閑話 彼女が彼になった時(後編)




「居たか!?」

「こっちには居ない! 野郎、どこに逃げやがった!」



 吐き捨てるような悪態がすぐ近くから聞こえる。

 私は路地にあったゴミ箱の中で息を潜めて。悪臭にもじっと耐えながら、声が遠ざかるのを待っていた。

 彼らもまさか、侯爵家の子息がゴミ箱の中に隠れているとは思わなかったようだ。



 無事にパトリックに成りすました私は、何食わぬ顔で商人たちの馬車に乗り込み、研究施設へやって来ることになった。

 幸いにして父にもバレなかったようだし……あとは頃合いを見て逃げるだけだったのだが。

 思いのほか早く勘づかれてしまった。



 研究所に到着した私は、まず荷物の中に紛れ込ませていた睡眠ガスを使って、商人風の男たちを眠らせた。

 次に屋敷の窓から脱出して、高い塀の脇に生えていた樹に登り。

 そこから苦手な風魔法を使って、塀の向こう側に着地した。


 ここまでは完璧だった。

 だが、番犬が吠える声を聞きつけた見張りが私を発見し、林の中を逃げ回ることになったのだ。


 屋敷は王都の外れにあったようで、周囲の土地にはまるで見覚えが無かった。

 土地勘が無い場所を闇雲に逃げ回るうちに、スラム街と思しき場所までは来られたのだが……。



「この後がノープランなのよね……」



 じっくりと作戦を練る時間など無かったので、この先は完全に出たとこ勝負だ。

 考えられる手としてはウィンチェスター家の御用商会経由で手紙を出して、実家へ助けを求めるくらいだろうか。



「でも、家には見張りが付いているだろうし……バレたら違約金とかあるのかなぁ」



 どんな契約になっているのかくらい、確認してから作戦を立てるのだったと後悔するが。

 今更言っても後の祭りだ。



「いざとなったら侯爵家の権力を使って、契約金を召し上げるくらいはしてよね、お父さん」



 そうでないと私がこんなことをしている意味が無くなる。

 ……あとはもう、父が上手くやることを願うしかないだろう。


 そもそもの話、置き手紙で事情の説明くらいしてくるべきだったし。

 パトリックはもっと安全なところ――それこそウィンチェスター領にでも匿うように手配してからくるべきでもあった。


 暗いゴミ箱の中で一人、考えるほどに穴が出てくる。

 捕まったら何をされるのか分からないという恐怖と、自分の短慮さに涙が出そうになっていたのだが。



 不意に、軽い音を立ててゴミ箱の蓋が開いた。



「あっ!」

「うおっ! 何だぁ!?」



 蓋を開けたのは、極悪人という概念を擬人化したような強面の男だった。

 恐らく前科は十犯を下らないだろう。


 ……折角逃げられたのに、人攫いに遭ってはたまったものではない。

 そう考えた私は即座に逃げ出そうとしたのだが、ゴミ箱に足がもつれて転んでしまった。


 当然の如く路地に大きな音が響き、その音は、まだ近くにいた追手にも聞こえてしまったようだ。



「あっちから音がしたぞ!」

「探してみろ!」



 背後――曲がり角の先から追手の声が聞こえた。このままでは異変を聞きつけて男たちが戻ってきてしまう。

 しかし目の前には悪人面の男が立ちはだかっている。


 前門の凶悪犯、後門の人攫いに挟まれた私は絶望したのだが。



「訳アリか……? おう、ちょっとそこのあばら家の中に入ってな」

「え? あ、ちょっと!」



 首根っこを掴まれて、私はゴミ箱の横の。誰の物とも知れない粗末な小屋に押し込まれた。



「おい! 今ここを、金髪の小僧が通らなかったか?」

「ああん? んだテメェら。俺はな、今機嫌が悪いんだよ!」



 男はそう言って、ゴミ箱を蹴り飛ばしたようだ。

 窓というのも烏滸おこがましい、ガラスが付いていないただの穴から外の様子を伺えば。通りの真ん中にまでゴミ箱が転がっていくのが見えた。



「貴様っ!」

「よせ、揉めてる場合か」

「チッ、紛らわしいことしやがって。……行くぞ!」



 悪人面の男がゴミ箱を蹴り飛ばした音だと判断したらしく、今度こそ本当に追手は行ったようだ。


 十数秒の間を置いてから、男も家に入ってきた。

 外の明かりに照らされながら薄暗い小屋に入ってきた男の姿は、正しく不審者そのものである。


 私は咄嗟に飛び退き、いつでも攻撃できるように身構えた。



「近づかないでください! 攻撃しますよ!」

「おいおい、それが恩人に対する態度かよ。俺はな、この辺りで顔役をしているロベルトってもんだ。お前の名前は?」

「……パトリック」



 まだ信用できないから、家名まで出すわけにはいかない。

 相手の素性も知れないので警戒していたのだが、男は困ったように眉を曲げながらぼやく。



「どうせいいとこのお坊ちゃんだろ? 早く家に……帰れんのか?」

「……ええ、少し、事情があって」

「そうか。まあ、ここは大通りに近くて治安がいい。窃盗も日に五件くらいのエリアだから、行くアテが無いなら暫くいりゃあいい」



 この男は本当に、「治安がいい」という言葉の意味を知っているのだろうか。

 やはりスラム街に留まるのは危険か――と思ったのだが、男は続けて話す。



「仕事が欲しけりゃ紹介してやるが、どうだ?」

「仕事、ですか」

「おう。見たところ路銀は持っていねぇみたいだしな」

「まあ、それはそうですが」



 ゴミ箱から食料を漁ったり、盗みを働いたりするのは避けたい。

 だが、こんな場所でまともな・・・・仕事はあるのだろうかと訝しんでいたのだが。



「貴族のボンボンなら読み書きは問題無いだろうし、魔法も使えるんだろ?」

「なっ!?」



 名前しか言っていないのに何故貴族だと分かったのか。

 驚きのあまり再度身構えた私に、ロベルトは呆れたように言う。



「着ている服が上等過ぎんだよ。そんな恰好している奴が、スラム街にいるかっての」

「それは……。確かに」



 夢中で逃げていたからよく覚えてはいないが。

 思い返せば、すれ違う人は皆ボロ切れを着ていた気がする。

 と、私は妙に納得してしまった。



「だろ? 貴族の知り合いだって何人かいるし、服の価値くらいは俺にだって分かるんだよ」

「迂闊でしたね。こういう可能性も想定して、もう少し質素な服にするべきでしたか……」

「いや、それよりお前。攻撃するって言いながら丸腰で手を前に出してんだから、魔法しかねぇだろ。大抵の平民は魔法なんて使えねぇの」



 それもそうだ。

 平民と言っても、流民で使える者はほぼ居ないだろうし。市民の中でも数十人に一人という割合だろうか。

 明らかに使い慣れた様子を見せてしまったのも失敗だった。



「見たところ十二、三歳か。使える魔法の種類と等級は?」



 なるほど、よく見ている。と、目から鱗が落ちる気分でいたのだが。

 ロベルトは淡々と、面接か事務処理の如く私に質問を投げかけた。



「わた――ボクを売り払うつもりですか?」



 魔法が使える奴隷は貴重だ。滅多に出てこないから高値で取引されると聞いたことがある。

 油断させたところを捕まえる作戦かと思い身構えたのだが、彼は又しても呆れた表情をしていた。



「この辺りじゃ人身売買はご法度なんだよ。俺がそう決めた。小間使いより、魔法を使えた方が稼ぎがいいってだけの話だ。……で、仕事はいるのか、いらねぇのか」

「……内容によります。違法なものは、ちょっと」

「そんなもんをガキにやらせるかよ。まあ、慎重なのはいいことだが」



 ぶつくさ言いながらボヤいているロベルトだが。段々と、見た目以外は悪人らしいところが無いように思えてきた。

 何かがあればすぐに逃げるとして。顔役だと言うのであれば彼を頼ってみようか。


 そう思った私は使えそうな技能を全てを話して、返答を待った。


 そして数秒開いてから、彼はボリボリと頭を掻きながら言う。



「中級魔法全般が使えて、領地の台所を預かるレベルの算術ができて、野外作業でも構わない? お前、どんな暮らしをしてきたんだよ」

「こういう場所で、詮索はご法度では?」

「ただの興味だ。……まあいい、俺はこの後アポイントがあるから先にそっちを済ませてくる。終わったら戻ってくるが、逃げるんだったら右手側が大通りだ」



 親切にも逃げ道まで教えてくれた彼は、肩で風を切って去って行った。

 方角を見ればどうやら本当らしいし、彼のことを信じられなければ逃げてもいいぞ、ということだろう。



「一応、信じて待ってみましょうか」



 そう決断したことで、この後すぐに衝撃の出会いを果たすことになる。


 あと十数分で人生が劇的に変わることなど、この時の私には知る由も無かった。

 知っていれば近くの水場で身を清めて、臭いを取る努力くらいはしただろうに。



 髪の毛はボサボサで、ゴミ箱の中に居たから臭いも……多少はあったはずだ。

 第一印象は最悪だったと思うのだが。

 どうしてアラン様は、私なんかに一目惚れしたのだろうか?




 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

 アランが言うタイミングを逃しているので、勘違いは継続中。


 マリアンネが強引に迫ってくるアランにときめくシーンと、親分が見せる元祖世紀末式交渉術は今回もカットです。南無。

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