第33話


 こだまは五限まで、皆と同じように授業を受けた。休み時間に文芸部の部員がお見舞いに来て、ちょっとした話をしていた。由美さんの話によると、今日は部活は休むことにしたそうだ。

 放課後になった。

 私は、憑物が落ちたような、さっぱりとした気持ちになっていた。由美さんの言葉に気づかされてからは、考えがシンプルになったというか、吹っ切れたというか、開き直ったというか。とりあえず、自分のしたことにけじめをつけて、またこだまに元気な姿を見せてもらいたかった。それだけが私の願いだ。

 いつものように帰る準備を終え、こだまの席に行く。普段なら部活に直行のテニス部二人も、集まっていた。

「こだま。一緒に帰りましょう」

 とりあえず、いつも通り言えたと思う。

 こだまは私の顔を見て、びっくりした顔をしてから、頬を緩め、小さく頷いた。私も、ちゃんと微笑みを浮かべられていたらしい。

「四人で帰るのはテストの時以来ですなあ」

「帰るっつっても昇降口まででしょうが。うちらは部活あるし」

「でも、短い距離でも、十分楽しいのよ」

 私たちは、話した。こだまは疲れているだろうから、口を動かしているのは三人だけ。それでも、聞いているこだまが楽しいと思えるように、明るい話を続けた。

「こだまちんがいない間、由美ってばすごい悲しんでてね。そりゃもう彼氏に振られたあとみたいだったよ」

「今はもう振られる彼氏もいないけどね!」

「私もすごい寂しかったよ。……まあ彼氏はいるけど」

「嫌味かっ」

「由美さん絶好調ね」

「どこがだっ」

 こだまが時折笑顔を見せると、私たちは俄然勢いに乗って話に興じた。

 ――こんな光景、前の私だったらありえない。

 

 昇降口から外に出ると、二人は名残惜しそうに、でも笑顔で言った。

「こだま、みゆき、じゃあな」

「こだまちん月曜日も学校来てね。愛してるぜええ」

 由美さんは小突いてから、私にウインクをした。

 ――あとはうまくやれ、ということだろう。

 雲は相変わらず重かった。だが、私には償わなければならない罪がある。

 こだまのほうを振り向いた。やせ細った彼女。でもそれは、私の大好きなこだま。

「こだま……。この前のこと、本当にごめんなさい。私、あなたに、一番の親友のあなたに、言ってはいけないことを言ってしまったわ。ごめんなさい」

 頭を下げた。これで許してもらえるなんて思っていない。これからも、私の「償い」は続いていく。

「いいよ、みゆきちゃん。頭を上げて。私が、悪かったんだから」

 彼女は弱々しい声で言った。「私が、悪かったんだから」は彼女なりの優しさだろう。こだまはいつだってそうして私を許してくれる。

 だから今度は、私が返す番だ。

 私は顔を上げた。こだまは安心したような表情だった。

 その顔を見て、私は、もっと、もっと彼女を安心させたいと思った。彼女の笑顔が見たいと思った。

「こだま。今日は疲れているでしょうし、無理にとは言わないけれど、伝えたいことがあるの。どうしても、こだまに言っておきたいことが」

 気づいた時には、私はそう言っていた。言いながら、私は既視感を覚えていた。どこかで同じようなことを言った気がしていた。それはたぶん、こだまのことで泣き続けていた夜に、空想の中で言ったのだ。私はこうするべきだということを、ほとんど直感的に知っていた。

「よかったら、私について来てくれない?」

 こだまは安心した表情のまま、頷いてくれた。

 私はそっと手を差し出す。

「こだまのペースに合わせたいから、手、繋ぎましょうか」

 これはとっさのひらめきだった。こだまは少し照れたように私の手を握ってくれた。細く、少し冷たい彼女の手。私の体温が伝わってくれればいいと思った。


 私たちは、ゆっくりと歩いた。雲が一面に厚く広がっていて、気温は暑くなくてちょうどいい。あのベンチに着くまでは特に言葉は交わさなかった。それでも、繋いだ手からは、こだまの存在が十分伝わってきて、私は不思議な多幸感に包まれた。

 あの細い道を、こだまと手を繋いで通る。初めてこだまとここにきた時を思い出した。その時は、彼女は私の三歩後ろを歩いていた。今は、こんなに近くにいる。

 当然のようにこの場所を選んだのは、こだまとの思い出の場所だから。彼女を傷つけた場所でもあるが、そのままで終わらせたくはなかった。こだまには幸せで楽しい場所として、記憶してほしかった。

 カバンを置き、座ると、こだまは少し緊張した面持ちでベンチに座った。そして私はまた、彼女の手を握る。その手はさっきより暖かくなっていた。

「加藤先輩のこと、応援するわ」

 こだまは少しびくっとして、私の方を見た。私は強く彼女の手を握った。親友として、親愛を込めて。そのつもりだった。

「これからも、何があっても、あなたの味方だから。……だから安心して」

「みゆきちゃん……」

「だからまた、元気になってね。私、こだまの元気な顔が見たいの。笑顔が見たいの……」

「みゆきちゃん、あのね……」

 何かを言おうとするこだまの顔。頬を少し紅潮させ、必死で言葉を紡ごうとするこだまを見ていると、吸い込まれそうな気がして、懐かしい気がして、同時に、何かが溢れ出そうな気がした。何故だか、止めることができなかった。

 自分勝手な思い。利己的な欲求。こだまの幸せを考えるなら、いつまでも、いつまでも封印しておくべきだった。そして時々一人で、部屋の中で、こっそりと思い返して、懐かしんで、悲しんで、感傷に浸って、また閉じ込めておくべきだった。悲しみに耐えられなくなったら、姉の部屋で、オルガンを弾いて、忘れようとしたり消し去ろうとするべきだった。

 それなのに、溢れてきた。頭では理解していても、それは止められなかった。それ以上に、私は、目の前にいる人のことが、どうしても、どうしても。

「私ね、こだまのこと、好きよ」

 好きで、好きで、たまらなかった。

 何かを言おうとするこだまを遮るようにして私がそう言うと、彼女はさっきよりもずっと驚いた顔をした。その反応を見て、私はかえって安心した。頬が緩んで、目線をそっと地面に落とす。すると、堰を切ったように、言葉が溢れてきた。

「好き、だけじゃ足りない、大好き、愛してるわ。ずっと一緒にいたいくらい。ずっと隣にいたいくらい。……こだまは、『あの日』のこと、覚えてる? 私がこだまにキスをした日。あれね、こだまは私が熱でふらふらしてたって言って、私のこと、庇ってくれたけど、本当はね。こだまのことが大好きだから、好きすぎて、我慢できなくて、しちゃったのよ。おかしいでしょう?……私は、ずっとずっと、こだまのこと、好きだったのよ」

「で、でもみゆきちゃんはっ」

 私がそっと顔を近づけると、こだまは口をつぐんだ。ほのかに頬が赤く染まった。

「ごめんね。私の最後のわがまま、聞いてくれる?」

 ぽつりと、雫が落ちてきた。

 私はこだまの頬にそっと、キスをした。彼女の頬は、痩せこけていたが、暖かかった。

 それは、正真正銘、私が大好きだった、こだまだった。

 ――ありがとう、こだま。私にこんな素敵な恋をさせてくれて、本当にありがとう。

 私はこれから「親友」として、あなたを応援するから。支えるから。何があっても、あなたの味方だから。こだまは自分で、幸せを見つけてね。

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