに炭酸水を注いで、自分は赤ワインを口に運んだ。

 自動運転が主流になってから、自動運転中のアルコールの違反は少し緩くなったらしい。主要道路では事故は減り続けているから、今後また改正されるというニュースを聞いたような気がする。

 キラキラといろんな色の明かりは確かに綺麗なのだけど、つい最近見た青い地球が目に焼き付いていて、感動は半減されていた。

 デザートが運ばれてくると、桐人さんは窓の外に視線を流して顔の前で手を組んだ。


「『TerraSSテラス』からの景色は綺麗だったろう?」

「……はい」

「このくらいじゃ適わないよね。解っててあえて言うんだけど」


 私を見る桐人さんの瞳はもう笑ってなかった。


「紫陽ちゃん、僕のお嫁さんにならない?」

「なりません」


 即答にちょっと驚いて、桐人さんは楽しそうに笑った。


「うん。ふぅん。なるほど。まあ、まあ。そう焦らないで。じゃあ、もう少し付き合ってもらおうかな」


 そう言うのなら、そうするつもりなのだろう。

 私は開き直って、ゆっくりと最後の一口までデザートを堪能したのだった。




 三度みたび乗った車は、一応本家の方向に向かって走り出した。

 さすがに不機嫌を隠す気のなくなった私に、桐人さんは変わらぬ調子で話しかけてくる。

 安藤に連絡してみた方がいいのだろうかと、私は手の中で端末を遊ばせていた。


「噂は聞かなかったけど、誰かいい人でもいたのかな?」


 そうだ、と、とっさに答えられるほど器用ではないので、口はつぐんだままにする。

 ふと思いついて、こちらも質問してみることにした。


「伯母様に何か言われたんですか」

「ああ。やっぱり母さんはもう動いたんだね」


 その口ぶりに伯母様は関係ないのかと彼を振り返る。

 ちらりとバックミラーを確認して、彼は道を一本逸れた。住宅街の少し奥、建物はスタイリッシュだけれど、その場にはそぐわないネオンのきらめく看板に誘われたように、高い塀の中へとハンドルを切っていく。


「……桐人さん!?」


 私の裏返った声にも、彼は薄く笑っているだけだった。




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