第五十九話 お義姉さまとお呼びしたい 後編

 最初は三人称風。後はクロス視点。


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 さて、アランたちが帰ってからすぐのことである。

 エミリー・フォン・ワイズマンは、父であるワイズマン伯爵の執務室で対話を始めていた。



「エミリー」

「はい、お父様」

「お前から見て、レインメーカー子爵の印象はどうだ?」

「良さそうな方ですね。伴侶として、共に暮らしていけそうです」

「そうか」



 婚約者となった男性――先ほどまで茶会をしていたレインメーカー子爵――と顔合わせをしたエミリーは、その一挙手一投足をつぶさに観察していた。


 彼の表情の動き、仕草、内心で何をどう思っていそうか。

 全てを観察した結果、エミリーが思う伴侶の合格点には達したようだ。だが、その返答を聞いたワイズマン伯爵の顔は渋面であり、娘に対して更に問う。



「……それだけか?」

「女性慣れしていなければ……貴族的な言い回しにも、慣れていない様子でしたね。変わったお方です」

「それは私も感じたことだ。お前にしか見えていないものが、何かないかと思うのだが」



 父も、公爵家も王族も。あのレインメーカー子爵に何かを期待しているようだと、エミリーは勘づいていた。

 今はそこまでの大物には見えずとも。それでも娘を溺愛する父が、愛娘を政治の駒として使うことを決断したほどの人物だ。

 さて、何か特筆すべきことはあるだろうかと、彼女はお茶会の席での会話を振り返る。


 そしてふと、雑談の最中でエールハルトとリーゼロッテの話題になったときの、彼の表情を思い出した。



「ああ、そう言えば」

「何か?」

「殿下とリーゼロッテ様の話題になったときの表情……あれは、忠誠心とはまた別の感情を抱いているようでした」

「そうか……それは何と見る」



 父の表情が僅かに険しくなるが、心配する類のものではない。エミリーはそう思っている。

 アランの持つ感情は、上位者に対する敬意や、報恩といったものでこそないものの。悪意や害意といったマイナスの感情からは対極にあると感じていたからだ。



「そうですね……お父様が私に向ける眼差しと、近いものがあります」

「…………殿下やリーゼロッテ様を、実の子と同じように見ていると?」

「まさか。歳が違いすぎます。家族、いえ……弟や妹に向けた信愛の情。それが一番近いかと」

「王族と公爵家のご令嬢を、弟妹扱い……か」

「はい、家族と呼べるほど、親しい間柄なのでしょう。上位者を立てるという貴族的な考えではありませんが、それも一つの考え方です」



 これまでにエミリーが接してきた貴族の令息たちとは、全く違う考え方、全く違う尺度で物事を見ることができる男。

 その価値観には、エミリーとしても興味を引かれるところだった。



「……いいですね」

「む?」

「お父様。私はいいと思います」



 貴族社会で生きていく上で、考え方の方向性がズレているのは間違いない。

 しかしエミリーは、その考え方を支える付属品――気概の方は、実に好ましいと考えていた。

 彼の性根をそのままに、考え方を貴族的なものに誘導できれば、それは頼もしい夫になることだろう。

 と、エミリーも心の中で太鼓判を押す。



「彼のことが気に入ったのか」

「はい……楽しみです」

「楽しみ、か」

「ええ、実に」



 ワイズマン伯爵家のやり方は、硬軟織り交ぜた交渉を得意とするものだ。

 エミリー自身には適正が無かったが、アランならばむしろ水が合うのではないか。と、エミリーはそうも考える。



「ふふ。実に教育の甲斐がありますね、お父様」

「……そうだな」

「ああ、それから、一番重要なことが」

「………………何かな?」



 分かっているくせに、と言わんばかりに頬を膨らませてから、エミリーは身を乗り出して父に尋ねる。



「メリルさんと引き合わせてくれたことには感謝していますが。レインメーカー子爵は、彼女を側室に迎える気はないのでしょうか?」

「本人は、無いと言っていたが」

「…………まあ。そこも教育・・次第、でしょうか?」

「…………で、あるか」



 エミリー・フォン・ワイズマンは、天使のような笑顔でにっこりと微笑む。








 神様は知っている。何でもお見通しだ。


 メリルが終始微妙な表情だった理由も。

 エミリーの前で、黙して何も語らなかった理由も。

 危険を察知して、アランにも伝えようと頑張っていた理由も。


 全部知っている。



「こんなタイミングで、下界から謎の信仰心が飛んできたかと思えばこれだものなぁ。……大丈夫か? アランのやつ」



 アランがに祈ったものだから、彼をマークしていた俺のところにも当然反応があった。

 それで少し時間を巻き戻してみれば、アランが人知れず窮地に陥っているところだったのだから笑えない。

 ……いや、むしろ笑える。


 そう思い、俺は机の端に置いてある乙女ゲームの資料を一瞥する。

 公式ガイドブックに載っていない、製作スタッフのインタビ・・・・ュー記事・・・・がここにあるのだが。

 質疑応答のコーナーとでも言おうか。そこにこんな質問があった。



「Q:何故ヒロインだけがイジメられて、親友のエミリーは無事なんですか?」



 尤もな疑問だろう。

 「原作」では二人がセットで行動をしているのだから、エミリーもイジメの標的になる可能性の方が高いだろうに。むしろ二人でいるときには、ヒロインは一度も酷い目に遭わない。

 だからこそ、殺伐としたシーンでも癒しになるのだが。



「A:エミリーに手を出すとエラいことになるからです」



 公式のアンサーがこれだ。

 開発スタッフ曰く、エミリーに手を出すと食われる・・・・のだそうだ。


 嫌がらせを仕掛けたモブの令嬢が、ヒロインの親友に食われて花を散らす様など。そんな場面を乙女ゲームでお見せできるわけがない。

 これは製作スタッフの悪ふざけ発言……なのだが、公式・・が決めたことには違いない。

 その性質も、この世界のエミリーにはしっかりと引き継がれている。


 リーゼロッテ、アラン、エールハルトといったイレギュラーを起こしているメインキャラクターとの関わりが無かった分。こういうところまで「原作」のエミリーを、忠実になぞっているのだ。



「つーか、気づけよアラン。何度か物凄く鋭い目をして、お前らのことを品定めしてたってのに。メリルは何だかヤバい奴だって、途中で気づいてたぞー」



 ついでに言えば、ワイズマン伯爵はメリルが・・・・危ないと判断して、警告を送ろうか迷っていた。

 メリルにも何となく察するところはあったようで、下手をすると自分がエミリーに落とされるということは、十分に理解していたようだった。


 恋は盲目とでも言おうか。

 エミリーに夢中だったアランだけが何も気づかず、幸せそうな顔をしていたのである。



「知らぬはアランばかりなり……と」



 そう呟いて、俺はまた一枚書類を捲り、決済事項を確認していく。


 さて、ヒロインと親友endで結ばれることもある彼女は。

 ……いや、彼女。周囲の人間に負けず劣らず、並大抵の人物ではない。相手が男でも女でも構わないどころか、むしろ女性の方がイケる口だ。

 嫌がらせに来たモブキャラの令嬢だって構わないで食ってしまう人間だし、伯爵家のメイドも何人かがお手付き・・・・になっている。


 アランにはそこそこの好感を持ったようだが。お茶会の最中も、その視線はメリルをロックオンしていた。

 女好きは筋金入りだ。



「これはアランよりも、一緒に行動することになったメリルがピンチな案件かねぇ。うかうかしていると自分がエミリーに攻略されてしまうんだからな。はっはっは」



 とは言え、アランはアランで大ピンチだ。

 エミリーは全力でメリルとアランをくっつけようとするだろうし、かといって急にメリルと距離を取ったら不自然な状況になってしまう。


 リーゼロッテとエールハルトの恋を応援しつつ。

 メリルがエールハルト以外の攻略対象に向かうように誘導した上で、その恋も応援しつつ。

 メリルと結婚させようとしてくるエミリーから逃げながら、婚約者であるエミリーを大切にする。

 大前提として、それら全てが「原作」と乖離しないように、調整しながら立ち回る必要がある。


 アランはそんな、わけの分からない状態に陥ったわけだ。

 彼にはもう、全部やり遂げる以外の道はない。

 万が一メリルがアランのルートに入ろうものなら、色々と終了してしまうのだから。



 しかも、お付き合いする前からエミリーの半裸を見てしまった。

 更に、顔合わせの席に女性を伴って来た。

 ついでにプレゼントが現地調達などなど。アランは既に隙を晒しまくっているわけだが。

 父親とタッグを組んで教育・・しようとしてくる婚約者と、この状況からどう付き合っていくのが正解なのか、彼の行動は見ものである。



「……まあ、俺は傍観者に徹するだけだ」



 物語の神としては、筋書のないドラマほど面白いものはなく、実入りもいいのだから。



「ははは、シュレディンガーのアランね。オーケー、そこは認めよう。でもアラン。そううそぶくのであれば、公式が確定させたエミリーの性質を知ったとしても……まさか文句は言うまいね?」



 エミリーはワイズマン伯爵からの英才教育を受けているだけあって、天真爛漫ながら素で計算高い。いっそアランが、何も気づかないまま掌の上で転がされる未来まである。

 これはこれで楽しみだ。と、俺はこの先の展開を想像しながら、更に書類の処理を進める。


 まあここで一つだけ、今、確実に言えることがあるとするならば。今後もアランがエラい目に遭うことだけは間違いなさそうだ。



「……精々、俺の残業に見合うだけの働きはしてくれよな」



 そう愚痴りながら、ちらりと下界の様子を伺えば。

 そこにはとてもとても幸せそうな顔で、踊るようにくるくると回っている少女がいた。



「ああ、楽しみです。レインメーカー子爵を教育して、重婚など・・・・いくらでも・・・・・するべき・・・・という考えに持っていかなければいけませんね。うふ、ふふふふ」

「…………」



 父親であるワイズマン伯爵は、どこで娘の教育を間違えた、と思いつつも。

 この十五年「男は狼だ、ケダモノだ」と教え続けた、自分の非について考え始めていた。

 しかし、全ては後の祭りである。エミリー・フォン・ワイズマンという少女の人格と性癖は、既に固まってしまったのだから。



「レインメーカー子爵がメリルさんも娶ってくれれば、合法的におねえさま・・・・・とお呼びできますものね。これからの学園生活も、将来の家族になるかもしれない人たちとの交流も、胸が躍ります」

「…………で、あるか」



 最後に少女は父親に向けて、「お父様、私今とっても幸せです!」などと言うものだから。彼は右手で顔面を覆いながら、天を仰いでしまった。





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 メリル。アランと結婚させられて、エミリーの義姉にされ、その後食われかねないという大ピンチルートへ突入。百合ルートへの道が見えてきましたね。

 アランもアランで、考え方をコントロールされて、いいように操縦される危機です。


 ともあれ、エミリーは非常に愛情深い女性なのです。

 男性には博愛を。女性へも純愛を。まあ女性への愛は少々行き過ぎており、まさにクレイジーサイコレ……ん? こんな時間に誰でしょう?


 次回、閑話。

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