閑話 大金とメイブル



 俺が久しぶりに銀行口座を確認してみると、中身の桁にゼロがたくさん並んでいた。

 しばらく放っておいた間に、投資していた事業から入ってきたお金が怒涛のように貯金されていたのだ。



 内訳としてはまず、鍛冶屋から入金されたトレーニング器具の販売代金だ。

 王室御用達となった影響で、一般向けに販売された各種トレーニング器具の売上が凄いことになっていた。

 第一王子の趣味が筋力トレーニングであると広まったことから、民間でも筋力トレがブームになりつつあるらしい。

 そんなわけで、売れ行きはすこぶる好調なようだ。


 続いて公爵家の御用服飾店から入ってきた、新しい生地の売上だが。

 新素材として開発された衝撃吸収用のマットは、防音性に優れているという特徴があるため。予想外なことに建物の建材として人気になっていたようだ。

 安普請のアパートだとしても、これを入れるだけで遮音性が跳ね上がるのだ。


 ……確かに、トレーニングルームを施行した業者の間で評判になって広まったとは聞いていたが、思ったよりも売上が伸びている。


 開発費は高かったものの、原料自体は非常に安価であり、安定して供給も可能だとかいうことも聞いていた。

 安くていい上に安定供給が可能な部材ということで、王都中の工事関係者から結構な量の受注を受けているようである。



 あの場にいたから、大工たちにも新技術開発のための投資を行っていたのだが。

 正直なところ、大工の新技術ってなんだよと俺は思っていた。


 だが、彼らは律儀にも新しい施工方法を開発したようで、新工法の技術を特許として取得したらしい。

 毎月入ってくる配当金を見れば、そちらの売上も徐々に伸びていることが分かる。



 クリスの発明した新商品は言うに及ばず。

 初回の生産品を既存のルートに乗せて販売しただけだと言うのに、早くもファンが付いている。

 初出荷分の売り上げだけで、俺の年収十年分を軽く上回る収益を叩き出していた。


 魔道具販売で生計を立てている貴族たちを没落させる勢いで人気が広まっており、その売上と比例して、俺に届く苦情のお手紙が増えていくシステムになっている。



 これらについては何となく調べてから来たが。

 収益が入り始めてからまだ半年ほどだと言うのに、俺の口座には既に、一生遊んで暮らせるレベルの金が入金されていた。


 これだけの大金が入金されているのだ。もう少し早く気づけよとは自分でも思うのだが、住み込みで働いていれば金を使う場面などそう多くはない。

 衣食住が丸々タダなのだから、買い物にでも行かない限りは金に触れることすらないのだ。


 銀行に来ること自体が久しぶりだし、もっと言えば、普段は公爵家からの給料以外に入出金などない。記帳する必要がそれほどなかったのだ。






 ワイズマン伯爵邸でのアレコレが終わり、そう言えばクリスが話していた件はどうなったのだろう。

 と、調べてみた結果がこれだ。


 窓口で俺の対応をしてくれた銀行員の兄ちゃんも。

 最初のうちは「通帳、全然記帳していなかったんですね、ははは」と笑っていた。


 だが、記録を引っ張り出し、記帳を始めてから数分後のことだ。


 後から後から出てくる大金の入金履歴を見て、兄ちゃんの顔色が変わる。

 ……まずは犯罪の可能性を疑ったようだ。


 奥から責任者らしき中年の男がやってきて、入金されたお金が非合法な金ではないかを確認したのだが。

 マネーロンダリングやら裏金やらの汚い資金ではなく、投資の分配金であることはすぐに証明された。


 そもそも俺の身分は公爵家の執事だし、ついでに子爵相当位の身分を持っている。

 圧倒的な社会的身分と権力の存在をチラつかせることで、俺が怪しい者ではないという事は分かってもらえたようだ。


 だがそこで、次は別な問題が出てきた。


 俺は入金されていた金額の大きさに圧倒されて、しばらく通帳の残高を眺めて呆然としていたのだが。

 資金を引き上げようか迷っていると見たのか、必死の形相で謎の引き止めが行われた。


 こんな資金を引き出しても、特に使い道は無い。

 しかしそんなことは、向こうからすれば分からない話だ。


 最初に対応してきた兄ちゃんから、きれいなお姉様のいるお店での接待を提案されたのだが。婚約者がいる身でそんなところに遊びに行った日には、絶対問題になる。


 それ以前に、そんなお店で遊んでいることが発覚すれば、あの恐ろしいお義父さんが俺のことを殺しに来るだろう。


 だから俺は、丁重にお断りをさせていただいた。



 にべもなく断ったのだが、それもまずかったらしい。


 中年の男性職員は身の上話を始めて、娘が今年で六歳になるだとか、妻が二人目の子供を身ごもっているだとか、涙ながらに自分の家族のことを語り始めた。


 兄ちゃんのほうも何か察するところがあったらしく、今付き合っている彼女と結婚を考えている。職場がなくなるようなことになっては困ると、俺に痛切に訴えかける。


 ……この銀行の経営はそんなにまずいのだろうか。


 少し不安にはなったが、こんな大金を持っている方が不安である。引き出して持ち歩くなどと言う選択肢があろうはずもない。

 だからこのお金は銀行の口座に預けたままにすると言えば、二人は安心したような顔を見せた。


 そして、ここで終わらないあたり銀行員もビジネスマンなのだと思う。

 彼らは一旦落ち着きを見せると、今度は俺のことを上客だと思ったのか、銀行が販売している投資の商品について語り始める。


 鉱山の開発投資だとか麦の先物だとか。アパートの経営だとか魔道具事業への投資だとか。手を変え品を変え、色々な資料を見せられた。


 が、特に前半は俺に知識が無く、意味不明な内容のオンパレードだ。

 合間合間で相槌は打ったものの、途中から話が頭に入ってこない状態だった。



 やたらと熱心に押してくる上に、帰らせてもらえる気配も無いまま、数十分が経った頃だろうか。

 俺はもう面倒になってしまい、勧められた商品を全て購入することを決めた。

 これ以上お金を持っていても仕方がないので、もう投資に失敗して損をしてもいいかと思ったのだ。


 半ばヤケになって、片っ端から金融商品を購入である。怪しい内容を含むものや、「これどうやったら儲かるの?」と思うものまで、全てをお買い上げだ。



 最後はホクホク顔の兄ちゃんとおっさんから見送りを受けながら銀行を後にした……のだが。スラム街にいた頃の習性は、俺の中で色濃く残っている。


 大金を持っている=追い剥ぎに遭うという方程式が、俺の中に根付いているのだ。

 

 帰り道は、別に今大金を持っているわけでもないのに。三分に一回くらいの間隔で背後を振り返りながら帰ることになった。










「頼む、金を、金をもらってくれ!」

「いきなり何言ってんだお前!?」

「いいから、何も言わずにもらってくれ!」



 俺はそう言いつつ、今持っている全財産をアルヴィンに押し付ける。


 今ここにある金を渡しても仕方がないのだが、俺はパニックになっていた。

 この際理由は何でもいいから、手元から金という金を無くしたかったのだ。



「あのな、アラン。一旦落ち着け」

「頼む、俺が正気でいられる間に受け取ってくれ!」

「そんなことを頼む時点で正気を失ってんだよ。何があったんだ一体……」



 投資した事業が莫大な利益を生み出してしまった件について、順を追って説明したのだが。

 事情を聞いたアルヴィンは大層な呆れ顔をしていた。



「そういうわけだ。俺とお前の仲じゃねえか、なっ?」

「……それ、金の無心をする方が言うセリフだよな」

「お前の言う世渡りってやつだよ。これから二人暮らしなんだから、金は入用だろ?」



 アルヴィンはメイドのメイブルと結婚したので、使用人の独身寮から出ていくことになっていた。

 外に部屋を借りて、そこから通いで仕事をすることになる予定だ。


 今日は午後から、二人の新居への引っ越し手伝いをする約束をしていた。

 アルヴィンとメイブルは先に作業を始めていたのだが。午前中から今までずっと、荷物をまとめにかかっていたようだ。


 荷造り中のアルヴィンを探して、姿を見つけるなり真っ先に言ったことが、先ほどのやり取りである。



 図らずも「普通の使用人になり、安定した人生を送る」という、アルヴィンの目標が達成されたことになるだろうか。


 徒弟制度が終わり、入ってきた孤児たちのほとんどが外で仕事を見つけたようだが、俺やアルヴィンは居残り組である。

 アルヴィンは元々使用人となるべく働いていたし、俺は俺で、この状況で辞めさせてもらえるわけもない。この腐れ縁は当分続くのだろう。


 この屋敷に来てから五年も経ち、今や俺たちは中堅どころだ。

 孤児の受け入れは続いているので、毎年三、四人くらいのペースで、正式に使用人となった後輩が増えていっている。


 そんな俺たちと、同じく中堅メイドのメイブルが友好的な関係であれば、屋敷内の雰囲気にはプラスになるはずである。

 という理論を展開して、俺は更に押す。


 ……が、アルヴィンからのリアクションはしょっぱいものだった。



「お前なぁ、金のやり取りは人間関係崩壊の原因、第一位だって言ってんだろ?」



 アルヴィンはお調子者のくせに、妙なところばかりしっかりしているのだ。

 彼と相部屋だった俺は、職場哲学とでも言うべき理論を何度も聞いたことがある。



「こんな金、失ったとしても惜しくない。金を貸すときは、そいつにあげるつもりで貸せって言ったよな? ……というかこれは貸し借りじゃない。お前にやる!」

「それはそれでムカつくけどな。まあ、ともかく。そんな金は受け取れねーよ」

「だあああ、どうしたら受け取ってくれるんだッ!」



 金が怖い。金が恐ろしい。

 貧乏人が急に大金を持つとどうなるか?

 答えは簡単。ビビる。


 俺のような小市民は、襲われる可能性、脅される危険性、身を持ち崩す恐怖などに襲われ、金持ちライフを楽しむどころではない。

 成金というのは神経が図太く、開き直ることに成功した、ある意味での成功者だと思う。


 クリスと話をした直後は「原作」関係の悩みで忙殺されていたが。落ち着いてみれば落ち着いてみたで、また別な問題が山積みだったのである。

 とどのつまり、アラン・・・が大金持ちだとマズいだろう。ということだ。だから、少しでも多くの金を消費する必要がある。


 論理的な説明としてはこうだが。


 実際のところ金を渡そうとする理由は、恐怖が九割以上を占めている。

 それに今更、多少の餞別を送ったところで減らしきれる金額でもない。

 

 だが俺も必死である。

 夢中でアルヴィンに迫っていると――不意に後頭部へ、乾いた衝撃が走った。

 振り返れば、紙を丸めて筒を作っているメイブルが立っている。



「今日は何の騒ぎ?」

「人がいつも騒ぎを起こしているみたいな言い方するなよ」



 俺が抗議すると、メイブルは手鏡を俺の眼前に突き出してくるではないか。

 これが何を意味するか。



「鏡を見てから言えってか?」

「そう」

「口で言え、口で」



 メイブルは淡々と仕事をこなす方なのだが、無言のまま圧力をかけてくるときがあるのだ。

 今も黙って俺の目を見つめながら、視線を一切逸らさずに話している。


 目は口程に物を言うとはよく言ったもので、視線の種類から彼女のご機嫌具合を知ることができる……というのが、夫であるアルヴィンから教わった豆知識だ。

 視線の種類から判断するに、今日の機嫌は悪く無さそうである。




 さて、俺はメイブルにも事情を説明したのだが。

 一通りの説明が終わった瞬間――俺はメイブルから胸倉を掴まれた。


 女性から無言で胸倉を掴まれるなど、そうそうある体験ではない。

 俺は一瞬フリーズしたのだが、メイブルは珍しく、にっこりと笑っている。



「見つけた、金づ……支援者。……ねぇアラン。私、やりたい事業があるの」

「ほ、ほう?」



 ……そうだ、こういうのだ。


 こういう展開こそ、急に金持ちになった人間に待っているべきなのだ。

 メイブルの瞳にギラギラとした光が宿り、俺を獲物にせんと襲い掛かってくる未来が見えるようではないか。


 予想外の展開が続いたが、ここでようやく想定内の事態が発生した。そのため俺は状況とは裏腹に、落ち着きを取り戻していく。


 アルヴィンはそれなりの年齢になるまで英才教育を受けてきた、生粋のお坊ちゃんだ。

 なんやかんやと言っても、没落後も貴族の考えを引きずっているところがある。


 だが、メイブルは貧乏な準男爵の家で育ち、その家も彼女がまだ小さい頃に没落したという。そのため貴族の考え方には染まっておらず、むしろ庶民的な思考回路をしているのだ。

 上昇志向は強い方だし、折角巡ってきたチャンスを逃しはしないという強い気迫が目に見えるようだった。


 貧民街の人間と比べればこれでもお上品な方ではあるが、この流れはいつもの・・・・流れだ。ようやくホームに帰ってきた感じすらある。


 ……そう言えば、屋敷の人間に面と向かって世紀末式世渡り術やら、交渉術やらをするのは初めてだ。

 つまりこれが、俺の公爵家でのデビュー戦ということになるだろうか。



「金がいらないというのなら、借りてあげる。博打だけど、やりたいことがあるから。……お金を失う可能性は高い。貸し倒れの覚悟はある?」

「面白れぇ……果たして俺に金を出さない・・・・・・と言わせるほど酷いプレゼンが、お前にできるかな? 多少のリスクなら、俺は一顧だにせず金を出す」



 俺が念を押すと、メイブルは不敵に笑って言う。



「大丈夫。安定性は皆無。人生はギャンブル」

「よく言った。話を聞いてやろう。まずは座れる場所へ……テラスにでも行くか」

「望むところ」



 面白い。屋敷内で初めての交渉・・相手がメイブルだというのは予想外だが、こうなれば意地でも金を貸してやる。

 今更「やっぱりいい」などと言い始めたとして、俺は絶対に金を貸す覚悟を決めた。

 借りたい側と貸したい側、双方強気の姿勢を崩さずに、俺たちは連れ立って中庭のテラスへと足を向ける。



「え、おい。お前ら何言ってんだよ。引っ越しはどうすんだ? まさかこれ全部、俺一人でやるのかよ! おーいメイブル、アラン! 戻ってこい!」



 俺もメイブルも振り向かず、決戦の地であるテラスへ向かった。

 荷物の山の前に取り残されたアルヴィンには、一人で馬車への積み込みを頑張ってもらおう。



 さあ、メイドさんよぉ。世紀末ってやつを見せてやるぜ!




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 設定

 国によって使っている硬貨の種類が違うので、共通の通貨単位があります。


 アランたちがいるアイゼンクラッド王国の金貨は2万エル相当、北方のネアロポリ都市国家群で発行されている金貨は1万エル、西にあるアリストテリア帝国の金貨は3万エル、などという換算の仕方で銀行に入ります。


 乙女ゲームで設定されていないので、金融市場などは完全にこの世界独自で発展しています。

 大して重要なことではありませんし、周辺国家の国名も、本作とまったく関係ありません。設定を見せたかっただけです(どやぁ)


 さて、アルヴィンが久々に登場して、一章から名前だけ登場していたメイブルも、ようやく喋りました。

 次話も閑話を投稿し、その次から四章に入ります。

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