第2話 初めての悪意


 シュヴァイゼルトが馬車に乗り、なんとか無事にセレイルを抜け出して早5日目。

 床に直座りのせいでお尻は痛いし、窓がないせいで旅の景色を満喫することもできないが、一時休憩で馬車から降りる度に変わる景色に心躍らせていた。

 セレイルから出たことがほとんどなく、幼い頃の記憶も曖昧なシュヴァイゼルトにとって、外の世界で見る全てがとても新鮮で、心を満たす。


 陽も落ちかけた夕暮れ間際、今日の夜営場所を目指して進む乗り合い馬車。

 平らにならされた馬車道のおかげで、荷台を引く2頭の馬は足取りが軽やかだ。対照的に、1人手綱を握る御者の顔には疲れの色が浮かんでいる。

 荷台の中は多少の揺れこそあるものの、横転の心配をする必要がない程度に落ち着いていた。


 進行方向右側に続く高い崖は険しく切り立っていて、断面にはいくつもの層がある。左側には大森林が広がり、コケの生えた岩や木が湿った空気を伝えてくるようだ。

 森に住む魔物は総じて弱く、雇われている冒険者たちなら倒すことも容易で、想像するほどの危険はないと言われている。


 御者の奮闘もあり順調に進んで行く一行は、予定していた野営地に辿り着くと、簡易テントを設置しはじめた。

 崖が大きくえぐれたようにくぼんだこの場所は、夜間に背後からの襲撃を心配する必要がない。護衛をする冒険者たちとしても、森側だけ気にしていれば良いので負担が少なくて済む。

 そんな理由もあって、ここを通る乗合馬車のほとんどはこの場所で夜営をすることが通例となっていた。


 テントの設営に目処がつくと、御者は火を起こして食事の準備を始めた。冒険者たちは漂ってくる良い香りにお腹をさすりながら、夜営準備の仕上げとして、テントの周りに魔道灯具マジックランプを設置し、明りを確保していく。

 簡素な温かいスープと干し肉、黒パンが配られると、一同揃って頬張り始めた。


 食事を終えて一心地ついていたシュヴァイゼルトに、背後から声がかけられる。


「私たちは寝る前に身体を動かしにいきますが、君はどうします?」


「今夜もお願いします!」


 声をかけてきたのは、旅慣れていないシュヴァイゼルトに色々と世話を焼いてくれたり、豆知識を授けてくれる親切な2人組。マードックとゴーダンだ。


 マードックは腕や肩にいくつも傷跡のある、冒険者を思わせるいかつい風体で、ゴーダンは学者風の知的な雰囲気を纏う優男。対極的にも思える2人は仕事仲間らしく、セントレア迷宮の情報を集めにいく道中だという。


 2日目の馬車の中でシュヴァイゼルトに声をかけた2人は、少年から夜眠れないと聞き、身体を動かすと寝付きが良くなるし、簡単な護身術くらいなら教えようと提案。今夜も誘ってくれたのだ。

 大きな音を立てるようなことはしないが、少し離れた場所に移動していく3人。

 その背中に向けられた鋭い視線に、誰一人気づくことはなかった。


 ちょうど近くに小さな洞穴があり、その中なら迷惑にならないだろうと、洞穴で身体を動かすことに決めた3人。昨夜からの続きで、攻撃をかわす練習をしていく。練習相手はゴーダンだ。

 

「そうです、怖くても攻撃から視線を外しちゃいけませんよ。格上の相手をせざるを得ない時なんかは、常に次の攻撃を予想しながら避けるんです」


「は、はいっ!」


 初日の練習に比べれば格段に早い速度で打ち込まれる拳を、ギリギリのところでかわしていくシュヴァイゼルト。子供相手だからと手を抜いているとはいえ、教えたことを素直に吸収していく姿にゴーダンが微笑む。


「うんうん、そろそろですね」


 突然早さが増した鋭い拳を、とっさに身をひねりかろうじてかわすシュヴァイゼルト。


「あれを避けるたぁ筋が良いな。だが残念、まだ経験不足だ」


 体勢が崩れているシュヴァイゼルトに、横からマードックが右拳を腹部目掛けて振りぬく。

 

「ガハッ!!」


 連続攻撃、その上2人がかりで不意打ちまでされては回避できるはずもなく、衝撃で勢いよく壁に叩きつけられる。

 身体に走る激痛に顔を歪ませ、殴られた腹部を押さえながら、状況が理解できないシュヴァイゼルトは、問いかけるような視線を二人に送る。


「おいおい、本当に世間知らずなガキだな。俺たちがお前に親切心でこんなことしてたと、本気で思ってんのか?」


「まぁまぁ、これから有り金を全て頂くんです。少しくらい説明してあげてもよいのでは?」


 シュヴァイゼルトは、一瞬耳を疑ってしまった。

 呆ける少年を眺めながら、先ほどまでと変わらぬにこやかな笑みを浮かべるゴーダン。

 

「ったく、仕方ねぇな」


 マードックが面倒そうに説明してくれた内容は、少年にとって信じたくない内容だった。


「なりふり構わない様子で馬車に乗りたがり、銀貨1枚という高い金額にも悩むことなく即断。庶民とは思えないその羽振りの良さから、訳ありの貴族かなにかかと思えば、武器1つ携帯していない。格好も貴族とは思えないほどみすぼらしいもので、お忍びで乗り込んだのならば近くに護衛がいるのかもしれないと、念には念を入れて数日かけて様子を見るもそんな気配は微塵もねえ。それならばさぞや実力があるのだろうと適当な提案で手合わせしてみるが、動きはてんで素人ときたもんだ」


「世間知らずで実力も後ろ盾もないのに、大金を持ち歩いていると思われる子供。狙ってくださいと言わんばかりじゃないですか。これほど良いカモはいないでしょう?」


 そんなこともわからなかったんですか? と愉快そうに笑うゴーダンに、シュヴァイゼルトは言葉が出ない。


「無防備すぎる自分を恨むんだな。これ以上痛い目にあいたくなきゃ、さっさと金をだせ」


「っ……」


 先のことを考えてしまうシュヴァイゼルトは、すぐにお金をさし出すことが出来なかった。頭の片隅に『この程度のことで人を殺すはずがない』と、そう思っていたからだ。


「立場がわかってねぇようだな」


 うずくまっている所にさらに蹴りが加えられ、地面を転げまわる。


「ァァアアァアアアア!!!」


「なかなか良い声で鳴くじゃねぇか。でも残念、聞きたいのはソレじゃねぇ。金を出すのか、出さないのか。早くハッキリさせないと、痛い目にあうだけだぜ?」


 見せ付けるように拳を手の平に数回叩きつけ、残虐な笑みを浮かべながらシュヴァイゼルトを見下し、さらに威圧する。ようやく、自分が死ぬかお金を渡すまで暴行は終わらないと悟った。

 収納拡張魔道具マジックバッグには使用者の魔力が登録されるため、基本的に持ち主以外は中身を取り出せない。

 このままでは自ら差し出すまで暴行を受け続ける事になる。少年は、顔を青ざめさせながら震える手を収納拡張魔道具マジックバッグに入れると、硬貨の入った袋を取り出して差し出す。


「こ、これで全部です……」


「物分りが良くて助かりますね。ほう、これは思ってたよりもってましたね」


「まじかよ。おっ、こいつはかなりの儲けだな。そしてやっぱりこいつはバカだ」


 袋の中を確認しながら、大笑いする2人。


「なぁおい、こいつごと連れてった方が良くないか? 良い金づるになると思うんだが」


「そうですねぇ――」


「カーン! カーン! カーン!」


 ゴーダンの言葉を遮るように大きな鐘の音が響き渡り、外からは悲鳴が聞こえて来た。


「ちっ、緊急出発の鐘かよ! ゴーダン、急げ!」


 走り出したマードックの後を追い、走り出すゴーダン。


「仕方ありませんね。君には戻ってこられると困るので、ここで大人しくしていてもらいます。運が良ければ生き残れる……かもしれませんよ?」


 ゴーダンは動けないシュヴァイゼルトの腹部に、助走をつけた状態で一発蹴りを入れた。


「ゴフッ!」


 再びお腹を抱えてうずくまったシュヴァイゼルトを横目に、ニッと笑みを零すと走り去っていくゴーダン達。

 シュヴァイゼルトはその後ろ姿を見送ることしかできなかった。


 緊急出発の鐘。

 それは魔物が対処しきれないほど確認されたため、即座にこの場を離れる合図。

 御者に聞かされてはいたが、まさかこんなタイミングで聞くことになるなんて……。

 立ち上がる力も無いシュヴァイゼルトは、どうか見つかりませんようにと祈り続ける。


 極度の恐怖と緊張、中々引かない鈍痛のせいで、体感で数時間にも感じられるほどの時間の中。

 痛みも引いて立ち上がれるようになったシュヴァイゼルトは、外から物音がしてこないことが気にかかり足音を立てないようゆっくりと出口へ向けて動き出した。

 壁に背を付け、かすかに外の様子が確認できる程度に顔を出し、周囲を観察してみるが、人はおろか魔物の影すらない。目に入るのは、月明かりに照らされた深い森だけ。


「どうやら見つからずに済んだみたいだ……」


 大きく安堵の息を吐き出すと、キャンプを設営していた場所に何か残されていないか確認を始める。

 大半のものは持ち出されて残っていないが、幸運なことに砂埃にまみれた毛布と麻袋、魔道灯具マジックランプと小さな鍋を発見。麻袋の中には少量の干し肉と黒パンが入っていた。

 量は多くないが、少しずつ食べれば数日は持つ。限界が来る前にきっと、乗ってきた馬車と同じようにセリエンスを目指す馬車が通るはずだ。事情を説明すれば、きっと助けてもらえる。

 そう考え、少年は再び洞穴に戻ると毛布に包まって浅い眠りについた。


 翌朝目覚めたシュヴァイゼルトは、何気なくステータスを確認して驚く。


「え?! 技能スキルが増えてる?!」


 目の前に浮かぶ半透明のガラス版のようなものには自身の職業クラスが表示されており、今まではクラスのみ表示されていたが、いつの間にかそこから派生するように技能スキルが並んでいた。


「理由はわからないけど、良かった……。僕にもちゃんと使えるスキルがあったんだ……」


 今にも泣きそうな目をしながら、嬉しそうに笑うシュヴァイゼルト。

 だが、スキルの詳細を読んで首を傾げる。何度か発動させとうと試してみても、一向に発動する気配がない。

 試行錯誤してみたものの結局スキルが発動することはなく、やがて食料が尽き、空腹を我慢しながら待てども待てども、馬車はおろか旅人すら通ることは無く、焦燥感を募らせる。

 

「どちらにせよこのままじゃ死を待つだけだ……」


 覚悟を決めたシュヴァイゼルトは、思案を巡らせ今後取るべき行動を考え始めた―――。

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