初デートはeverywhere

 それからしばらく歩いたところに目的地のスーパーはありました。どこにでもある普通のスーパーです。金曜日の夕方ともなると買い物客も多くなるらしく、駐車場の三分の二以上は車で埋まっています。みゆきちゃんは「車に気をつけてね」と言って敷地に入り、私もそれに続きました。外からでも店内の軽快なBGMが聞こえます。お母さんと一緒の幼稚園児とすれ違って、私たちは自動ドアを通り抜けました。

 お店に入って、少し歩いたところでみゆきちゃんは立ち止まり、ポケットから紙切れを取り出しました。

「はい。これが今日の買い物リストよ。こだまに渡しとくわ」

「え、うん。結構量あるね」

「そうね。まあ四人分だからいつもの四倍、それくらいだと思ったの」

「なるほど。さすがみゆきちゃんだ」

 驚くなかれ、彼女は毎日自分でお弁当を作っているのです。それは料理の感覚がつくわけです。女子力を通り越して主婦力が高い。

 みゆきちゃんは「それじゃ、まずは野菜からね」と言って颯爽と買い物かごを持ちました。


 私の家の近所のスーパーは、野菜売り場のあたりの空気がとても冷たくて、体が冷えてしまうのですが、このスーパーにはその心配は必要ありませんでした。それかみゆきちゃんとの初めてのお買い物に、気づかぬうちに緊張して、体温が上がっているのかもしれません。少なからずそれはあると思います。

 それにしても、これは一応、デートということになるのでしょうか。逆に、恋人同士で買い物に行っているのに、デートと呼ばないのはおかしいのでしょうか。

 デート……デート、か。もし初デートが近所のスーパーだとしたら、それはなかなかのものです。どういう「なかなかのもの」なのか、説明するのは難しいですが、とにかくなかなかのものなのです。決して残念に思っているわけではありません。物足りないとも思っていません。むしろこれは絶好の機会です。

 それはなぜか。

 まず、スーパーでみゆきちゃんが買うものを見ることによって、普段の彼女の主婦スキルを体感することができます。みゆきちゃんがいかにして料理の計画を立て、そしてそれを実行しているのか、目の前で見ることができるのです。そんな機会は滅多にありません。恋人である私にのみ与えられた特権です。クラスメイトはみゆきちゃんが普段どんな玉ねぎをハンバーグに入れているのか、目の前で確認することはできないのです。だから私は非常に貴重な体験をしています。

 それだけではありません。見てください、買い物かごを持った彼女の勇姿を。教室の中では落ち着いていて、賢くかっこいいみゆきちゃんが、真面目な顔で玉ねぎを選んでいるのです。一体誰がそんな彼女の姿を、教室の中で見れるのでしょう? やはりそれはスーパーの中でしか、見られないのです。

 よかった、みゆきちゃんとスーパーに来れてよかった、と私は心から言えます。

 さっきからジロジロ見ていたのがバレたのか、彼女は玉ねぎをかごに入れ、「人参はこだまが選びなさい」と言いました。私が「みゆきちゃんの選んだ人参が食べたい」と、馬鹿げたことを言うと、彼女は「私はこだまの選んだ人参が食べたいわ」と、これまたおかしなことを言いました。

 それなら仕方がありません。

 ですが、それで簡単に引き下がる私ではありません。私は美味しそうな人参を選びながら、こんなことを言ってみました。

「みゆきちゃん。こうやって二人でスーパーで買い物してるとさ」

「そうかもね」

「……え、まだ私何も言ってないのに」

 出鼻を折られてしまいました。

 私がショックで倒れそうになりながら人参をかごに入れると、彼女はため息をつきました。

「今日のこだまの言動からして次にくる言葉は予測できるもの。……どうせまた私を赤面させて喜ぶつもりでしょう。そんなずるい手には乗らないわ」

「むう」 

 やはり賢いみゆきちゃんは、一筋縄ではいかないみたいです。過去の反省を生かし再発防止に努めています。

 ならば私は作戦を変えるまでです。柔軟な対応が重要なのです。

「みゆきちゃん、私の誕生日いつだか知ってる?」

「知ってるわ。……十一月二十二日」

「ふふ。そうだよ。いい夫婦の日だよ。みゆきちゃんよく覚えてたね」

 当たり前でしょう、と彼女は言いました。「そんなの忘れるわけないじゃない」

 力強く言うので私は照れそうになりました。

 危ない危ない。

「えへへ……じゃあさ、みゆきちゃん。私がどうしてそのことを今思い出したんだと思う?」

「どうしてそのことを今思い出したのか?」

「うん。どうして私はみゆきちゃんと一緒にスーパーで買い物をしている時に、私の誕生日がいい夫婦の日であることを、思い出したんだろうね?」

 みゆきちゃんは開きかけた口を閉じてから言いました。

「……こだま。その話の続きは帰る時にとっておきましょう。今は明日のお弁当の材料を買うことに集中した方がいいと思うの」

「うう、まあそうだね」と私は返事をします。

 それは正論でした。私としても彼女の買い物に水をさす真似はしたくありません。これはデートである以前に、大事な大事なハンバーグへの布石なのです。

 彼女は安心したような顔を浮かべ、ピーマンを何個か選んでかごに入れました。

「私もちゃんとみゆきちゃんの誕生日覚えてるよ」

 そう、彼女は小さく言います。

「来年は絶対、お祝いするからね」

 そのあとの彼女の横顔が、今回の作戦の最大の収穫だったということです。


 私たちはそれから売り場をあちこちとまわり、買い物リストにある食材の全てをかごの中に入れました。ですが肝心のものがありません。というかそもそも買い物リストにすら載っていないのです。それがなければハンバーグが成立しない――これでわかりますね。

「みゆきちゃん、お肉は買わないの?」

 私が聞くと彼女は微笑みました。

「それは明日のお楽しみね」

「何か訳ありな言い方だね」

「ふふ。まあ明日の朝まで楽しみにしていてちょうだい」

 なるほど。

 みゆきちゃんがそう言うなら、私は明日の朝まで楽しみにすることにします。

「私が楽しみにしすぎて、今日寝られなかったらどうする? そして寝坊して、ハンバーグ作りに間に合わなかったらどうする?」

「そしたらハンバーグはおあずけ。こだまの目の前で、由美さんと佳菜子さんと一緒に美味しくいただくわ」

「な。みゆきちゃんよくそんな酷なことを思いつくね。寝坊はそんなに罪なことかな」

「罪よ」と彼女は言いました。

「寝ぼけたこだまの顔を見ることができない悲しみは想像を絶するわ」

 みゆきちゃんは絶望の淵にいる、というよりは少し元気な顔で、可愛いトートバッグに買ったものを詰め終えました。


 外は夕暮れ時という感じでした。来た時よりも気温が下がり、少し肌寒いです。

 秋の空を見ると人は感傷的な気分になるようです。私たちはお互いの足音を聞きながら、静かに住宅街を歩いています。さっきまで流れていたスーパーの軽快な音楽との対比で、少し寂しくなります。

 只今私の右手は彼女と間接的につながっています。直接つながっているのではなく、間接的につながっているのです。

 スーパーでみゆきちゃんが買ったものをバッグに入れ終えたとき、彼女はそれを一人で持ちました。

 私は彼女が荷物を持っているのに、何も持たないでいることに罪悪感がありました。だから「私も半分持つよ」と言ったのですが、「それはいい」と彼女に断られてしまいました。そして彼女はバッグを持って歩き、私は手ぶらで歩きました。

 外を出てしばらく歩いたところで私はもう一度「半分持つよ」と言いました。みゆきちゃんは私を見て、「こだま、そんなに持ちたいの」と言って笑いました。

「そりゃあ持ちたいよ。みゆきちゃんの猫が描いてあるトートバッグを持つという素敵な経験をせずに、今日私は帰れない」

 みゆきちゃんは「そう」と言って、持ち手の一つを私に差し出しました。彼女の持っていた部分が少しだけ暖かい気がしました。

「これじゃあまるでカップルみたいね」

「みたいじゃなくて、本当にカップルでしょ。みゆきちゃん、忘れちゃったの?」

 彼女はふふふ、と笑いました。

「忘れるわけないわ。ただ今でも信じられないだけよ」 

「まだ、信じられない?」

「ええ……まあね」

 みゆきちゃんは噛みしめるように言いました。「もうこれは何度も話したかもしれないけれど――私の告白は、断られることが前提だったから。こだまにはすでに恋人がいて、私が振られることが前提だったから……だから私は今でも信じられないの。今こうして隣にこだまがいてくれることが、素直に好きな人の前で笑えることが……」

 彼女はその素敵な微笑みで私を見つめました。

「……私は最近そんなことばかり考えてるのよ。学校にいるときだって、家にいるときだって、勉強をしているとき、ご飯を食べたりお風呂に入ったり、寝る直前だって、こだまの恋人になれたことばかり考えて、思い返して……そして時々私は居ても立ってもいられなくなるの。爆発しそうな喜びというか。体育祭に向けて走っているのは、その喜びを少しでも昇華させようとしているのかもしれない。走っている間は比較的冷静に物事を考えられるからね」

 私は、彼女が悩みがあるときはピアノを弾くという話を思い出しました。悲しいときはピアノを弾き、嬉しいときは外で走るみゆきちゃん。

「ねえ、実はクラスの学級委員が今こんな状態だったと知ったら、どう思う?」

「とってもかわいいと思う」と私は素直に答えました。

「ふふ、本当? 私は少し反省してるのよ。正確には、反省しようとしているのね。でもやっぱりそれは難しい。こんなに嬉しいこと、今まで味わったことがなかったもの――でも私は反省すべきだと思うわ。反省して、もう少しちゃんとしないといけないと思う。こだまだって、浮かれてる私なんて見たくないだろうし……」

「そんなことないよ」

 私も彼女の顔を見ます。

「みゆきちゃんがそんなに喜んでくれるなら、私も嬉しい」

 彼女の頬が赤く染まったのを見てから、私は普段の彼女の生活を想像しました。以前の彼女の生活と、現在、そして未来の彼女の生活に思いを馳せました。

 みゆきちゃんは何も言わず、私もそれ以上は何も言いませんでした。

 心地よい沈黙の中で、遠くにある夕焼けが優しく私たちを照らしました。

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