03.出発

 お茶の後、安藤は「せっかくですから地球の見えるラウンジにも行ってみますか?」と誘ってくれたけど、後ろ髪引かれつつも断った。

 疲れているのもあったけど、デートスポットとしても有名なそんな場所に行ってしまったら、なんだか勘違いしてしまいそうな気がしたのだ。

 私は会社の人間ではないから、安藤は周りに対するより少し気安い。

 彼にとってはお婆ちゃんの孫で、たまに世話を任される子供だった。だから、今も同じ感覚のはずで。

 さらに言えば、今はお婆ちゃんの遺言による顧客でもある。

 家族よりは遠くて、他人よりは近い場所にいる安藤を、私は少し憧れの対象として見ているかもしれない。




 地球と『TerraSSテラス』を行き来する定期船は、休む間もなく働いている。昼夜の区別のないこの場所は国際会議の場としても重宝されていた。そのため、各地区には小さくとも世界中の一流の店が揃っているのだ。

 もちろん、庶民の店もちゃんとある。

 ハンバーガーをかじりながら、翌日の私は宇宙船を見下ろしていた。


 出発は、日本時間でお昼くらい。慣れない私のために、ゆったりとしたスケジュールになっていた。

 用意されていたのは崋山院所有の小型宇宙船。聞いてはいたけれど、乗るのはもちろん、見るのも初めてだった。私はプライベートジェットにさえ乗ったことがない。せいぜい運転手付きの高級車が関の山(もちろんお婆ちゃんと)だ。


 つるんと芋虫のようなずんぐりした楕円形の機体には、大きな翼は見えない。空気抵抗のない宇宙空間を飛行するのには必要ないらしい。格納式のものがありますよ、と安藤は説明してくれた。


「ワープは一瞬なんですが、準備に時間がかかるんですよね。酔う人も多いですし、抜けてからもゆっくり進みますので、到着は明日の午前中、というところでしょうか」

「けっこうかかるのね。お婆ちゃんはよく行ってたの?」

「ユリ様は慣れていらしたので、『TerraSSテラス』での滞在もなかったですしね。日帰りとはいきませんでしたが、次の日には帰られてましたよ」


 改めて、鉄の女だよ。お婆ちゃん……!


 安全のため、と全身フルボディスーツの簡易宇宙服に身を包むと、映画の世界に入り込んだ気分になった。同じ意匠の宇宙服姿の安藤は、薄いゴーグルのような眼鏡をかけている。目元が隠れてしまうと、ますます若く見えた。着慣れているのだろう。制服萌え、ではないがちょっと不思議な気分になる。

 じっと見つめていた私に気付くと、安藤は軽く首を傾げた。


「おかしいですか?」

「あ。ううん。眼鏡? かけるんだなぁって」

「これはモニターですよ。操縦席についていなくても、色々チェックできるので便利なんです。まぁ、眼鏡を使わないこともないのですが……」

「えっ。そうなの?」


 二重の意味で驚いていると、「歳ですからね」と笑いながら私の荷物も持ってくれる。


「安藤っていくつなの!?」

「秘密です」


 小さく肩を揺らしながら、背中が遠ざかる。

 私が物心ついた頃には、もうお婆ちゃんの秘書をやっていたから、三十を越えているのは確実だけど……謎すぎじゃない?!

 それとも、からかわれてるだけなのかな。

 安藤と二人っきりで、こんなに長い時間いるのは初めてだ。

 同じ家に住んでいても、私が知っているのは「お婆ちゃんの秘書」の安藤だから、プライベートな顔はほとんど知らない。


「お、お爺ちゃんも知ってるとか言わないよね?」


 祖父が死んだのは四十になる手前だったはず。祖母と祖父とは五歳差って聞いてるし、アンチエイジング技術が進んでいるとはいえ、さすがに、まさか、ね。


「さすがにお会いしたことはございません。資料で知るのみですね」


 彼の背中を追いかけながら、当たり前の答えが返ってきてほっとする。

 足元がふわふわしてきたと思ったら、安藤が振り返った。ドーム状の通路は二人が並んで歩けるほどの幅しかなく、前は見えにくい。


「もう少し行くと無重力ゾーンになりますので、黄色いラインのところで少し待っていてください。荷物を置いてから合図しますから、昨日の練習を思い出して来てくださいね」

「あ、ハイ」


 安藤は慣れた様子で黄色いラインの場所までいくと、立ち止まることなく床を蹴った。斜め上方へと伸びた通路の中を飛ぶように昇っていく。

 通路の両脇にはチェーンが渡してあって、それを伝っていくこともできるようになっていた。昨日のことを思い出しながら、入り口までを目測で測る。すぐに安藤が顔を出して、こいこいと手招きした。

 緊張しながらも、さっきの安藤の真似をして、えいやっと床を蹴る。


「あ。……わ!」


 力加減を間違えたようで、思いのほかスピードが出た。あわあわと無駄に手を振るけれど、安藤はあっという間に目の前に迫って、思わず目を閉じた。

 軽い衝撃はあったものの、押し付けられた感触は思ったより柔らかい。ボディスーツの有能さを思いがけず知ることになった。

 がっちりと抱き留められて、それから徐々に床へと身体が下りていく。船内はGが調節されているようだ。


「ご、ごめんなさい!」

「大丈夫ですよ。上出来です」


 間近に聞く安藤の声も気恥ずかしい。熱くなる頬を仰いでいるうちに、安藤は先に進んでしまった。

 エアロックを抜け、コックピット手前にある、小さなリビングルームのような部屋に通される。

 投写式テレビに冷蔵庫、ぎゅうぎゅうのソファ……

 あれ? なんだか見たような光景……もう少し広かったような気もするけど。

 ……気のせいかな。どこかのリビングを模してるのかも。


「ワープ準備中と終了までは使えませんが、通常航行中はご自由に。映画やドラマもいくつかご用意してますので」


 ロックのかかる棚を開けて、中のファイルを指さす。目録らしい。


「寝室は反対側に。トイレは手前の扉です。調理機器はレンジしかないことでお察しください」


 小さく頭が揺れたので、ウィンクしたのかもしれないけれど、暗い色のレンズで確認はできなかった。あちらからはちゃんと見えてるんだろうか。

 寝室に荷物を収納してしまうと、いよいよコックピットへ。大きな窓、と見間違えるのは高性能の液晶画面だ。真っ暗なそれは映っているのか消えているのかよくわからない。

 私を一段下がった場所の椅子に座らせ、ベルトを確認してから安藤は操縦席へと座った。

 細いケーブルをゴーグルへと繋ぎ、いくつかのボタンを操作する。

 駆動音が低くうなり始め、英語で管制室とやり取りを始めると照明が暗くなった。しばらくしてガコン、という音とともに船が少し揺れる。


「ほとんど自動運転ですので、ご心配なく」


 緊張していた私に、安藤はいつもの調子でそう言うと、船はゆっくりと動き出した。




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