第21話


 そんな、夏休みも残すところ三日となった、ある日のこと。

 私の筆箱の中に、こだまのシャーペンが入っていた。

 それは、家に帰って、勉強の続きを始めた時に気がついた。見覚えはあるけれど、ここにあるのは違和感がある、それ。ひょいと取り出してみると、こだまのものであった。多分、今日勉強をしている時に、私が使っていた机の上に置きっぱなしだったのであろう。彼女は、途中から集中力がどうとかで、ボールペンを使い始めた。それで誤って持って帰ってしまったのだった。

 私はじっと、そのシャーペンを眺めた。多少年季の入ったそれは、よくみると塗装の剥がれているところがあった。そのことは、このシャーペンが長い間彼女とともにあったことを物語っている。きっと、こだまの頑張りと同じ時間だけ、一緒だったのであろう。

 ――それはもうこだまの一部と言っていいんじゃないか。

 私はカバンにしまってある携帯電話を見た。業務連絡にしか使わないから、いつもカバンに入れっぱなしなのだが、こだまから、あとたまに西尾さんと東野さんからも連絡が来る。東野さんは、夏休み中に三人で海に行ったとかで、写真を送ってくれた。私は当初の勉強スケジュールから遅れていたので、忙しいと言って断ったのだが、その腹いせのような、楽しそうな画像だった。こだまは水着姿か、といえばそう甘くはなく、彼女は白いワンピースを着ていた。純白で、こだまらしい、白。とてもよく似合っていたので、私は東野さんに二回ほど、お礼を言った。

 今日は、着信がなかった。つまり、こだまはまだシャーペンのことに気づいていない。今日、勉強が終わったあと、「疲れた~」などと言って伸びをしていたから、家でゆっくりしているのかもしれない。

 私はもう一度こだまのシャーペンを見た。


 私とこだまはこれからどうなるのだろう。

 たぶん、一般に言うところの、「親友」くらいにはなってると自負してもいいと思う。一緒にいて心地いいし、気兼ねなく話せるし。それはこだまも同じだと思うし。

 でも、私が求めるのは、その先。

 こだまは、ついてきてくれるだろうか。

 私を、受け入れてくれるだろうか。

 ――普通だったら、無理だろう。

 「同性」だから。これは避けては通れない問題だ。

 彼女がいくら優しかったとしても、それとこれは別だろう。彼女には彼女の人生がある。彼女には彼女の意思がある。そこに「干渉」するのは難しい。

 だからこそ私はもどかしい。近づきたいのに、近づけない。触れたいのに、触れられない。それはこの夏休みこだまと何度も会う中、感じたことだった。こだまには言える言葉と言えない言葉がある。超えられない距離がある。見えない壁は確かに存在し、私たちを隔絶している。こだまとの距離は、ある一定の線に漸近するだけで、それを超えることはない。

 私が行きたいのは、その先なのに。


 シャーペンは、まだ私の手の中にあった。天使の残した、一本のペン。近づけない「天使」はそこにいた。

 ――私は嫌なことを思いついてしまった。

 それは、卑劣だが、同時にとても、魅力的だった。

 ――どうせ叶わぬ恋なのだから。

 諦めが一時的に私を支配する。

 少し、舌を出した。意図的な、小さな前進。鼓動が次第に早くなる。

 そして私は、シャーペンの持ち手の部分を、そっと、ゆっくり、近づけた。頭の中には、愛する人の、天使のような微笑みがあった。ひたむきに勉強に取り組む、健気な横顔があった。背徳感。私は、興奮している。

 ――触れた。

 何の味も、匂いもない、無機質なもの。

 でもそこには確かに、彼女の手が、あったはずなのだ。

 はっとして、私は舌を離した。残った感触を、口の中で溶かす。

 えもいわれぬ興奮の中で、罪悪感がもくもくと膨れ上がる。罰当たりなことをしたものだ。消毒しなければ。

 私はそこで、また、良からぬことを思いついてしまった。

 ――このまま返したらどうなるのだろう。

 そして頬が熱くなった。

 好きな子のリコーダーを舐める小学生の男子のようなことを、平気で思いつくものだ。かりそめにも学級委員長なのに。……でも、こだまのリコーダーなら、情状酌量の余地がある――気もする。被害者にとっては冗談じゃ済まないだろうが。

 でも、これは。おまじないみたいなもの。触れられない彼女に近づくための、見えない布石。

 なんて正当化して、身体が熱くなるのを感じながら、こだまのシャーペンを、そのまま筆箱に戻した。

 そして、彼女に連絡を入れた。

 案外早く、返信が来た。

 感謝の言葉と、犬のスタンプが送られて来た。

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