06.休憩

 怖い顔で笑って、勢いよく立ち上がったツバメにひやひやしたけれど、入ってきた時と同じようにずかずかと部屋を出て行ったので、私も一礼して身をひるがえす。

 安藤が想定していたよりは、ずいぶん穏やかに、そして端的に終わってしまった気がする。

 もう少し安藤を壊したことを責められるかと思ってた。データのサルベージも終わってないから、後で言われるのかもしれないけど。

 私が廊下に出た時には、ツバメはもうだいぶ先にいて、ぶつぶつと文句をこぼしていた。追いついて、礼を言う。


「ツバメ、あの、ありがとう」

「殴らなかったことか? あんの、クソババア。人を狂犬呼ばわりしやがって」

「え? えと……」


 ツバメは流れるようにポケットから煙草を取り出して咥えている。


「身内以外の人間は、ひとかけらも信用してねえ。婆さんが育てたとは思えねぇな」


 そう言って私を見ると、眉を寄せて口元を歪め、せっかく咥えた煙草を握り潰すようにしてから放り投げた。


「こ、こんなところに投げちゃ……!」

「ウルセ。清掃機が来んだろ」

「吸いたいなら、喫煙室がどこかに……」


 折れた煙草を拾い上げて案内表示を探すけれど、ツバメはまっすぐクロークへと向かっていく。


「もういい。くそっ。めんどくせぇ」


 イライラしてるのは、ニコチンが切れたせいもあるんだろうか。

 ううん。ツバメが不機嫌なのは標準な気がする。

 拾った煙草を握り込んだまま、私はアンドゥの入ったキャリーを受け取った。


『早かったですね。ツバメはカスミ様に刺されませんでしたか?』


 外に出てから、開口一番の安藤の冗談(冗談、よね?)に苦笑する。


「大丈夫。そこまで険悪にはならなかったから」

『カスミ様も安藤がどこまで口にしているか分からない部分もあったでしょうからね。控えめにしてくれたのでしょう』

「そう、だといいな。私はやっぱり胃が痛くなりそうだったけど……ほとんどツバメが引き受けてくれたから」

「引き受けたんじゃねーぞ。元々、俺が標的なんだよ」


 前を行くツバメはイヤホンを「もういらねえ」と断った。だから、安藤の声は聞こえていない。


『あれでもカスミ様なりに、紫陽しはるさんを守ろうとはしているのですよ』

「そうね。わかってる」

『ツバメが引き受けた、ということは、一応会話になっていたのですね』

「え? もちろん。賃料の話も、してくれたし……」

『では、着替えさせた甲斐があったというものです。会話になれば、ツバメがそう酷い人間でもないと分かるはずなので』


 ど、どうだろう?

 全然大丈夫! とは、言えなくて、私はもごもごと笑ってごまかした。


「伯母様、十パーセントで決めたけど、本気で交渉してないって言ってたの」

『そうでしょうね。そういう話を出したことが大事なので。ツバメも本気で交渉するならそこまで譲りませんよ。紫陽さんにそれだけ払う意思があると示しただけなので。養蜂はツバメと……ツバメが、一から始めたことですから。借地分だけで考えると、売り上げの十パーセントというのは少し多い気がします。といっても、地球上の普通の土地と比べるのは間違っているかもしれませんが』

「う……そうなのね……」

『ツバメが紫陽さんを脅したりせずに、協力する気があると信じてもらえれば、カスミ様もこれ以上無理にあの星を手に入れようとはしないはずです。少なくとも、しばらくは様子を見てくれるでしょう。ですから、紫陽さんも、その間にもう少し勉強しなくてはいけませんね』

「……がんばります」




 地球に戻る連絡艇のチケットは一時間ほど先のものだった。

 日本着は午後五時くらい。

 せっかくだからとラウンジへ行ってみることにした。

 私は地球色のクリームソーダを地球をバックに写真に収め、喫煙室で一服してきたツバメはビールを飲んでいる。ちょうど、ムーンライトセレナーデが流れてきた。

 ツバメが少しだけ笑う。


「何?」

「いや。婆さんが好きだったなと。古臭い曲なのに、憶えちまってる」

「そういえば、あの星の洋館も古いタイプだし……銃とかボウガンとか昔ながらのものが多いのは、わざとなの?」

「半分は、婆さんの趣味だな。今風の無駄をそぎ落としたものは味気ないとかなんとか。武器類は、まあ、俺の趣味もあるが、相手を吹っ飛ばして道を開ける方が現実的かなと」

「じゃあ、最新式の武器みたいなのは?」

「あるぞ。音波系も目くらまし系も。そういうのは電池やバッテリー内臓だからな。一応電気と水は貴重なんだよ。対人なら身一つでもそこそこいける……はずだし」


 語尾がしぼんだのは、自分の年齢を思い出したのだろうか。

 鍛えていたとしても、そもそも人と会わない環境では鈍っちゃいそう。


「作業員たちのいざこざは止められてるから、大丈夫だろ」

「と、止めるって実力行使じゃないよね?」


 にへらっと笑ったツバメに、私はそれ以上突っ込むのをやめた。問題になっていないのなら、きっと大丈夫なはずだ。きっと。

 自分に言い聞かせるようにアイスクリームを口に入れると、テーブルに置いてあったツバメの端末が震えた。電話ではないようで、面倒そうに画面を操作し始める。

 私は目の前の宝石のような青い星に視線を移した。

 ここから月は見えないけれど、地上の人々は今日も月の光を浴びているだろう。私もすぐ、あそこに帰る。しっかりと、地に足をつけるために。



 ☆



 数日ぶりの地球の引力は、頼もしくもあり、重くもあり。

 到着ロビーに出ていくと、すぐに声をかけてくる人がいた。


「紫陽さん。崋山院、紫陽さん、ですよね?」


 すらりと細身の男の人で、上側だけ銀縁の眼鏡をかけている。ネックストラップをぐるぐると巻きつけた社員証を差し出す手が、男の人にしてはとても綺麗で、内容よりそっちに気を取られてしまった。




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