公園、頭の中の話

 亀池公園の風景は秋の訪れを感じさせるには十分なものでした。夏の青々とした木々は次第に色を帯び始め、日陰を歩いていると、時折頬をかすめる風が心地よく涼しいです。これから少しずつ秋が深まっていって、凍えるような冬がやってくるのでしょう。その移り変わりの第一段階、秋から冬にかけての変化の第一段階に、今の私たちは遭遇しています。

 私は十一月生まれのためなのか、秋と冬の境目の季節が結構好きです。読書の秋、食欲の秋、芸術の秋(スポーツの秋は除外)――何をするにも楽しい季節です。ただ、私は芸術についてはよくわからないので、読書と食欲の秋になりそうです。そうなるといつもと変わらないような気がしますが、それは気のせいでしょう。とにかく秋は楽しい季節なのです。

 ただでさえ楽しい秋。今年はさらに特別なものになりそうです。言わずもがな、隣にみゆきちゃんがいるのです。えへへ、去年の私に言っても絶対信じてもらえないと思います。憧れのみゆきちゃんが、今では私の恋人だなんて。……今でもあまり信じられません。

 それでも、繋がれた右手が何よりの証拠になるでしょう。友達同士でも手を繋いで帰る人もいるかもしれませんが、少なくともみゆきちゃんはそういうタイプではありません。ついでに言っておくと、由美ちゃんもそういうタイプではありません。彼女はどちらかというと大きな声で喋りながら帰るタイプでしょう。佳菜子ちゃんは――その場のノリで決めそうです。

 話が逸れてしまいました。何が言いたいかというと、みゆきちゃんが私と手を繋いで帰っているということは、彼女が私の恋人であることに確証を与えるということです。はい。当たり前のことかもしれませんが、その当たり前の積み重ねが大事なのです。うん。

 さて、今話題のみゆきちゃんは、手を繋いでから、一瞬嬉しさを隠しきれないような顔を見せ、そしていつもの考えるモードに入りました。あるいは何かを考えるふりをして、照れをごまかしているのかもしれません。彼女は頭がいいのでそういう手を使ってもおかしくはありません。

 私は彼女の考えを早く聞きたい一方、こういう静かな時間を過ごしたい気持ちもあって、結局後者を選びました。選んだというよりは、自然にそうなった感じかもしれません。手を繋いでいれば言葉では伝わらないニュアンスまで伝わってくるのです。そういう意思疎通も大事なんでしょう。百聞は繋がれた手に如かず、というか。

 公園で手を繋ぐ是非については、もうすでに決着がついています。今日のように、周りに学校の生徒が少ない日は大きな通りでも繋いでいい。そうでない日は、人通りが少ない道で繋ぐ。今日はみんな体育祭の準備で学校にまだ残っているので、ラッキーでした。

 左手に噴水が見えるあたりについた時、みゆきちゃんは小さな声で話し始めました。

 繋がれた右手が暖かくなっています。

「こだまの話していたことを考えていたのよ。確認の連鎖と、頭の中の声について」

「……ほんと? みゆきちゃん、考えるふりをして照れ隠ししてるのかと思ってた」

 私がそう言うと彼女は赤い頬をこちらに向けました。

「いや、まあ、もちろん、それもあるけれど――それだけじゃない、こだまのこともちゃんと考えてた」

 私は「へえ」と言い、足元に目を落としました。

 みゆきちゃんは時々言い間違いというか、ナチュラルに本音を言ってくることがあるので注意が必要です。油断してるとやられます。

「そのね、こだまが話していたこと――」とみゆきちゃん。「歩いているうちにね、確認のループでフリーズしてしまう話と、ハンバーグ星人の話っていうのは、何かの比喩なんじゃないか、という気がしてきたの。文芸部のこだまのことだから、何か例えを使って、あるいは何か仮定を用意して、私に聞きたいことがあるのかもしれない、遠回しに何かを伝えたいことあるのかもしれない――そう思ったの」

 ……なるほど。

 ……実は何も考えていなかったなんて、思いついたことを口に出してただけだなんて、言い出しにくい雰囲気です。

 私は意味ありげな相槌を打ちました。

「だからこだまが何を考えているのか、何を聞き出したいのか、私なりに推理していたわ。結局わからなかったけれど。まあそれでもね、もしこだまが何か聞きたいことがあるとしても、あるいは単にハンバーグの話をしたいだけだったとしても、私の答えは変わらない」

 みゆきちゃんは私の様子を窺うように横を見てきました。

 私は神妙な顔つきになったつもりで頷きました。

「こだまの問題――確認の連鎖と、頭の中の声というのは、すべて『こだまの頭の中』で起こっている現象なのよ。別に何か具体的な出来事があったわけでもない、現実の世界で何かが起きたわけでもない。ただ単に、『こだまの頭の中』だけで起きている――そうでしょ?」

「そうだね、確かに、私の頭の中で起きている問題だよね」

 私が答えると、みゆきちゃんは難しそうな顔をしました。

「でも、これって結構厄介なのよね。周りの人には理解されにくい、自分の中の問題だから、人には相談しにくいし、したところで相手が理解してくれるとも限らない。『考えすぎだ』なんて言われて笑われるかもしれない――考えている側からしたら苦しい状態なのにね」

 私は静かに頷きました。

 そして同時に胸がチクチクと痛むような感触を覚えました。何か、どんよりとしたものが、彼女の前に現れるような――そんな感触です。

 みゆきちゃんは少し笑って言いました。

「でも本当に頭の中まで『ハンバーグ』になってしまったら、それはある意味幸せかもしれないわね。頭の中では色々なことが渦巻いているのに、『ハンバーグ』しか話せない状態よりは、断然楽だもの。余計なことを考えずに、ハンバーグのことだけを考えるのは、きっと幸せね」

「うん。私もみゆきちゃんの作ったハンバーグを食べる直前は、きっとそうなっているよ」

 みゆきちゃんはクスクス笑います。

 彼女はもう一度、確かめるように、私の手を握りなおしました。

「自分の頭の中で起きている問題を、解決しようと思った時、それには大きく分けて二つの対処法があるわ。一つは問題を引き起こす状況そのものを解決すること。もう一つは『自分の頭の中』で、なんとかしようとすることね。でも、状況そのものを簡単に解決できるなら、そんなもの、そもそも悩みとは呼ばないし、大抵の悩みは、状況を変えることが大変、あるいは不可能な時に起きる。すると必然的に、後者の方法、自分の頭の中で解決するしかないと、思い込んでしまうの。でもそれは本当に難しい」

 みゆきちゃんは前を向いたまま言いました。

 私は彼女の横顔を見ます。いつもと変わらない、みゆきちゃんの優しい表情が見えます。

「じゃあそういう時はどうすればいいのか――私はね、『周りをよく観察する』ことが大切だと思うの」

「周りをよく観察?」

「そう。一人自分の頭の中で延々と考えるよりも、周りを見た方が早いことがある――例えば……そうね、高校二年になるまでの私は、こだまもよく知っているように、友達が本当にいなかった。それまでだって、ほとんど一人もできなかった。私自身一人でいる方が気楽だし、友達と一緒にいる意義が全く感じられなかったから。だからその頃の私の生活は、私の中では理想的だった。静かに勉強ができるし、変に干渉してくる人もいない――けどね、これは言葉にするのは難しいのだけど、なんとなく、『何か』が足りない感覚があったの。そこに絶対必要なはずなのに欠けている『何か』があると思った。これは論理というよりは直感ね。頭の中ではこれで完成しているのに、それを飛び越えてくる直感がある。そして何かを訴えている」

 彼女はここで一呼吸置きました。

「その足りない『何か』は何なのか、私は悩んだわ。……まあ、普通に考えたら『友達』よね。いくら一人でいるのが楽だから、友達と一緒にいることに意味がないからと言ったって、『そのまま本当に友達が一人もできずに大人になってもいい』とまでは私は思っていなかった。むしろこのまま友達ができなかったら、今は良くても、将来的に絶対に行き詰まると思っていた。一人でいくつもの成果を残す天才的な才能があるなら別だけど、私がそんなものを持ってないことはわかっていたから――だから本当は、心を開いて話ができる友達が欲しかったの」

 私は静かに彼女の話の続きを待ちます。

「ただ、頭の中でどれだけ『友達が欲しい』と思ったって、そう簡単にできるものではない。仮にそう呼べそうなものができたとしても、時間の浪費になるだけの関係にはなりたくない。単に利用されるだけの関係にもなりたくない。これは私のわがままかもしれないけれど、でも、そんな関係なら、私は一人でいる方を選ぶもの――だけど、そう頭の中で願っているだけではいつまでたっても友達はできなかったわ。私の前に私の理想の友達は現れてはくれなかった。……当たり前ね。私は何か見える形で行動をしたわけではなかったから。私がしたのは、そういう友達が必要なこと、そういう友達が欲しいと頭の中で願ったことくらいだもの。頭の中で苦労して、私には友達が必要なんだってやっと気づいても、周りの人はその思考に対してこれっぽっちも呼応してはくれない。呼応してくれないから、本当に私には友達を必要なの? と自分自身に問い続けることになる。そしてまた苦労して、私には友達が必要なんだって気づく。でも友達はできない……これもこだまの言う、思考のループの一種ね。ぐるぐると頭を回るだけで、何にもならない。私が何かを気づいたとしても、それで周りが変わるわけではない。ただ、私の中の解釈が変わっただけ――つまり、頭の中で頭の中の問題を解決しようとしても、それは解釈を『変える』か、『捻じ曲げる』ことしかできない。問題そのものを解決することはできないの。その問題が自分の外にある限り、それは残り続ける――いくら解釈を変えたところでね。だから、頭の中で、頭の中の問題を解決するのはとても難しいの」

「うん……なんだかとっても難しいかも」

 みゆきちゃんは優しく微笑みました。

「ふふ、そうね。要するにこういうことなの。こだまがもし自分の頭の中のことで悩んでいるのなら、それを頭の中で解決しようとするのではなく、周りに目を向けることで解決して欲しい。ハンバーグ星人になりそうなら、こだまと一緒にハンバーグを作りたがっている人がいないか、周りを見て判断して欲しい。周りにはきっと答えになる『何か』があるはずだから。

 私は今では『友達は本当に必要なの?』なんて、いちいち悩まないもの。それは、『誰かさん』を一目見れば、自明なことだから、ね」

「う、うん。……えへへ」

 私は頬が熱くなり、唇の端が上がるのを感じました。

 そして右手をそっと恋人つなぎに組み替えました。

「……その『誰かさん』もきっと、みゆきちゃんに出会えて喜んでるよ」

 彼女はそれから何も言わず、顔を少し赤くして歩きました。

 私も特に何も言わず、右手から伝わるぬくもりを感じながら、私自身の不安について考えました。

『頭の中で解決しようとするのではなく、周りに目を向けることで解決する』

 それが彼女のアドバイスでした。

 ハンバーグ星人の話は私が適当に思いついたことを話しただけですが、それが思わぬ形となって彼女の過去を知ることができました。みゆきちゃんは普段はそんなに長く自分の話をしないので、これは貴重なアドバイスです。それだけ伝えたいことだったのかもしれません。

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