いつも通りの放課後?[1/3]
放課後。
それはある人によっては部活の始まりで、ある人にとっては下校の時間です。私は文芸部の部員ですが、週一回の金曜日にしか部活がありません。なので今日はそのまま家に帰ります。帰ったら小説を書く予定です。たぶん……やる気さえあれば……。
放課後には掃除があります。出席番号でいくつかのグループに分けられ、月水金曜日に指定の場所に集まって掃除をします。みゆきちゃんの名字は「北条」で、私の名字は「南山」(みなみやま、と読みます)なので、出席番号は近いです。だから掃除のある日でも、一緒に帰ることができます。
先生の話は割と長いほうで、話題があっちに飛んだりそっちに飛んだりして、結局いつもと同じ結論になって落ち着きます。おきまりのパターン、というのでしょうか。まったく関係ないだろうな、と思って聞いていた話が、気付いた時にはいつもと同じ話になっていた、みたいなことが頻繁に起こります。結論がまるでブラックホールように、先生の座右の銘である「健康第一」に吸い込まれるのです。私たちはオチのわかっている結論よりも、それにたどり着くまでのプロセスを熱心に聞くか、あるいは全く聞かないで他のことをしたりして、その時間をやり過ごします。今日もいつも通りのお話でした。
先生の話が長いといいことが一つあります。それは他のクラスはもう放課になっているので、廊下が静かになっていることです(掃除をしている人もいますが)。私とみゆきちゃんは教室でゆっくり帰りの支度をしたり、お話をしたりして、クラスの人が少なくなった時を見計らって一緒に帰ります。廊下が静かな方が会話に集中できるのです。みゆきちゃんとは家の方向が真逆で、昇降口までしか一緒に帰れないので、この短い時間はとても大切です。
「でね、由美ちゃんが言うには、七組は女子の人数が少ないから、私も何か競技に出なきゃいけないらしいの。でも体育祭の競技って何するにしても、走ることを要求するから困るよね。走らなくてもいい競技があればいいんだけど」
「いいじゃない、走るの。またこだまの絶妙な走りっぷりが見られるなんて素晴らしいと思うわ。絶対応援するからね」
「応援してくれるのは嬉しいけど……私は『絶妙な走りっぷり』って表現にちょっとした悪意を感じないわけにはいかないよ。ねえ、私そんなにヘンテコな走り方してた?」
みゆきちゃんは目をつむりながら「教えなーい」と言いました。意地悪なお姉ちゃんみたいな言い方です。いじわる。
……でもちょっと可愛い。
「でも体育祭近いし、そろそろ決めないといけないのよね。どんな競技があったかしら?」
「えっと確か……全員参加以外の競技は……百メートル走、二百メートル走、障害物競走、二人三脚、ムカデ競争、メドレーリレーとかだよ。走り高跳びとか、陸上競技はたぶん男子が出るから考えないとして」
「見事に走るのばっかりね」
「そうなんだよ。いっそのことみゆきちゃんが全部出てよう」
「駄目よ。こだまにはこだまにしかできないことがあるんだから」
「……それはヘンテコな走りでみゆきちゃんを喜ばせること?」
どうかしらね、と彼女は笑いました。やっぱり走り方に難があるのでしょう。タイムが遅いのはそのためかもしれません。今度弟に動画撮ってもらって検証しようかな。しかしそのためには走らなければなりません。……やっぱり今回はパスで。
みゆきちゃんは真面目な顔になって言います。
「でも別にこだまは陸上部じゃないんだから、早く走るとか、結果を出すとか、そういうことは考えなくてもいいのよ。一生懸命やろうとするだけで十分なの。所詮、体育祭なんて学校行事の一つに過ぎないわけだし。気楽にやればいいわ」
「由美ちゃんも同じこと言ってた。絵里ちゃんのクラスには絶対負けられないとも」
「あの人たちは燃えるでしょうね。来年のこの時期には部活はもう引退してるから。目一杯存分に実力を発揮できるのは今年が最後だろうし」
「だよねえ、私も下手なことできないよね」
これはとても難しい問題なようです。
なるべくクラスに迷惑をかけずに、あわよくば文芸部の私でも活躍できる競技とは一体。
「……障害物競走とかどうかな。他の競技に比べたら私にも勝機がある気がする。なんとなくそう思うだけで根拠はないに等しいけど」
私がそう言うとみゆきちゃんは少し驚いた顔を見せました。
「へえ……障害物競走ね……こだまが飴玉をくわえて、顔が真っ白になるというシチュエーションは、確かに魅力的だけれど……」
「みゆきちゃん。今は状況がチャーミングかどうかは関係ないの。私としては悪い方向への活躍で、クラスにとんでもない被害を与えるのを避けたいわけ」
「ふふ、そうね。でも去年の感じだと障害物競走は人気があるから、それに出るのは難しいかもしれないわ。抽選で漏れたら別の競技に出なきゃいけなくなるし」
「あ。確かに」みゆきちゃんはいいところに気がつきます。
「真っ白になった顔をみゆきちゃんに見せられないのは残念だなあ」
「……ちっとも残念そうに聞こえないのだけれど」
そんな話をしているうちに階段の踊り場に着きました。踊り場には昔の卒業生が製作した怪しげな絵が展示されていて、みゆきちゃんはその絵の前で、突然、立ち止まりました。彼女が立ち止まってこちらを向くので、私も彼女の方を見ます。彼女はそこで何かを思いついたのかもしれませんし、あるいはすでに思いついていて、切り出すタイミングを見計らっていたのかもしれません。
「こだま。よかったらでいいんだけど」
え、うん。と私は答えます。
「一人で走るのがどうしても嫌で、でも何かに出なきゃいけなくて、私にヘンテコな走り方を見られたくないなら……ね」
「うん」
「その、二人三脚、一緒に出ない?」
「…………なるほど」
二人三脚というと、要はお互いの足をくくりつけて、えっさほいさと走っていくあれのことです。しかしそれをみゆきちゃんとする、ということは……どういうことでしょう? 何か深い意味があるように、私には思えてなりませんでした。
私は彼女の顔を覗き込もうとしました。でも私が近付こうとすると後ずさりして、距離を一定に保とうとするので、このまま階段から落ちないか心配になります。普段はクールなみゆきちゃんは少し赤くなっていて、目を合わせようとしません。それは単に照れているのか、何か別のことを考えているのか。そのどちらでもないか。逆にどちらでもあるのか。私は見定めたかったのです。しかし今日の私は冴えていました。彼女の顔をじっくりと見なくても、その様子と言葉から、隠された意図を読み取ることができたのです。
「…………それはつまり、これからも一緒に二人三脚で歩んでいこうということ?」
一瞬にして顔が赤くなりました。
「ち、違うわ。いや、違うわけじゃないけど。全然違うわけじゃないけれど。こだま、素直に受け止めて。今は競技の話をしているの」
なあんだ、私の勘違いでした。考えすぎも良くありませんね。みゆきちゃんはただ単に体育祭の話をしているのです。私も文脈というものを知らなくてはいけません。これでは「大好き」で照れたみゆきちゃんのことを笑えません。……って私のも結構な早とちりだったかもしれません。何段か飛躍した解釈でした。論理が飛躍しすぎて数学の先生が顔をしかめそうです。やっぱり私は変なこと言ったのでしょうか。……言ったのでしょうね。みゆきちゃん顔赤いし。私も思い返して顔が熱いし。
一つ深呼吸を入れます。
「素直に受け止めると……私はみゆきちゃんと体育祭の競技として、二人三脚に出る。そして私たちの人生のことは、ひとまず脇に置いておく。以上でよろしいですか?」
うん、うんとみゆきちゃんは力強く頷きました。
「それと、その、私は後者のことについて、決して否定的ではない反応を示したことも、記憶にとどめてくれたら嬉しいわ」
「……かしこまりました」
注文の品の確認を終えると、私は立ち止まっているみゆきちゃんを、コーディネートのバランスを見るように、頭の上から足の先まで、じっくりと眺めました。亀池南高校の夏服は白地に紺色のラインが入ったセーラー服で、胸元のリボンが特徴的です。スカートも深い紺色。みゆきちゃんは委員長らしくお行儀よく着こなしています。
「身長差は特に問題ないでしょう」
「うん、そうだね」
懸念はそこではないのです。
「でも私、みゆきちゃんのペースに合わせられるかな。バイクを掴みながら走る人間みたいに、今にも振り落とされそうになりながら走ることにならないかな。もちろんその人間が私で、バイクに乗っているのがみゆきちゃんなんだけど。あるいは足をロープで馬車に繋がれて、地面を引きずり回される拷問みたいにならないかな。いや、みゆきちゃんになら、私は引きずり回されることも、やぶさかではないんだけど」
みゆきちゃんはクスッと笑いました。
「それは私がしっかり合わせるから大丈夫よ。がっちりと、瞬間接着剤みたいに離さないから。歩幅もちゃんと合わせるわ」
私は少し考えました。
「それは頼もしいね。大船に乗った気分だよ。でも私の運動音痴を舐めてはいけない。私はどんな大船でも致命的な穴を開けることができるんだよ、恐ろしいことに。つまり、私とみゆきちゃんが瞬間接着剤みたいにつながっていたことで、私が転んだら、みゆきちゃんも転ぶということだよ。そしてみゆきちゃんを怪我させてしまうかもしれない」
みゆきちゃんはこっちを見て微笑みました。
「こだまになら、私は怪我させられることもやぶさかではないけれど」
「……本当に?」
「もちろん」
そして彼女は歩き出しながら、「こだまが手当てしてくれるならね」と付け加えました。
それくらいはお安い御用です。
「どう?」
「う、うん。みゆきちゃんがそこまで言ってくれるなら……
「ええ、こちらこそよろしくね。まだ一緒に出れると決まったわけではないけれど。希望通りいくといいわね」
「それは大丈夫。私じゃんけん弱いから。私が出す手は負けると考えて出す手を決めれば、勝てるんじゃないかって、最近気づいたの」
「そうなの。それなら安心ね」
みゆきちゃんはおかしそうに笑いました。気づいたら昇降口についていました。みゆきちゃんが途中で立ち止まってくれたおかげで、今日は長めにお話をすることができました。いろんな反応も見れて、今日はラッキーです。
「こだまは……これから帰って小説書くの?」
「うん。そのつもりだけど。みゆきちゃんは?」
靴を履き替えながら聞きます。
「私は、亀池図書館で勉強するから、こだまもどうかなって思ったのだけど。ついでにいつものベンチでお話でもして。……でも小説があるなら仕方ないわね」
みゆきちゃんは心底残念そうに言いました。そんな言い方されたら私の小説を書こうという固い固い決心が揺らいでしまうではありませんか。ダイヤモンドのように強固だった決心が、いとも簡単に溶けてしまいます。みゆきちゃんの言葉は不思議です。
「今日は問題集忘れちゃったから、勉強はできないけど、ベンチでおしゃべりならできるよ。小説のことは……今日はいいの。きっと自然に触れながらみゆきちゃんとお話をすることで、新たなインスパイアがインスピレーションして、いいアフェクトが私をエフェクトするから。今はまだ焦る時間じゃないの」
「え、いいの?」
みゆきちゃんは目を丸くして私を見ました。「いいの?」と言われたら「いやまてよ」と言いたくなるところですが、私の決心は固いので二度頷きました。今ならみゆきちゃんに怪しい壺を買わされても気づかないかもしれません。何度でも頷いてしまいそうです。でも壺って一体何に使うのでしょう? ツボ押し? 詳しい人に聞きたいです。
「嬉しい」
みゆきちゃんはそう言って微笑み、私と一緒に外に出ました。
優秀な彼女は「英語はしっかり復習しなきゃ駄目よ」と言うのも忘れませんでした。
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