閑話 彼女が彼になった時(前編)
私の名前はマリアンネ。
ウィンチェスター侯爵家の娘として生まれて十年。
どこに出しても恥ずかしくない淑女となるべく教育をされてきた――が、私はそんなものに興味は無い。
座学は得意だが、決して好きではない。
特に礼儀作法の勉強は、壊滅的につまらないと思っている。
間違った動きをすれば先生は懲罰棒で叩いてくるし、ダンスの練習で着るドレスは動きにくい。
もっと動きやすい恰好の方が、ずっと私の好みに合っている。
だから私は。
「お止め下さいお嬢様! なんという格好で!」
「あははっ、だって楽なんだもーん」
半袖短パンで、よく遊びに出かける。
髪の毛だって許されるギリギリまで短くして、兄のパトリックよりも少し長い程度に留めている。
この姿で平民に混じって遊んでいるのだから、一見しただけでは良家のお嬢様に見えないだろう。
王都の中でも郊外に位置するウィンチェスター家の周りには、小高い丘や林があった。
私はアウトドア派で、毎日のように遊びに出かけているのだ。
木に登って木の実を採ったり、川で魚を捕まえたりと動き回るので。スカートなどとてもじゃないが着ていられない。
お転婆娘の自覚はあるが。使用人たちが外出を止めようと立ち塞がるのを、あの手この手で躱すのが一つの楽しみとなっている。
とまあ毎日それなりに楽しく暮らしていたのだが、そんな日々も長くは続かなかった。
「あら? お客さん?」
今日も遊びに出かけようと、こっそり一階の窓から家を抜け出そうとした。
しかし庭を通り過ぎようとした時、見慣れない馬車が停まっていることに気が付いたのだ。
どこかの貴族が来客する時は、おめかしをして父の横に座っていなければならない。しかし今日は呼ばれてはいないので、客人は多分商人だろう。
「うーん。前に来た商人は舶来品を持ってきたんだっけ? ……今回も面白いもの、あるかな?」
そんなことを考えながら家に戻って、応接室の扉を少しだけ開いて中の様子を伺ったのだが。
父とパトリックが真剣な顔で、商人風の男二人と話し込んでいた。
今から大っぴらに登場できる雰囲気でもないので、私はこのまま盗み見ることに決めて、中腰の姿勢をとる。
さて、彼らが何を話し込んでいるのかと思えば。
「ご子息には
「新商品の開発……か。主軸となる商品は欲しかったところだが。息子にできるものかね?」
「もちろんですとも」
どうやら、商売の話みたいだ。
珍品を売りに来たのではないと分かって、私は少しだけガッカリした。
だが、何の話だろう? という興味はあるので、そのまま話を聞くことにする。
「魔道具屋のクリストフ殿は天才魔術師などと呼ばれておりますが、初級の魔法しか扱えません。ご子息ならば、超えるのは容易かと存じます」
「噂には聞いていたが、本当にそうなのか?」
「ええ、確認済みです。どう考えても、ご子息の力量は彼よりも上ですよ」
ここ最近、領地の経営が上手くいっていないことは聞いていた。
何でもアラン・レインメーカー子爵と、クリストフ・フォン・アーゼルシュミットという男が手を組んで、魔道具事業に乗り出したらしい。
それでウィンチェスター領の産業が壊滅状態なのだとか。
「いいじゃない父さん。ボクの力でウィンチェスター領が助かるなら」
「そうは言うが、果たして本当にできるものか……」
父は毎晩、執務室で困ったように唸り声を出している。相当苦しい時期だというのは、私もパトリックも知っていた。
だからか、兄は努めて明るい声で、前向きな意向を示している。
「既存の販売ルートを持っていらっしゃる侯爵家ならば、商品さえできればすぐに巻き返せましょう」
「そうですよ、侯爵閣下。我々も全力でご協力を致しますし、支度金を金貨で二千枚ご用意致しました。既に設備も整っているので、後は研究者の確保だけという段階なのです」
それに商人二人も猛烈な後押しをしていた。
口調は穏やかなものの、押しは強そうだな、などと思うが。あれは私にはよく分からない世界だ。
「まあ、私には商売の話は分かんないしね。さ、遊びに行こーっと」
私は足音を立てないようにそっと応接室を離れて、暢気に近くの林まで遊びに出かけることにした。
今日はいつも遊んでいる平民の子たちが、農作業の手伝いがあるとかで誰も来ていなかった。
仕方がないので、私は一人、廃材を集めて作り上げた秘密基地でゴロゴロしていたのだが。
しばらくそうしていれば、遠くから微かに人の声がした。
「こんなところで何だろう……もしかして逢引き? 面白そうね」
結婚を反対されている男女が人目を忍んでこっそり会う。そんな本は読んだことがある。
ちょっとした出歯亀気分で、声がする方に近づいて行ったのだが――
「それでウィンチェスターの小僧は
「おい、誰が聞いているか分からんのだぞ」
「農繁期に、こんなところで誰かと会うかよ」
「まあそれはそうだが」
一瞬、驚いて声を上げそうになった。
パトリックを攫う? 誘拐ということだろうか。
心臓が早鐘を打つ音が嫌に大きく聞こえて、彼らにも聞こえてしまうか心配になるほどだ。
それほど動揺していたのだが、小さく深呼吸を繰り返して、何とか自分を落ち着かせる。
「明日の朝に迎えに来るってことで話は付いたさ。でもよ、いくら貴重な実験材料だからって、わざわざ商人に化けて接触する必要があったのか?」
「ウィンチェスター領に行ったことにするんだ。普通に攫うよりも時間が稼げるだろ」
「それはそうだが、わざわざ大金を支払ってまでやることかねぇ?」
「上の考えは、俺らなんかには分からんさ。ほら、次の指示だ、抜かるなよ」
そっと茂みから顔を出せば、そこにいたのは屋敷に来ていた商人の片割れが居た。
もう一人は知らない顔だが……彼らはパトリックのことを実験とやらに使うらしい。
あの話は詐欺だったのか。
そう思い私は愕然としたのだが、ここで呆けていても仕方がない。
その場をやり過ごした私は、覚束ない足取りですぐに家へ向かった。
「どうしよう」
夕食の時に切り出そうと思ったが。今後の見通しを笑顔で語る父と兄に、私は何も言えなかった。
何となく言いづらくて、切り出すタイミングを逃してしまったのだ。
このままではパトリックが怪しげな実験の被害に遭ってしまう。
しかし今のウィンチェスター家としては、あの商人たちからの資金は、喉から手が出るほど欲しい。
正直なところ、私には経営など分からないが。
金貨二千枚もあれば領内の産業を……少なくとも一ヵ月は延命させられるだろう。その時間は、今のウィンチェスター家にとって大きな意味を持つ。
「……やっぱり、これしかないよね」
金と兄を天秤にかければ、もちろんパトリックの方が大事だ。
だが、金を手に入れて兄を守る――奴らを出し抜く方法だってある。
抵抗があって一瞬手が止まってしまったが、決心を新たに私は鏡の前に立った。
そして、くすねてきたハサミを使って。自分の髪を切り落としていく。
「あはは……本当に、女らしくないなぁ。私」
一応セミロングくらいはあった髪を、バッサリと。
パトリックと同じくらいにまで切れば、本当に男の子に見える。
起伏に乏しい、子どもの身体というのも今回はプラスに働く。
悲しいことに胸も小さい方なので、パトリックの服を着るだけで目を欺けるだろう。
「倉庫からロープと、薬箱から強めの睡眠薬も持ってきたし。あとは……護身用の魔道具を持っていこうかな」
明日の朝食前に、パトリックを睡眠薬で深く眠らせるつもりだ。
そうすれば次に目覚めるのは昼過ぎになるだろう。
その後はロープで縛って、どこかのクローゼットにでも放り込んでおく。
そして父には「マリアンネは朝食も取らずに出かけた」と言って誤魔化し。
パトリックに成りすました私が、代わりに攫われる。
これが私の作戦だ。
本当は商談を断るべきなのだろうが、領地の未来を考えたらそれはできない。
今はお金が無くて首が回らない状態だが。父と兄が本気になれば、あのお金を元手に別な商売を始めて持ち直すこともできるはずだ。
「パトリックは、私なんかよりずっと優秀だから。だから……きっと大丈夫」
例え私が失敗をして、
いや、むしろ実験材料として使い潰された方が、時期当主であるパトリックの身は安全になる。
政略結婚の使い出もない、お転婆娘の使い方としてはこの上ないだろう。
私だって死にたくは無いから、もちろん逃げてくるつもりではいるが。
できることはそれくらいだ。
今日は早めに寝ようと思い、すぐにベッドへ戻ったのだが。
行った先で何が待っているのか。悪い想像ばかりが広がっていく。
胸に重りを載せられたように息が苦しくなり。
私は、いつまで経っても寝付けなかった。
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