体育祭編

いつも通りの朝?[1/2]


 このライトノベルは、とある女子高生二人が体育大会に向けてハンバーグを作るという話であり、それ以上でもそれ以下でもないことをここに宣言いたします。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 


 朝は不思議な時間です。

 多くの人が毎日同じ時間に電車に乗って、同じ駅で降りて、そしてどこかに向かっていきます。眠そうな顔をしているおじさんも、単語帳をしげしげと見る男子高校生も、スマートフォンのゲームに夢中になっている女子高生も、本当はもう少し家で眠っていたいはずなのに、何かに突き動かされて電車の中で揺られているのです。

 この朝七時五十分という時間に。

 一体何が彼らを突き動かしているのでしょう? 学校、会社の存在でしょうか? 学校や会社があるから私たちはこの時間に電車の中に詰め込まれているのでしょうか? ……でも学校や会社だって本当は眠りたいに違いありません。眠るのが嫌いな人はいませんから。

 となるとみんな本当は眠りたいのに無理して起きて、無理して朝の電車に詰め込まれていることになります。電車に乗っても、学校や会社に時間通りに着くだけで、神様がボーナスポイントをくれるわけではありません。むしろ運賃を取られてしまいます。私たちは眠りたいのに無理して起きて、お金まで取られているのです。

 不思議なことだと思いませんか?

 ここで残念なことが一つあります。それは私もその多くの人たちの一人だということです。私は今日も二度寝の誘惑と戦い(目覚まし時計が鳴るのを止め起きるフェイントをしていると、優秀な目覚まし時計は五分後に再び鳴り出して有無を言わさず私を起こします)ギリギリのところで勝利を収め、急いで朝の支度をして家を出て、電車の中でガタゴトと揺られています。私はもしあのままお布団の中にいたら、どんなに良かっただろうと、窓の景色を見ながら思いました。それはとても暖かかったのです。まるで春の日差しのように。

 電車はいつも通り八時ちょうどに亀池駅に到着しました。電車はとてもせっかちに私たちを下ろし他の人たちを乗せ、モーターの音を響かせて次の駅に向かっていきました。私は多くの人たちの波をかき分けて駅の南口に向かいます。

 亀池駅には北口と南口があって、北口からは繁華街、南口からは落ち着いた雰囲気のある街並みに繋がっています。私はもう何度も何度も通った道だから、今なら眠ったままでもいけるんじゃないだろうかと思いながら、期待と不安と眠気を抱えて歩いています。ちなみに眠気のウエイトは比較的大きく、例えるならばカレンダーにおいて、黒い数字の部分が占める割合くらいです。

 南口を出てしばらく歩いたところで、私は周りを見渡してみます。 

 住宅街で、歩道の真ん中にはイチョウの木が植えられていて、電線には二羽のカラスが止まっていて「なんだあいつら眠そうに歩いてやがる」と私たちを笑っています。あたりには私と同じように学校に向かう生徒が、まばらにいて、犬を連れて散歩をするのが日課になっているおばあさんがいて、クールビズのため、白いシャツを着て市役所に向かうおじさんがいます。弱い風はまだまだ暑さを運んでいて、今でもじわじわと暖かい太陽は、昼頃にはさらに暖かくなることを予感させます。空は青く、雲は探さなければ見つからないほど、あまりありません。目線を下に落とすと、電柱の下に、小さな花が咲いているのが見えました。

 これは間違いなくいつも通りの朝です。典型的な例の中でも選りすぐりの典型的さでしょう。『典型的な朝だよオブザイヤー』を受賞してもおかしくありません。そのくらい典型的な朝でした。

 ……いや、本当でしょうか? 本当にいつもと変わったところはないのでしょうか? そんなに簡単に結論を出してもいいのでしょうか? さらに言うとオブザイヤーの受賞を九月中旬に決めるいい加減さでいいのでしょうか……。

 話は変わりますが、推理小説では書いてある通りに読んでいたら作者にまんまと騙されてしまいます。普通に読んでいてこの人怪しいなと思った人物は大抵シロであり、この人は信用できるな、と思った人物は大抵何か悪いことをしています。文章に書いてあることは間違ってはいませんが、鵜呑みにすると痛い目に合うことが多いのです。何事にも疑ってかかる姿勢が肝要です。

 となると。

 このいつも通りの朝に見える光景にも、疑いの目を向けるべきなのではないでしょうか。大まかに周りを見渡していつも通りの朝だと決めつけてしまうのではなく、いつもと違うところ(それはとても細かい部分になるかもしれませんが)を探そうとするべきではないでしょうか。でなければ、私は世界が作り出そうとしている「いつも通りの朝」にまんまと騙されてしまうのです。世界は「いつも通りの朝」を私たちに見せて、些細な変化を隠そうとしているのです。それは些細な変化ですが重要な変化です。そして私はそれを見抜きたい。

 目を凝らして、ぐぐっと周りを見てみます。何か変化はないだろうか? どんなに小さなことでもいい、何か変わったところは……。

 ですが私は疲れてしまいました。些細な変化というものは、簡単には見つかるものではないのです。それに私にはそれなりの眠気がありました。眠気の前にはいかなる努力も無力です。

 スズメがコンクリートの塀をチュンチュンと歩いています。私が眠たい顔を向けると、スズメは跳ねるようにして、どこかに飛んでいってしまいました。あんな風に飛べたら楽しいだろうな、と私は思います。

 スズメがいなくなって、周りには特に面白そうなものもなくなったので、私は最近書いている小説について考え始めました。私は文芸部の部員であり、十一月にある文化祭では自分の作品を展示できるので、最近は毎日机に向かって小説を書いているのです。去年作品を展示した時は、スケジュール管理が甘くギリギリになってしまったので、今年は計画的に執筆をするのが目標です。ちなみに私は高校二年生で、文芸部の副部長を務めています。

 先ほどの「些細な変化を見逃さない」という努力も小説の執筆からの要請によってなされています。小説では些細な変化が重要になることが多いのです。普通だったら気にせず通り過ぎてしまうところを立ち止まって、ウンウンと考えることが突破口になりがちなのです。なので私も日常の中の小さな変化を見つけたいのですが……それは難しいのが現状です。朝顔の観察日記みたいに、毎日記録しないといけないのかもしれません。

 朝顔の観察日記か……。私が小学生の頃は、ちゃんと毎日日記をつけていた記憶があります。クラスメイトの中には、夏休みの最終日に辻褄を合わせ(つまり一日で結果を捏造し)提出した人がいました。そのことを自慢げに語る彼の笑顔と、それはすごいねと適当に相槌を打っていた私の存在を、久しぶりに思い出しました。今思えば、朝顔の観察日記を一日で書くことの何がすごいのか、甚だ疑問ですが、当時の私は感心して聞いていたのです。

 ですが一朝一夕の努力では身につきません。微小でもいいから毎日積み重ねていくことが大切なのです。理系なので数学の話をすると、積分だって一つ一つは小さくてもそれを足し合わせていくから何らかの値になるのです。それに対し0はいくら足しても0のままです。

 私が小説のことを考えたり、小学生の時の思い出に浸っていたり、今日こんにちの積分計算の煩雑さを憂いていたりしていると、私の通う亀池南高校が見えて来ました。公立高校なので校舎はそんなに綺麗ではないですが、歴史と伝統のある高校のようです。「南」とは言いますがそれほど南にあるわけではなく、市の真ん中付近にあります。駅から徒歩十分なので通学には便利です。

 私は西門から学校の敷地内に入りました。足元を、鳩が早足に歩いていきます。鳩は歩く時に頭も動かさないといけないみたいです。他の鳥(例えばカラスやスズメ)は歩くときに頭を動かしていたでしょうか? 私の経験上、カラスも首を振りますが、鳩ほどではないと思います。もし鳩だけが激しく頭を動かしながら歩くのだとしたら、神様はどうしてそんな試練を与えたのでしょう。私だったら首のあたりが疲れてしまいそうです。

 昇降口に着きました。入口のところに立っている先生に挨拶をして校舎の中に入ります。彼らは毎朝入口のところに立って、遅刻してくる生徒に注意をしているのです。

 靴を脱いで下駄箱に入れます。そして私はある場所に目をやりました。そこには黒い革靴がすでに入っています。それを確認すると気分が上がって、眠気がすっきりするのを感じました。スリッパを履くと、足取りが軽くなっているのがわかります。私はリュックサックのショルダーベルトを、両手でぎゅっと握って歩き出しました。

 眠気をすっきりさせるものは、誰にだっていくつかはあるものです。私の場合は小説のクライマックスと「その人」の存在、あとはブラックコーヒーくらいでしょうか。ブラックコーヒーは一度大人ぶって飲んでみましたが、とても苦くて、完全に目が覚めて、別人になってしまったような感じがしました。私にはまだ早い飲み物であると思います。

 階段を上って三階に、二年七組の教室はあります。階段を上る足音はピアノの鍵盤のように明るく響きます。

 廊下を、つきあたりから二番目の教室に着くまで歩きます。気をつけないとスキップをしてしまいそうになるので、私は慎重に歩を進めます。一般的に言って、浮かれすぎているといいことがないのです。なので私は、今日の体育のことを考えて気持ちを落ち着かせます。最近は陸上競技をしていて、今日は千メートル走があるのです。運動が苦手な私にとってはかなりの苦行で、ランナーズハイを経験する前に疲れ果ててしまうのでしょう。考えただけでも疲れるので、そのことは火を見るよりも明らかです。

 そのような憂鬱なことを考えたおかげで、私はちょうどいい心持ちになりました。プラスかマイナスかで言うと少しのプラスくらい。教室に到着して、ドアをガラガラと開けます。


「その人」と目が合いました。


 ドアを開けた瞬間だったので、少し驚いてしまいましたが、私は自然に、微笑み返すことができました。机の上にリュックサックを置き、椅子に座ると、「その人」も読んでいた新書を机に置いて、私の席に来てくれました。新書を読んでいたのに、私と目が合ったということは、私の到着を待っていてくれたのかもしれません。もしそうだったら嬉しいのですが。


「おはよう、こだま」

「その人」は優しい微笑みとともに、いつもの落ち着いた声で挨拶をしてくれました。最近は毎朝私の席に来て、挨拶をしてくれます。

「おはよう、みゆきちゃん」

 私もいつもと同じように挨拶を返しました。


 彼女の名前は北条みゆきと言います。私のクラスの学級委員長で、頭が良くて、運動もできて、優しくて、頼りになる、私の一番の親友であり、恋人です。


 そんなみゆきちゃんは少し心配そうな声で言いました。

「こだま、ちょっと眠そう。小説、頑張っているのね」

 眠気は飛んだつもりでしたが、鋭いみゆきちゃんには、隠しきれていなかったようです。彼女の観察眼はなかなかすごいところがあり、些細な変化を見逃しません。私も彼女を見習わなくてはいけないと思います。

「うん、でも無理はしてないよ。好きなことだから、楽しいし」

 私はみゆきちゃんの優しくてまっすぐな瞳に、内心どぎまぎしながら答えました。恋人になってから一週間しか時間が経っていないので、なんだか照れくさいような距離感に戸惑うような、そんな感じです。

 みゆきちゃんはホッと安堵したような顔で言いました。

「そう……よかった」

 彼女は微笑んだまま、そっと手を伸ばしました。私がその行き先はどこかな、とぼんやりしていると、彼女の手は徐々に私の頬に近づいてきました。そしてみゆきちゃんの細くて長い指が頬をなぞって、耳の後ろまで到達します。手のひらが頬を包み込みます。

 私は顔全体、いや身体全体がぽっと熱くなるのを感じました。彼女の手が触れているところを中心にして全身に熱が伝わっています。心なしか、みゆきちゃんの顔が近づいている気がします。私は無意識のうちに目を瞑り、唇に力を入れました。

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