第30話


 こだまはもう一週間近く学校を休んでいる。

 いつだったか、こだまは「健康だけが取り柄なの」と言って、まだ風邪をひいて学校を休んだことがないことを自慢していたことがあった。そして私が冗談で「お馬鹿さんは風邪をひかないものね」と言おうとするのを、彼女は必死に阻止していた。

 そんなこだまが、学校に来なくなってから、一週間が経とうとしている。

 私のせいだろう。私は、「こだまの顔をもう見たくない」と言ってしまった。勢い余っての失言だったから、次の日に謝ろうとしたのだが、彼女は来なかった。

 

「こだまちん、今日も来ないね」

 私たちはこだまが学校に来ない日も、彼女の席を使って昼ご飯を食べていた。私の目の前の席はぽっかりと空白ができていた。

「携帯に連絡入れても返信こないし……。みゆきりん、何か知らない?」

 同じような会話を、私たちは何度か繰り返していた。私は無言で首を振る。

「みゆきが知らないんじゃ誰もわからないよ」

 由美さんは元気のない声で言った。

 こだまは今頃、何を考えて、何をしているのだろう。きっと彼女は私以上に傷ついている。私は、自分勝手な感情で、彼女を傷つけてしまった。もう、いずれにしても、彼女の隣にいる権利など、なかったのだ。その、加藤先輩を、こだまのパートナーとして許せる器量が、私にはないのだ。こだまや由美さん、佳菜子さんが私を許したような優しさが、私には根本的に欠落しているのだ。本当は、学校に来るべきではないのは、私の方なのに――



 空白が私の胸を占める。彼女の不在とは無関係に時間は進んでいく。時間の流れとともに、彼女の記憶が徐々におぼろげになっていくようで怖い。忘れないようにと努めるほど、空白は広がり、欠落が私の首を締める。


 帰り際。この時間が私にとって一番辛い。彼女の不在を何よりも感じさせるから。廊下を歩く隣にはこだまはいない。階段の踊り場にも、昇降口にも、彼女はいない。それでも、寿命を迎えた蛍光灯が不規則に明滅するように、記憶が情景に断片的に重なる。記憶の糸が彼女を手繰り寄せる。しかしそこには手を振ってくれる彼女はいない。

 信号を渡り、公園に入る。私はほとんど泣きそうになる。それでも私は逃げずにこの道を通る。記憶に押しつぶされそうになりながら、こうすることが必要なのだと信じて。

 家に帰ると、私はベッドに突っ伏せる。家にいる大半の時間をベッドの上で過ごす。もう嫌というほど泣いた。いくら泣いても空白と欠落は埋まらない。わかっていても、そうするしかなかった。

 時々、凪のような時間が来る。その時間に、私は復習をして、夕食を作り、風呂に入る。そうした行動が私という存在を辛うじて繋ぎとめている。苦しくなったら、ソファに横たわる。親が帰ってきたら、泣いた顔を見られないようにしながら、勉強をすると言って二階の部屋に戻る。オルガンを弾く気力は残っていない。ベッドで私は無力感に襲われ、気がついたときには死んだように眠っている。そして午前4時に起きる。朝は比較的動ける。弁当を作り、母と少し話して、今日も学校に行く。

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