第15話
昼休みになり、弁当を取り出そうとしていた時、誰かの手が肩に触れた。振り向くと、こだまだった。
――そうだ。一緒に食べるって言ってたっけ。
長年の癖というものは恐ろしい。さっきまで覚えていたのに、つい、いつもと同じように一人で食べようとしていた。
こだまに連れられて彼女の席に行くと、西尾さんたちが空いている机をつなげているところだった。一つの机に四人はさすがに窮屈だと思ったのであろう、こだまの席に隣り合わせるようにして机をつなげ、一つの机を二人で使うことにする。
そういえば、私が初めてこだまに声をかけた時も、こうして机をくっつけたのだった。ほんの一、二ヶ月前のことなのに、ずいぶん前のことのように感じられる。
――あの時とは変わった。
友人関係も、こだまへの気持ちも。
私は空いている椅子を引きずって、弁当箱をこだまの机に置いた。西尾さんはこだまの横に座り、その向かいに東野さんが座る。
今日も二人は菓子パンだった。ビニール袋をバサッと机に置く。
こだまが「いただきます」と言って手を合わせた。こちらも相変わらず小さなお弁当。
「こだま。本当にそれだけで足りるの?」
昨日も疑問に思ったことを聞いてしまった。
「う、うん。私は由美ちゃんとか佳菜子ちゃんみたいに運動もしてないし、みゆきちゃんみたいに頭も使わないから…」
「違うよ。こだまは燃費がいいんだよ」
西尾さんがたしなめるように言う。
「みゆきりんのお弁当は、なんかバランスがいい感じだね」
東野さんがこちらを見ながら言った。見ると、こだまの視線も私の弁当箱に向けられている。
「私のは…残り物とか、作り置きを詰めるだけよ。そんなに大変じゃないわ」
「えーっ。もしかしてみゆきちゃん、自分でお弁当作ってるの?」
こだまが目を丸くする。
「え、ええ」
母の帰りが遅い時は、自分で夕食も作る。――それが部活に入っていない原因の一つでもあるのだが。そんなことを言い出したらキリがないので、曖昧な返事にとどめる。
「すごいね。私だったら絶対できないかも」
「こだまも委員長を見習って、好き嫌いせずしっかり食べるんだぞ」
「菓子パン食ってるうちらが言うのは違うでしょーよ」
……しばしの沈黙。
「てかさ、あんたのあだ名のセンス酷くない?こだまちんにみゆきりんって。なんでも『ちん』とか『りん』とかつければいいってもんじゃないでしょ」
「『独特のリズム』ってやつ?ま、由美には理解できないと思うけど」
「あんたねえ」
「まあまあ。佳菜子ちゃん、由美ちゃんには何かあだ名とかなかったの?」
こだまが二人をなだめながら話をそらす。例に倣えば「由美ちん」とか「由美りん」とかだろうか。
「由美のあだ名ねえ」
すると東野さんはニヤニヤし始めた。
「あったあった。そりゃもうたくさん。ぷぷ。『タコ足配線』とか『スベスベマンジュウユミ」とか。色々ありすぎて、結局『由美』に落ち着いたんだよ。これでも十分面白いし」
「人の名前を笑うな!」
――「みゆきりん」はまだマシな方だったらしい。でも、昨日の今日であだ名で呼んでくれる東野さんは人懐っこいところがある。
こんな感じで三人の話を聞いているうちに、昼ご飯を食べ終えた。
こだまは、まだ弁当箱をつついている。
どうやら、彼女は食べるペースが遅いらしい。昨日のあれも、もしかしたら平常運転だったのかもしれない。
「失礼しまーす」
後ろから聞いたことのある声がした。女テニ三人衆だ。
「うわっ。お前ら何しに来た」
「人を見て『うわっ』はないでしょ『うわっ』は。あんたに用はないよ。こだまちゃんに会いに来たの……ってあれ?」
「新メンバー?」
三人の視線がこちらに集まる。
こういう展開は苦手だ。
「ああ。委員長のみゆきりん。こだまちんの友達だってさー」
「委員長…。七組の委員長といえば…北条みゆきさん?」
「ええ」
「ああ。テストでいつも上の方にいる…」
「そうそう。ね、私、テニス部の次期部長で、深瀬絵理っていうんだけど、知らない?」
「ああえっと…」
……駄目だ。自分のクラス以外の人の名前は覚えていない。
「ごめんなさい…」
「まあ『中途半端な優等生』の絵里のことなんか知らなくて当然だよねー」
突き放すように言う西尾さん。
「な、赤点ギリギリ女には言われたくない」
――赤点ギリギリ女。
そんなあだ名もあったのか。
隣ではなぜか東野さんもダメージを受けていた。
「でもその界隈では結構有名なんだよ。毎回ギリギリで回避するって」
「別に自慢になってないと思うけど」
「うーんそれにしても」
次期部長の後ろの方から声がした。
「七組の女子ってかなりレベル高いよねー」
周りを見渡しながらしみじみと言う。
つられて他のメンバーも教室を見渡した。
そんなこと考えたこともなかったけれど、そうなのだろうか。
「男子はパッとしないけどね」
西尾さんが自嘲気味に言った。
近くで弁当を食べていた佐藤正文くん(物理の教科係)がうなだれる。
「面食いの由美が女の子に走るのにも無理ない、か」
「面食いってなによ」
「食いつくところそこなんだ……」
「やーい、スベスベマンジュウユミ~」
「その呼び方やめろ!」
「ねえ佳菜子ちゃん、それってどういう……」
「食べたら毒があるっていうことよ」
「食べる?」
「ああもう絵里、こだまに余計なこと教えないの」
「こだまちゃんの方がスベスベしててお饅頭みたいね。食べちゃいたいくらい」
「こだまに気安く触らないでもらえるかしら」
つい、口が滑ってしまった。
でも、これで良かったのかもしれない。彼女たちは本音で語り合うことを望んでいるのだから、嫌なことは嫌と言っていいはずだ。
とはいえ、皆の視線が突き刺さることは避けられない。
「こだまちゃんのお友達って言ってたっけ」
そう言うと次期部長は私をしげしげと見た。自然に私も、深瀬絵里と名乗った彼女を見る形になった。西尾さんを完全に振り回す彼女。赤みがかった長い髪を束ね、キリッとした美女という印象。運動神経も良いのだろう。そんな彼女は西尾さんの肩に手を置きながら言った。
「由美、まだ次があるよ」
「うん。由美ならきっと大丈夫」
「短い恋だったねえ」
「なんの話だっ」
西尾さんが振り向くと次期部長は驚いたような顔を見せた。
「だって…。由美じゃ残念だけど、勝負にならないかもしれないし…」
後ろからおちゃらけた声がする。
「佳菜子、これで由美は何連敗?」
「公式戦六連敗、犬や猫との練習試合を含めると三十七連敗です」
「最短記録は?」
「三十秒です」
「暗黒期ね」
「いや、むしろ黄金期かと」
「もういいっ。お前ら帰れっ」
西尾さんが叫ぶと、次期部長は満足げに頷いた。そしてこだまの席に寄り、また何やら耳打ちをした。こだまは少し赤くなりながら頷く。
「じゃあねっ」
「おう。二度と来んな」
三人がいなくなると、妙な静けさが残った。
「由美ちゃん。みんなから愛されてるんだね」
ぽつりと、こだまが呟く。
「へ?」
「だって、そんな感じするもん」
東野さんが大きく頷いて、「そうだ、そうだ」と言っている。
「……何?絵里に言わされてんの?」
「ち、違っ…」
真っ赤になって、あたふたするこだま。とっさのごまかしは苦手らしい。
――でも、それは嘘じゃない。
人を許せて、友達思いの、優しい彼女。
「私も、そう思うわ」
本音で、そう言った。西尾さんはすぐに赤くなって、東野さんはうししと笑う。
そんな気恥ずかしい雰囲気に耐えられなかったのか、こだまは「ごっ、ごちそうさま!」と言って弁当を片付け始めた。
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