第20話
勉強がひと段落したら、公園に来ている移動販売のアイスクリームを買いに行くのが定番になっていた。買ったらいつものベンチまで歩いて持っていく。
こだまは、チョコチップの入ったアイスが好き。だけどそれはちょっと割高なので、買うときにいつも少し躊躇をする。
「いいじゃない。こだま、頑張ってるから、ご褒美ってことで」
「うん…でも……」
こだまの視線の先を見て、ふと気づいた。私はいつもそれよりちょっと安いのを頼んでいる。そのことを、気にしてるのかもしれない。
「じゃあ、私も同じのにしようかな」
そういうとこだまはちょっと驚いた顔をした。何か言われる前に、会計を済ませてしまう。わざわざ電車で来てくれる彼女に、これくらいはしてあげたいと、アイスは奢りだ。
「ありがと、ね」
こだまのちょっとした思考の癖、というのもなんとなく掴めるようになってきた。
落とさないように、気をつけながら細い道を抜け、いつものベンチへ。周りの木々は青々と生い茂り、灼熱の太陽と青い空に、白くて大きな入道雲が浮かんでいる。手に持っている冷たいアイスクリームは、どこか異様で、世界が違うみたいで、面白い。
小さな広場に、紺色のベンチ。ベンチの上には大きな木の枝がにゅうと伸びていて、ベンチの下だけ影ができている。いつものようにそこに座った。
「勉強の後のアイスは格別だねえ」
「こだまと一緒に食べるアイスも格別よ」
「なっ」
美味しそうにスプーンを口に運ぶこだまを見て、ちょっと、冒険してみたくなった。
照れたように口をつぐむこだま。
「みゆきちゃん、時々真顔でそういうこと言うからなあ。ストレートすぎるっていうか…」
「だって、本当のことだもの」
こだまは照れを隠すようにアイスのスプーンを口に咥えている。
「うう…。そうやって反応見て楽しんでるんでしょ」
「あ、バレてたみたいね」
そう言って笑った。熱を含んだ風が髪を揺らす。
「だってこだま、すぐ照れて、可愛いから」
なぜだろう。こだまに可愛いと言うことに抵抗がなくなっている。何の迷いもなく、小気味よく口から言葉が発せられる。夏のせいか。暑い夏だから、大胆になれるのか。あるいは私服のせいか。ここが学校ではないから、普段は思っていても口に出さないことが、躊躇なく彼女の耳に届いてしまうのか。
それもあるかもしれない。だが、違う。私は見たいのだ。私の言葉で、彼女がどんな反応を見せるのか。照れるのか、笑うのか、喜ぶのか、あるいは他の反応なのか。私は確かめたい。確かめないと、気が済まない。
自分が自分ではないみたいだ。さっきまで勉強をしていたとは思えないほど、頭がすっきりとしている。空っぽな頭と身体に、冷たいアイス、木陰、ベンチ、熱い風、日差し、セミの鳴き声。そして隣にはこだま。この空間が、心地いい。
「みゆきちゃん、もういいから。アイス溶けちゃうよ」
顔を少し赤くして言うこだま。その表情も——と言いそうになってやめた。こだまと同じチョコチップ入りのアイスを、確かめるように、口に入れて、もう一度彼女の顔を見る。
その表情も——可愛い。これは言える。アイスを一口食べて、チョコチップを噛んで、こだまの顔をこっそり見る。
その表情も——好き。これは言えない。アイスを一口食べて、今度はこだまの顔を見ない。
代わりに遠くの木々を見る。一瞬小さな沈黙を感じる。
でも、やっぱり蝉がちょっとうるさい。影となっている大きな木を見上げると、葉の隙間から青空が見えた。大きな傘みたいだな、この木。こだまの傘みたい。きっとこの木も長い間、このベンチを雨から守ってきたのだろう。ちょうど、こだまの傘が彼女を守ったように。彼女のリュックを守ったように。そして私を守ったように。嘘をついた私を守ったように。
アイスを食べ終わった直後に、弱い風が吹く。
「勉強ばかりで、こだまは退屈じゃない?」
詩人めいた思考を誤魔化すように聞いた。だが、それはちょっと、気になっていた。
――こだまは無理して私の隣にいるの?
私の思考の癖。
でもそれをこだま本人に聞くのは、彼女に甘えているのかもしれない。
「ううん。どうせ来年には受験勉強しなきゃいけないんだし。早めに始めたほうがいいよね。それにね……」
こだまはこちらを見て、いたずらっぽく笑った。その表情に、少し安心して、見惚れて、そしてなぜか懐かしさを覚えた。
「みゆきちゃんと一緒だし」
彼女は微笑む。私の反応を、見ているな。瞬時に思う。
「同じ手には引っかからないわよ」
「あれ、もう使っちゃったっけ、『ストレート返し』」
こだまは悔しそうに俯いた。「私もみゆきちゃんの照れた顔が見たかったのに」
「それは残念ね、感情が顔に出ないって、よく言われるの」
と言ってから、思わず笑いがこみ上げてきた。感情が顔に出ないと言ったばかりなのに。そう思えば思うほど、ますます笑いがこみ上げてくる。こだまが「あ」と言うのが聞こえる。目が合って、私はすぐに顔を逸らす。私は必死に笑いを堪え、目を瞑り、アイスの入っていた紙カップを握りつぶす。脳裏では目が合ったときのこだまの表情が浮かぶ。誰かの小さな笑い声が聞こえて、顔を手で覆ってしまう。
「ふふ。みゆきちゃん、照れると笑っちゃうんだ」
どこからか、夢の中みたいに、声が聞こえる。優しく、嬉しそうな声。
両手の中指を、眉間に突き立てるようにして、顔を手で覆う。笑いを堪えるために。幸せな私に、小さな罰を与えるために。幸せなこの瞬間を、刻み付けるために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます