第2話 眠り2

 気付いたら部屋の中は薄暗くなっていた。私は眠ってしまっていたらしい。堅い床と壁のせいで背中の筋肉が固まってしまっていた。それを解そうと立ち上がろうとした。じゃりん、と音がして私の体が後ろに引っ張られ、思い切り背中を壁にぶつけてしまう。うう、と呻き声が口から漏れてしまう。手首と首に痛みがあった。手首の方をみると、鉄でできた手枷がついていた。その手枷からは鎖が伸びており、私が背をつけている壁に繋がれていた。首元を触るとひやりとした鉄の感触があった。手と同じ様に枷がはめられているのだろう。手に力を込めて鎖を外そうと無駄な努力をするが、手首が痛みとともに赤く滲んだだけだった。周りを見回したが、鍵はもちろん、それに準ずる物も見つからない。私はあきらめて壁に再びもたれ掛かる。ベッドの私は何故かシーツが再び肩のところまで掛け直されているだけでそれ以外には何もされていないようだった。


 縛られて動けない私と縛られず動かない私。どちらが自由を手にしているのだろうか。肉体しか見ることができない生の私にはその判別をすることはできなかった。

 窓からは日の光が完全に消え、月の光が射し込み始めた時、部屋のドアが音を立てずにゆっくりと開いた。私はそちらを見た。人影は無かったが、床にいくつかの影がうごめいていた。目を凝らしてみると、それはネズミの様に見えた。彼らは部屋の真ん中まで集団でゆっくりと歩いてきた。前足を挙げてきょろきょろと辺りを見回した。口からは涎だろうか、いささかの粘りを持った液体が垂れている。垂れていないものもいる。一匹が生の私に気づき、こちらへ向かってきた。すると他のネズミ達も後ろからぞろぞろとついてきた。私は恐怖のあまり動くことができない。ネズミは生理的に無理だった。見ることはできるのだが、どうしても触れられないし、触れないのだ。


 彼らは私の足を登ってきた。悲鳴とも呻き声ともつかない音が咽から漏れる。振り払う事すらできずネズミ達に自分の体を登られる。一匹が私の肩まで登り、顔に鼻を近づける。彼らの放つ腐った黄身の臭いが私の鼻孔を突き、反射的に私は顔を横に背ける。すると、ネズミ達は一斉に私の体から降りて部屋の真ん中に戻っていった。私は少し唖然としながらも彼らが離れてくれたことに安心する。


 またもや彼らは前足をあげて周りを見回していたが、次はベッド方へ向かいだした。この月明かりではベッドの輪郭を見るのがやっとだったが、彼らは先ほど生の私に対して行ったように死の私の上に登り、匂いをかいでいるのだろう。死んでいるとは言え私なので、流石に良い気はしない。でもどうすることもできずただベッドの方をぼんやりと見つめる事しかできなかった。


 彼らはしばらく匂いをかぎながら体の上を這い回っていたようだったが、やがて動きを止めた。そして音を立て始めた。でもここからでは良く聞き取れなかったのでぎりぎり鎖に引っ張られない範囲で体を移動させ、耳の横に手を当て、音を聞こうとした。

 最初は衣擦れの音に聞こえた。でも耳をすませて良く聞くと違った。でも音の正体が分かったとたん、私は後ろに飛びのいた。

 彼らは何かをかじり、すすっていた。この部屋には食料は無い。有るのは私二人の身体だけだ。


 私は必死に見まい聞くまいと、目をつむり、耳を両手で塞いだ。でも無駄だった。私を咀嚼する音は少しづつ大きくなり、瞼の裏には想像されたネズミに食べられる私の図が映っている。自分の息が荒くなっていく。


「やめて」と叫びたかった。でも叫べなかった。もし叫んだら、彼らの興味がこちらに向き、生の私が食べられる事になるのかもしれない。そんな保身の為に私は叫べなかった。

 咀嚼音は更に大きくなり、映像は生々しくなっていく。

 耐えきれず私は目を開けてしまう。それと同時に音がやむ。ベッドの足が眼前に映っている。ベッドと私は窓の前に移動していた。おそるおそる、目線をあげる。下敷きのシーツは真紅の色に染められ元の白は見えない。ネズミの姿は見えなくなっていた。死の私は首元まで血で斑になったシーツが掛けられていた。私を縛っている枷は消えていた。立ち上がり、ベッドの端にそっと手を掛ける。ぐじゅ、と血の湿り気の気持ち悪い感触が伝わってくる。シーツの膨らみが明らかに最初に見えた時と違った。すべてが平坦だった。胸の膨らみすらも見えない。シーツに手を掛ける。染みている血の重みが伝わってくる。一息でシーツを一気に剥がす。


 死の私の肉体はネズミによって首から下をすべて食べ尽くされ、残っているのは白い骨のみだった。肉片一つすらも残されていない。月明かりに照らされ、私の身体は光を鈍くまとわせていた。その光景はおぞましいというよりも、幻想的に見えた。その骨だけの手をそっと握った。前より堅く冷たい。

 死の私の顔は以前と変わらない表情で笑っていた。

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