13.強引

 いいというのに部屋までキャリーバッグを運んでくれ、夕食は一緒に食べようと約束させられる。

 私が口にする断り文句は全て遠慮だと変換されるらしい。

 彼が部屋の前から立ち去るころには、なんだかぐったりと疲れていた。

 気配が遠ざかってから鍵をかける。部屋の鍵をかける気になったのは初めてかもしれない。

 アンドゥをバッグから出して、イヤホンを耳にさっそくパソコンと繋ぐ準備をする。


『桐人様もこちらに引っ越すようですね……』

「知らない。私は出ていくし」


 早目に荷物を纏めてしまおうと、固く決意した。


『では、家を決めないといけませんね』

「それなんだけど、父さんが用意してくれるって……」


 昨日届いていたメールを思い出して、パソコンの電源を入れてから探し出す。


『繋いでいただければ、チェックしますよ』

「あ、うん……」


 やっぱりちょっと恥ずかしいのだけど、多分その方が早いのだろう。タップ一つで安藤と繋がる。

 パソコンの方にも、買ってきたケーブルとツバメにもらったものを繋いでいく。


『……紫苑様のマンションですね。ここなら住人の身元もはっきりしていますし、女性も多いので安心かもしれませんね。大学からは、少し離れるかもですが』

「どうせ校舎に行くことは多くないから」


 話している間にパソコンの画面にそのマンションの外観と空き部屋の番号が並べられた。


『階数も部屋タイプも好みですが、五階だと他に入っているのも女性ですよ』

「じゃあ、そこでいいかな」


 忘れないうちにと父さんに返信しておいた。

 さて、とパソコンに向き直る。


「ツバメが、繋げばいいって言ってたけど、何をするの?」

『クラウドに避難させたデータを落としてきます。これも一時措置ですが、クラウドに置きっぱなしよりは安心ですから。調査が入るのはあちらですからね。落ち着いたらツバメに隔離空間を用意してもらおうと思ってます』

「……ふぅん。時間かかりそう?」


 きっと、大容量に違いない。


『そうでもないですよ。『Kazan』の専用回線を使いますから』

「大丈夫なの?」

『紫陽さんがいくつかアプリを落としたり、映画でも見たと思われるくらいですよ。別に会社のデータに触れるわけではないので』


 そうなのね。


「講義予定とかチェックしても大丈夫?」

『大丈夫ですよ。出しましょうか?』


 返事をする前にウィンドウが開く。

 これ、慣れちゃったら戻れなくなりそう。お婆ちゃんはずっとこうやって仕事してたのかな。

 市販のAIアシスタントを使う機会も多いけど、レスポンスが段違いだ。


「お婆ちゃんの入院前にテレビにちらっと映ってたチーズケーキ、美味しそうだったな」

『紫陽さんの好みからいうとこちらですかね? 取り寄せますか?』


 試しに口に出してみただけだけど、特定まで早すぎて笑ってしまった。

 テレビで見たまんまのチーズケーキに目を細めつつ、お断りする。


「安藤は、本当に優秀だったのね。一緒に、食べたかったな……」

『これからもお役に立てますよ。そうですね。またいつか、紫陽さんの焼いたケーキをごちそうしてください』

「……焦げてても?」

『美味しかったですよ』

「味覚もあったの?」

『ああ、いいえ。毒や睡眠薬系のセンサーはあったのですが……でも、美味しい気がしました』


 どうしてか、涙がこぼれた。

 安藤はここにいるのに。

 決して多くない安藤との思い出のひとつが、急に鮮やかに思い出されたのだ。

 アンドゥがそっと立ち上がって、首を伸ばしてくる。

 頬を伝った涙が、アンドゥの舌に絡めとられていった。



 ☆



 気を取り直して、ジーナさんにもらった名刺もチェックしてもらった。

 問題ないということなので端末ケースに差し込んでおく。

 夕食の時間になってもダウンロードは終わらなかったので、アンドゥは部屋に置いていくことにした。何となく桐人さんに会わせるのも不安だったからちょうどいい。

 映画の話、話題の本の話、大学の話。無難な会話に無難に相槌を打ってやり過ごす。こんなに口数の多い人だっただろうかと、心の中で首を傾げた。弟のかいさんの方は賑やかだった記憶があるのだけれど。


「大学はさ、無理に通わなくても講義を受けられるじゃない? でも、友達に会いたくてとか、学食に行きたくてとかで、結構足を運んじゃうんだよね」

「そうですね」

「やっぱり、そうだよね。僕は電子より紙が好きで、図書館も通ったな。懐かしいな。紫陽ちゃん、今度いつ行くの? 送って行ってあげようか」


 伏せ気味だった視線を、思わず上げてしまう。


「……ありがとうございます。でも、お時間取らせるわけには」

「うん。家のこともあるし、しばらくは時間の融通ききそうなんだ。OBのわがまま聞くと思って、連れて行ってくれないかな?」

「……はぁ。ちょうど、明日行こうとは思ってたんですけど……でも、あの……」

「じゃあ、ちょうどいいね。一限目からいく? さっきも言ったけど、落ち着くまでは車の方がいいよ?」


 伯母様のように有無を言わせない、というような勢いはないけれど、答えを一つの方向に絞ってくるのはよく似ている。断る確たる理由もないのだから、結局頷くしかない。


「じゃあ、よろしくお願いします……」

「うん。気にしないで。同じ屋根の下にいるんだから、仲良くいこう」


 崋山院に生まれて十八年。子供の頃にも聞いたことのない従兄の言葉に、私は曖昧な笑みを浮かべた。


「ただいま。紫陽?」


 呼ばれて振り返る。

 少し驚いて桐人さんを見る父さんが、入ってくるでもなくこちらを覗いていた。


「叔父さん、ご無沙汰してます。主がいなくなって少し物騒なので、下見も兼ねて僕が滞在することになりました」

「……ああ。そうだな。頼もしいよ。私も空けがちだからね」


 いつものように柔らかく微笑む父さんは、いつものように従順だ。

 それでも、目で呼ばれる。

 私は幸いと、席を立った。


「じゃあ、失礼します。また、明日」

「うん。おやすみ」

「おやすみなさい」


 父さんは特に口を開くこともなく歩き出す。黙って後についていくと、父さんの部屋に入るようにと身振りで示された。

 父さんの部屋も久しぶりだけど、いつきても生活感がない。

 父さんは小さく息をつくと、鞄から何かを取り出した。


「用意してきて良かった。一度行って、セキュリティの登録をしてしまいなさい。最初は部屋番号が暗証番号になっているから、そちらも必ず変更するように」


 二枚のカードキーは夕食前に選んだ部屋のもののようだった。




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