第百一話 いつものこと




「やあ、アラン。よく帰ってきてくれた」

「本当に……よく帰ってきてくれたわ」



 無事退院して公爵邸に戻った俺は、公爵夫妻と数名の使用人から出迎えられた。

 皆満面の笑みなのだが、これは俺を心待ちにしていたという証左だろう。



「旦那様、奥様。お二人がお出迎えをしてくださるということは……状況は良くないようですね」



 俺がそう言えば、夫妻は揃ってがっくりと肩を落とす。



「そういうことになる」

「まあ……見てもらった方が早いかしらね」



 国一番の大貴族に相応しくない、しょぼくれた後ろ姿でとぼとぼと歩き始めた夫妻の後に続き、俺は本館を通り過ぎて別館――リーゼロッテのトレーニングルーム――に到着した。


 数名の男女が訓練中のようで、中からは威勢のいい声が聞こえてくる。



「お嬢様の定位置ですね。……あの、一体どうなされたというのですか?」

「まあ、まずは見てくれ」



 言われるままに扉を少し開けて、中の様子を盗み見たのだが。



「ジョンソン! 腕が下がっているわよ! アルヴィンはもっと回転上げて!」

「……ぬ、くぅ」

「オラ! だりゃあ!」

「ほらそこ! 休憩終わり! 次のメニューよ!」



 ジョンソンさん、アルヴィンを始めとした公爵家の使用人たちが、鬼軍曹からしごかれていた。

 俺の後輩にあたる若手の使用人も、結構な数が訓練に参加しているのだが。

 肩で息をしていたり、床でくたばっていたりと死屍累々の有様だ。


 リーゼロッテは髪をポニーテールにして、竹刀を片手に指導をして回っているのだが。服装は言うまでもなくトレーニングウェアである。

 全くお嬢様・・・に見えないお嬢様の姿を一瞥してから、俺はそっと扉を閉めた。



「……ふぅ」

「頼むよアラン、何とかしてくれないか」

「なんとか……と、仰いましても」



 自分が鍛えるだけでは飽き足らず、屋敷の人間まで本格的に鍛えるようになった、ということだろう。

 どうやらリーゼロッテは、俺が居ないのをいいことに、相当自由気ままな生活を送っていたようだ。



「お願いよアラン。あの子ったら、自分の団体を立ち上げるんだ、なんて言っているの」

「……何の団体でしょうか?」

「さぁ……それは私たちにも分からない」



 リーゼロッテがいつぞや言っていたことを思い返せば、「スター選手になるだけではなく、世界レベルの団体を立ち上げる」と息巻いていた記憶がある。


 団体とは、恐らく格闘技団体のことだろう。

 種目は分からないにしても。俺というストッパーがいないうちに、計画を大きく前進させていたようだ。



「畏まりました。お嬢様の本来の・・・ご予定はどうなっていますか?」

「午後一からマーガレット先生の作法教室があるね」

「……今すぐ切り上げていただきましょうか」



 既にお昼時だ。そろそろ食事を済ませて、湯浴みをさせて、着替えさせなければいけないだろう。


 深呼吸をした俺は、先ほどとは違い、勢いよく扉を開け放った。



「何してんだリーゼロッテェ!!」

「おおっ、道場破り! ……じゃないわね。アラン! 体はもう大丈夫なの?」

「この惨状を見て、傷口が開くかと思ったわ」



 今はリーゼロッテ付きになっているジョンソンさんはともかくとして、アルヴィンを始めとした使用人は皆仕事があるはずだ。



「鍛えるのは結構だが、お前ら仕事は終わらせてんだろうな?」



 俺が満身創痍の使用人たちを見れば、全員が揃って俺から目を逸らした。

 どうやら仕事はストップしているようだ。



「午後から礼儀作法の稽古があるらしいが……予習はしたのか?」

「え? あ、いや、そのぅ……」

「やることは、キッチリ済ませてからにしろ! ほら準備だ、お前たちもさっさと持ち場に戻れ!」



 俺が怒鳴り散らせば、若手の使用人たちはそそくさと立ち上がり、トレーニングを中断して身支度を始めた。



「さぁて、俺が居ない二ヵ月で、どれくらいレベルが上がったのか見せてもらおうか」

「れ、れべる? あ、あはは。組み討ちの精度なら……それなりに?」

「……勉強面のことを言っているんだなぁ、俺は」



 主人の目が泳いでいるところを見ると、サボっていたのは想像に難くない。

 もうじき学年末テストがあるのだから、ここからは鬼のように勉強してもらわねばならないだろう。


 差し当たり、俺はおののいているリーゼロッテの首根っこを掴み、奥のシャワールームまで引きずっていくことにした。



「え、ちょっと」

「さあ、さっそく今日から始めよう。マーガレット先生の授業は厳しくしてもらうからな。家庭教師の授業も追加だ」

「あのね、アラン。聞いて?」



 油断すると逃げる恐れがあるので、がっちりと捕まえたまま俺は耳を傾ける。



「何だ」

「主人の要望を叶えるのが執事の仕事でしょう? 私の望みはのびのびと、思う存分トレーニングをすることよ?」

「主人のためにならないことには、反抗するのが配下の役目だ。諦めて今日から缶詰してもらおうか」



 取り敢えず、テストまでの間はトレーニングを一日一時間までにしよう。

 と呟けば、リーゼロッテは駄々っ子のように手足をじたばたとさせて抵抗した。



「い、いやっ! せめて一日四時間は……!」

「なげぇよ! 小テストの結果次第だ、ほら、さっさと支度しろ!」

「いやぁぁあああ! 誰かぁぁあああ!」



 リーゼロッテはなおも抵抗するが、俺は公爵夫妻から「何とかしろ」という命令を受けているのだ。

 雇い主がバックに付いているのだから、何をはばかることがある。


 どうしようか戸惑っている使用人たちに向けて、俺は再度一喝する。



「何ボサっとしてんだ! さっさと散れ!」

「え、いや、ですが……」

「いいから。ここはアランに任せて、行こうぜ」

「そうだな……。こういう時は。任せるのが、一番だ」



 付き合いの長いアルヴィンとジョンソンさんは即座に撤退を決めたらしく、誰よりも早くこの場を脱しようとしていた。

 そして、入れ替わりにメイブルが入ってくる。



「アラン、終わった?」

「おう、湯浴みの用意を頼む」

「了解」



 堅実な仕事に定評のあるメイブルに、リーゼロッテを引き渡した。

 彼女は淡々としているので、リーゼロッテに流されるようなことはあるまい。任せても安心だ。



「すげぇ。アランさん、公爵家のご令嬢を怒鳴りつけたぞ」

「ああ、命が惜しくないのかな……?」



 賞讃ともドン引きとも取れる、去って行く後輩たちからの声を聞き流しながら。

 俺は一旦公爵夫妻の元へと戻る。



「何とかしました」

「あ、ああ。お疲れ様、アラン」

「よくやった……? うん、よくやってくれたわね、アラン」



 完全に荒事となったからか、夫妻は引き攣った顔をしていた。

 が、そんなことは知ったことではない。

 この二人が娘に嫌われたくないから厳しく叱れない――という理由で使用人たちが割りを食ったのだ。


 ……そろそろこの二人にも、けじめ・・・を付けてもらうべきだろうか。


 そう考え始めた俺の横で、夫妻はひそひそ話をしていた。



「……最近のアラン、ロベルトに似てきたかな?」

「そうね。もしかして、そのうち私たちまで……」

「いやいやまさか。アランだって、公爵に落とし前なんて付けるはずが……付けないよね?」



 相手が誰だろうが、俺は一向にかまわん。

 ふざけたことをする人間には落とし前だ。


 ……まあいい。こんなことはいつものことだ。もう少し建設的にいこう。

 俺が不在だった間に遅れているであろう、勉学の内容をどう取り戻すかが重要だ。


 そんなことを思いながら、俺はマーガレット先生との教育プラン構想を始めていた。


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