第1話 眠り1
廊下を歩いていた。右には鉄格子が取り付けられた窓が、左には部屋番号がかかれているのぞき窓付きの白いドアが、お互い向かい合う形で等間隔に並んでいる。
早朝の様で窓からは白く眩しい光が射し込んできている。私はその廊下を決して急ぐことなく歩いていく。その廊下は行き止まりが見えず、どこまでも続いているようで、奥の方は白い霧のような物がかかっていてよく見えない。
通り過ぎる部屋のどれからも物音は聞こえず、気配も感じられない。私は自分自身がどこに向かっているのかが分からなかった。ただ歩かなければ、という意志だけで歩いていた。
一キロ程歩いたところで私の足は止まった。横を向くとドアがある。そのドアには番号「4891」の下に名前が書かれている。その名前がなぜか私には読みとることができなかった。私がいつも使っている言語で書かれているのにも関わらず、だ。
ドアノブに手をかける。鍵はかかっておらず、すんなりとドアは開いた。
殺風景な部屋だった。入って正面の奥の窓には廊下と同じような鉄格子に加えて、網状の柵が鉄格子と窓の間にあった。部屋の右隅にはベッドとその横に丸椅子がおいてある。白い一人用ベッドは貧相な作りでこそないものの、お世辞にも豪華とは言い難かった。丸椅子は銀の四本足に白いクッションがついた簡素な物だった。それ以外には部屋の中には何も置かれていない。
私はベッドに近づいた。ベッドには人が一人、横になっていた。シーツの膨らみ具合からして体格は私とほぼ同じように見える。顔は頭からシーツを被っているので判別できない。そこに人がいると分かった時、私はいささかの違和感を覚えた。
私はベッドの横まで歩き、丸椅子に座った。私の気配に気付かないらしく、ベッドの人物は動かない。熟睡してしまっているのだろうか。違和感は段々と強くなっている。
シーツの端から頭が全体の三分の一ほど見えていた。私は少しの間それを見つめていた。その時ふと、違和感の正体がわかった様な気がした。その正体の確証を得るため、私はシーツにそうっと優しく手を掛けた。そしてそろそろと顔が見える様にシーツをめくっていった。
ベッドの上には私が眠っていた。あれ、と私は戸惑った。そのまま体半分までシーツをめくる。ベッド上の私は体に何も衣服を身につけていなかった。
私は私の口元に耳を近づけ、胸に手を置いた。息は聞こえず、胸は動かずそして冷たかった。私は死んでいた。それが感じていた違和感の正体だった。
シーツを全部取り去る。死の私の身体は生の私とほぼ一緒だった。右腕のほくろの位置。右足の小指の爪が少し欠けた部分。左右の胸の形の違い。それらの細部まで私と一緒だった。ただ一つ、顔の表情を除いて。
生の私はベッドの上に乗り、死の私の上に跨る。手を付き、よく見るために顔を近づける。少し低い鼻。ちょっと横に出っ張った耳。見れば見るほど顔の形は同じだった。でも、何かが違うのだ。先ほど感じていた物とはまた違う違和感が死の私にはあった。
そっと、口づけをしてみる。私の唇は柔らかく、そして冷たかった。頭の中にあるイメージが浮かんだ。
そのイメージは複雑で浮かんだ自分でさえ理解するのが難しく、表現するのは更に難解だった。簡潔に言うと生の私が低所に存在し、死の私が高所に存在しているというイメージだった。
口を離し、自分の体を優しく撫でていく。少しでも爪を立てたら傷ついて血が出てしまう程度に脆く、ガラス玉の表面の様な触感の肌だった。死後硬直は起こっていない。冷たく動かない事を除けば生の私となんら変わりはなかった。
顔を上げて正面を見ると鏡が壁に掛かっていた。部屋に入った時にはあった記憶がないのだが、いつの間に現れたのだろう。私はそれを取り外し、死の私の顔の横に置く。そして鏡に映った生の顔と死の顔を比べてみる。
あっ、と声を出して私は気付く。二つの顔には明確な違いがあった。生の私の顔は疲労が溜まっているのが手に取るように分かり、瞳には生気が宿っておらず、苦しんでいる。
死の私の顔は疲れひとつ無く、瞳こそ見えないものの顔全体から生気を放っており、まるで幸福の最中にいるように笑っていた。
なんの前触れもなく私は突然気持ち悪くなる。ベッドから転がるように降りて部屋の隅で吐こうとする。
しかし、胃液以外何も出てこなかった。しばらくげえげえやったら多少気分が良くなり、部屋の隅から少し離れ、壁に背を預けた。ぼんやりとベッドの私を見つめる。
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