そういうところは


 私たちはみゆきちゃんの家に着き、荷物を置いて少し休憩をしてから買い物に出かけました。あたりには学校が終わり家に帰っている小学生(高校生の私たちよりも下校が遅いとは。最近の小学生は大変です)や、公園でサッカーをしている小学生、犬の散歩をしている小学生――……あれ、さっきから小学生ばかり見ている気がします。確かにみゆきちゃんの家の近くには小学校があるので、それは不思議ではないのですが、まさかここまでとは驚きです。とにかくこの時間帯は、小学生が多いということがわかりました。

 みゆきちゃんはというと、ここまでたくさんの後輩たち――それも低学年から高学年にかけて偏りない――と道端ですれ違うことを考えると、やはり手を繋いで買い物に行くのは恥ずかしいらしく、私は家を出てからは、彼女の手の温もりがご無沙汰になっています。でもまあ仕方がありません。そうして歩いていたら、絶対に小学生たちの悪意のない攻撃にさらされることになりますから。無邪気な質問ほど怖いものはありません。

 その彼ら、彼女らの中には羨ましいことに、極めて社交性に優れた人たちがいて、私がみゆきちゃんと仲睦まじく歩いていると、一人の女子小学生が声をかけてきました。

「お姉ちゃんたちどこ行くの?」

 外見から判断すると小学校中学年といったところ。彼女は手提げのかばんを持っていて、友達の家に遊びに行くか、塾か習い事に行く途中なのでしょう。そして一方は手ぶら、他方はトートバッグを持っている女子高生二人に、何か異様なものを感じて話しかけたわけです。

 うむ。確かに珍しい光景なのかもしれません。

「お姉ちゃんたちは買い物に行くんだよ」と私は答えます。「お弁当を作る材料を買いに。明日は運動会があるからね」

「えっお弁当作るの? お姉ちゃんが?」

 驚かれちゃいました。

「うん、ハンバーグを作るんだよ。……といっても私は、この隣にいるお姉ちゃんのお手伝いさんみたいな感じだけどね。この人とっても料理が上手なんだよ」

「すごい……」

 彼女は目を丸くして言いました。

 小学生からしたら、お弁当を自分で作るなんて選択肢はないのでしょう。そう考えると私はとてもすごいことをしている気になります。

 しかし調子に乗るといいことがないことを、私はすでに学んでいたのでした。

「えっと……君……でいいのかな、君はこれから何しに行くの?」

 すると一転、しょんぼりとした顔になってしまいました。

「知香はこれから塾。でも先生が厳しいから、あんまり行きたくないの」

「厳しい?」

「うん。計算間違いすると、『なんでこんな間違いするの』って怒られるから。他の人はそんなに厳しく言われないのに、知香だけ言われる。……先生に嫌われてるのかも」

 ああ……。計算間違いですか……。

 高校二年生になっても元気に間違っている人がここにいます。なので気にすることはないよ――とは言えません。そういう悩みではないのです。

 ううむ。こういう時は。

「もしかしたら先生は、知香ちゃんのことが好きなのかもしれない」

 隣でみゆきちゃんがピクッと動くのが見えました。

「本当に嫌いだったら、厳しく言うこともしないんじゃない? 知香ちゃんのことが好きだから、力が入っちゃって、本当はそんなこと言いたくないんだけど言っちゃうんだよ。知香ちゃんに頭が良くなってほしいからね。うん、きっとそうだ、間違いない」

「でも先生は女の人だよ?」

「好きになっちゃったら性別なんて関係ないよ。好きなものは好きなんだもん」

 ちょっと恥ずかしいことを言った気がしますが気にしません。みゆきちゃんの方も見ません。

 知香ちゃんは手提げのかばんを持ち替えて言いました。

「うん……そうなのかな。前に一回、優しくしてくれた時あったし……」

「うん。きっとそうだよ。だから先生がちょっと厳しいこと言っても許してあげてね。あとで絶対後悔して落ち込んでるから」

 知香ちゃんは小さく頷きました。素直でかわいいなあ。

 私は「でも」と続けます。

「でももし先生の言い方がひどすぎたり、ちょっと我慢できないなと思ったら、周りの人に相談してね。必要な時は亀池南高校まで来てくれたら、私も相談に乗るよ」

「お姉ちゃん、亀南の人なんだ」

「うんそうだよ。すぐそこにあるからいつでも来てね」

 知香ちゃんは晴れやかな顔になって言いました。

「わかった。お姉ちゃんありがと。ちょっとスッキリしたかも」

「えへへ、それならよかった」

 私としては、小学生がちゃんとお礼が言えるというだけで立派だと思います。小六の弟は生意気盛りで、簡単にはお礼を言いません。言ったとしてもとても出し渋ります。この前弟が友達の家にお泊まりに行った時にゲームを忘れたと言って、私が雨の中届けに行ったことがあったのですが、その時もそっけないお礼でした。その帰り道のやり切れなさと言ったらなかったです。……昔はもうちょっと可愛げがあったのですがねえ。

 知香ちゃんは左手につけている腕時計を見ました。

「知香もう時間だから行かなきゃ」

「あ、そうだね。じゃあね、バイバイ」

「うん、じゃあね」

 私が手を振ると、知香ちゃんも手を振り返してくれました。隣ではみゆきちゃんも小さく手を振っています。

 彼女が遠くに行ってから、私たちは再び歩き始めます。年下の女の子と話すのは、お正月親戚が集まった時以来だったので、とても久しぶりでした。高校生にもなると、姉妹がいなければあまり話す機会がありません。小学生の通う塾にバイトでもすれば話せるかもしれませんが、そもそも亀池南高校は、長期休暇以外のアルバイトを認めていないのです。

 みゆきちゃんは歩きながら、優しい声音で話し始めました。

「こだまのそういうところはお姉さんっぽいわね」

 私は『そういうところは』というところが気になりましたが、あえて指摘せず「そうかな」と答えました。

「ええ。下に弟がいるとそうなるのね。私は末っ子だからなのか、そういうの全然駄目なの。私が話をしようとすると、何かを責めているように感じるみたいだし、私が質問しようとすると、詰問されているように思うみたい。別にそんなつもりはないのにね。だから小さい子と話すのは苦手。今はこだまがいてくれて助かったわ」

「うーん、そうかなあ。みゆきちゃん優しいと思うけどなあ」

 私は彼女の顔を見て言います。

「でもそれは人には伝わりにくい優しさなのかもしれない。表に出にくい優しさというか、影にあって見えにくい優しさというか。……例えばさっきからさりげなく車道側を歩いてくれているところとか、そうでしょ」

 みゆきちゃんの顔が少し赤くなりました。

「私はそれに、ちょっとしたギャップを加えたい。みゆきちゃんさっきから必死に隠そうとしてるけど、そのトートバッグ、猫の絵がプリントされててとっても可愛いよね。一見厳しそうなみゆきちゃんがそういうのを使っていることを知ったら、小さい子はイチコロだと思うけど」

 さらにいうと私もイチコロなのですが。彼女のそうしたギャップは、黒い虫を退治するスプレー並みに強力です。……例えがあまりよくないけど。

 みゆきちゃんは顔を赤くして、唇を押さえながら言いました。

「こだまのそういうところ、ずるいわ」

 彼女はしばらく顔の色を隠すような素振りを見せました。そっぽを向いたり手で隠したり。気恥ずかしさを抑えられないみたいです。

 ううむ。そういうところも可愛いと言ったら、みゆきちゃんの逃げ場がなくなってしまいそうです。だからそれを言うのはやめておきました。

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