第1話 追放


 儀式の翌朝、部屋をノックする音で目覚めたシュヴァイゼルト。

 慌てて簡単に身なりを整えると、扉を開けた。


「おはようございます、坊ちゃま」


 部屋の前に立っていたのは、シュヴァイゼルトのお世話係である初老の執事。穏やかな笑みを浮かべてはいるが、どことなく元気がない。


「おはようございます、ロットメイさん。何かありましたか?」


「……旦那様がお待ちです。至急書斎へ来るように、と」


 表情の意味に気付いたシュヴァイゼルトはすぐさま着替えを済ませると、姿見の前に立って最終確認を行い、一度深呼吸してから部屋を出るとロットメイの後を重い足取りで書斎へ向かった。


「ずいぶんとゆっくり寝ていたようだな?」


 部屋に入ってすぐにかけられた言葉はとげとげしく、嫌味だとすぐに理解できた。


「申し訳ありません、お義父様。職業クラスのことで頭を悩ませてしまい、中々寝付けず……」


「ふん、言い訳など良い。お前に悪い知らせだ」


 口元に浮かべた笑みを隠すことなく言い放つザギムに、どれほど面倒なことをさせられるのかと身構えるシュヴァイゼルト。


「……なんでしょうか?」


「なに、難しい事じゃない。シャンバール家の名を今後名乗らなければそれで良い」


「……はい?」


「お前を引き取ったのは、私の人生最大の過ちだった。まぁ、今更だがね。準備を済ませたらさっさと出て行ってくれ。二度と私の前に顔を見せるな」


「な……?!」


「異論は認めん、さっさと消え失せろ」


 空中を飛び回るハエを追い払うように面倒そうに手を振ると、机に並べられた書類に目を落とす。

 シュヴァイゼルトは自室に戻りながら、この家に来てからの日々を思い出していた。


 ――まだ幼かった頃、両親を亡くした僕をシャンバール家が引き取ってくれた。

 義母さんの話では、突然義父さんが僕を連れてきたらしい。

 新しい家族ができてからも自室で1人ふさぎこんでいた僕を優しく抱きしめ、泣き止むまで頭を撫でてくれた義母さんの温もりを、優しさを今でも良く覚えている。

 それからは貴族としての勉強など、色々なことがありすぎて目まぐるしい日々が続いたけど、いつでも優しく微笑みながら見守ってくれた義母さんのおかげで乗り切ることができた。

 義父さんはとても厳しかったけど、練習問題などで満点を取ったりすると微笑みかけてくれることもあって、家族として少しずつ受け入れてきてくれているんだと信じていた。

 ようやく成人を迎え、この家に――家族に恩返しが出来ると思っていたのに。

 義母さんがいれば、もしかしたら義父さんの事を説得してくれたかもしれないけど――。


 くよくよしていても仕方が無い。ザギムは一度言った事を簡単に覆すようなことをしないのは、よく知っているつもりだ。シュヴァイゼルトはそう割り切ると、身支度を始めた。

 とはいえ、彼に持っていくものはほとんど無い。というより、持っていけるものがほとんど無いと言ったほうが正しいか。

 衣類も武器も食料も、全てはシャンバール家のお金で買われたもの。今着ている服ですら、当主であるザギムの所有物なのだ。

 数少ない私物である幼少の頃より持っていたペンダントと、誕生日にもらった斜めがけの拡張収納魔道具マジックバッグ。家族にも内緒でこっそりとしていたバイトの稼ぎで買ったお忍び用の平民服に着替え、そのほかはカバンに仕舞っていく。


「経験のためにとやってた事だったけど、今となっては心底良かったと思えるよ……」


 問題は圧倒的に所持金が心許無いことだ。

 どんなに節約しても、せいぜい1ヶ月程度で貯金が底をつくだろう。

 シュヴァイゼルトは小袋の中に入ってる硬貨を眺めながら、ため息をついた。


「我ながら追い出されるっていうのに順応するのが早すぎて驚くなぁ。切り替えは早いほうだと自覚していたけどさ……」


 脱いだ服をきれいに畳んでベッドの上に置いたり、着々と家を出る準備を進めていく。

 やるべき事を済ませて部屋を後にすると、ザギム担当の執事が現れた。


「こちらをお渡しするようにと」


 差し出されたトレイの上には、手のひら大のメダルと銀貨が入った小袋が置かれている。


「……これは?」


「坊ちゃ……いえ、シュヴァイゼルト様のから家印ルーンと餞別だそうです」


「……そうですか。ありがとうございます」


 家印ルーンは国が製造・管理を行っている、中央に水色の宝石がはめ込まれたメダル形の魔道具。出生と共に魔力を媒介に専用化したうえで、家名の登録も行われる。

 家印ルーンは公的な手続きで必要になるだけでなく、貴族ならば有事の際に家名の証明にも用いるのだが、空にされた状態で渡されるということは、すでにシャンバール家に名を連ねていないということに他ならない。


 例外を除き、成人の儀を終えた際に両親から渡され、大人としての一歩を踏み出すのが通例。シュヴァイゼルトは家印ルーンを受け取ると、何の模様も浮き上がっていない裏面をじっと見つめていた。


「旦那様に何かお伝えしたい事はございますか? 伝言を承ることもできますが」


「いいえ、けっこうです。今までお世話になりました」


 シュヴァイゼルトは頭を下げると、振り返ることなくその場を後にする。

 すでにこの家に居場所はないのだと思い知らされたからか、シャンバール家の敷地を出る際にも家に対して未練はなかった。

 街へ向けて歩いていると、澄み切った青空が目に入る。


「良い天気だなー。絶好の旅立ち日和と言うのかな」


 シュヴァイゼルトは空を眺めながら、今後のことを考えていく。

 セレイルにとどまるとよくないだろうから、街を出るのは決定事項。街の外には魔物もいるんだ、武器の1つは持っていないといざと言う時に困る。

 それならばと、シュヴァイゼルトは武器屋を目指すことにした。

 道中、シュヴァイゼルトの姿を見た住民たちがヒソヒソと何か言っているが、聞き耳を立てても声が小さすぎて聞き取れない。ただ、どこか睨まれているような感じがして落ち着かず足早に移動していく。


 シュヴァイゼルトは自身の容姿がとても目立つことを自覚している。

 というのも、真っ黒という珍しい髪色に加えて、手入れの行き届いたサラサラストレートのミディアムヘア。

 顔立ちは中性的で整っており、成人してもどこか可愛らしさが残っている。身長も170に届かないくらいで、体つきも細身。


 きっと容姿のせいで悪目立ちしているんだろうと視線を気にしないことにし、程なくして武器屋についたシュヴァイゼルトだったが、武器はおろか小さなナイフ1つすら買うことはできなかった。

 別の武器屋へ行っても、雑貨屋へ行ってもなぜか門前払いされてしまい、保存食から飲料水に至る全てのものが購入を断られるのだ。

 それも、どこへ行っても親の敵と言わんばかりの視線をぶつけられる始末で、シュヴァイゼルトには意味がわからなかった。

 諦めずに表通りに立ち並ぶ店を巡っていき、今度こそはと雑貨屋の店主に声をかけると、怒鳴り声が返ってくる。


「いい加減にしろ! この街でお前に商品を売る店なんかねえってまだわかんねぇのか!!」


 シュヴァイゼルトが次々に袖にされた姿を見ていた店主は、我慢の限界だったのだ。


「ど、どうしてダメなんですか?!」


 仮にザギムが手を回していたのなら、断られることはあっても目の敵にされることはない。

 ただの客として来ている自分が、ここまで邪険に扱われる理由がシュヴァイゼルトには思い当たらなかった。

 謂れのない扱いに反論してしまったことで、店長の怒りが限界を超える。


「この後におよんで、どうしてだぁ?! 馬鹿にすんのも大概にしやがれ! こちとら殺してやりてぇ気持ちを必死で我慢してんだよお!!!」


 陳列棚を力の限り叩きつけ、抑えきれない怒りに震える店主。その怒りに同調するように、周囲からも鋭い視線が浴びせられた。

 シュヴァイゼルトはわけもわからずその場から逃げ出すと、鬼のような表情で後を追う雑貨屋の店主。それに続くように、次々と別の店から怒気を含んだ声で「あいつを捕まえろ!」と店主や店員らしき人物が飛び出していく。

 シュヴァイゼルトは必死に路地や裏道など無我夢中で走り続け、気付けば街の出入り口の1つ、東門付近までたどり着いた。


「はぁ……はぁ……。一体僕が……何をしたって言うんだ……」


 膝に手をつき、肩で息をしながらかすれた声で呟く。

 店主たちは姿を見失っても諦めてはいないようで、少し離れた場所から「どこにいきやがった!」と怒鳴り声が次々に聞こえて来る。

 シュヴァイゼルトは慌てて周囲を見渡すと、発車寸前の乗合馬車が目に止まった。このままではすぐに見つかってしまう。武器も持たずに1人門から飛び出すのも自殺行為だ。


「あ、あの! 僕も乗せてください!」


 馬車に駆け寄り声をかけると、御者はシュヴァイゼルトを一瞥。


「なんとか乗れるとは思うがね。急な飛込みだから割り増しになっちまうし、何より……。まぁ、あまりオススメしないぜ?」


「かまいません! お願いします!」


 辺りの雰囲気と少年の様子から、何かを察したのだろう。御者はそれ以上引き止めるようなことはしなかった。


「そうかい。到着予定は七日後、目的地は迷宮都市セリエンス。料金は銀貨1枚。護衛の冒険者はやとっているし、比較的安全な経路を進んでいく予定でいるが、思いがけない事故や魔物との戦闘で到着が伸びることもある。トラブルの際は、うちじゃ責任を負わない決まりだ。西門に行けば隣町への馬車もあるが?」


「わかりました。乗せてください、お願いします!」


 シュヴァイゼルトが銀貨を1枚手渡すと、御者はほかに聞こえないよう、小さな声で語りかける。


「……いいか、命より大切なものはねぇ。忘れんな」


 少年は御者の言葉に頷くと、そそくさと馬車の中に入る。

 先客が10人ほど椅子に座っていたため、隅の隙間に座り込むと馬車が発車。

 住民たちに見つかる前に街を出られたことに安堵しながら、これからどうやって生きていくのかを少年は考え始めるのだった―――。

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