第四十話 なんだァ? てめェ……



 出会って数分の男を相手に「私の大事な人」発言をぶち上げたヒロインは、窮地に追い込まれていた。


 まあ、現実的に考えたらこうなるのは当たり前だ。


 クロス曰く、ここは「乙女ゲーム」を基に・・して作られた世界であって、乙女ゲームそのもの・・・・ではないのだし。選択肢があったとして、選択肢が全てではないのだろう。



「え!? あ……いや、違くて!」



 渾身の一撃があっさり躱されたメリルは、非常に分かりやすくテンパっている。


 このままではマズいと思ったのか。先ほどのハルにも負けないくらい慌てて、弁明を始めた。



「く、クラスメイトになりますでしょう? 大事なクラスメイトのことですから!」

「クラスメイト? クラス発表は週明けだと思うのだが」

「い、いえ。その、えーーーっと。ほら、先ほど、小耳に挟みまして!」

「……そ、そうか。あまり口外してはいけないよ」



 原作では当然の如く同じクラスだったが、これで他のクラスになったらどうするつもりなのだろう。



 ……いい考えかもしれない。


 公爵家の権力があれば、クラス分けを弄るくらいはワケもない。ヒロインとハルを一番遠い教室に配置して――



 ――いや、そこまでやったらやり過ぎだ。教室でのイベントもあるのだから、そこは弄れない。


 接点ぶち壊しチャンスが目の前に転がっているというのに、もどかしいことだ。


 俺がそんなよこしまなことを考えていれば。メリルはテンションのままに、強引に押し切ろうとしていた。



「と、とにかく! 殿下が誰と仲良くするか、殿下自身が判断するべきなんです! リーゼロッテ様が介入することではありません!」

「いえ。婚約者に異性が近づくのです。こちらでも選別するべきでは?」

「婚約はあくまで仮のことです。国王陛下も大臣たちも反対していると聞きます」



 確かに「原作」ではそうだ。「原作」では、な。


 だが今は、全く違うんだなこれが。


 リーゼロッテがハルの方を向いて、俺からも横顔が見えるようになったのだが。

 彼女は、非常にすっとぼけた顔をしていた。



「あら、そうなのですか? 殿下」

「そのようなことはないよ。父上もまた、近いうちに公爵家へ遊びに行くそうだし。トレーニングルームの機材を騎士団にも導入したいらしくてね。近衛を連れて見学に行くと言っていたかな?」

「それは良いお考えですわ」



 二人が能天気にあはははと笑っているのを、メリルは戦慄の表情で見ている。

 そして、口が微かに動いている。


 俺がクライン公爵家使用人の奥義である、読唇術を使って呟きを拾えば。



『な、なんで……? ワガママな婚約者に参っていたから、周りは反対しているはずじゃ……』



 彼女はそんなことを言っていた。



 びっくりだよな。本来冷め切っているはずの二人は、見るからにいい雰囲気だ。もうメリルが割り込む隙なんてない。


 略奪愛が無理だと分かったら、とっとと帰れ。――そう思ったが、メリルはめげなかった。



「わ、私の心配が杞憂だとしても、一緒に遊びに行くくらいならいいはずです!」



 そう言いながら。メリルはハルの手を引き、自分の方に引き込む。


 これで挫けないとは、大したメンタルである。



「や、やめてくれ、はしたない」

「これくらいの距離、友達だったら普通ですよ!」

「まだ……いや、離してくれないか。人目があるから」

「そうよ……。はしたないですわ…………」



 どうやらハルは、「まだ友達じゃない」というセリフは飲み込んだようだ。


 いっそハッキリ言ってやった方がメリルのためと思うが。

 そこで非情になり切れない甘ちゃんなところも、ハルの持ち味だ。ここはもう変えなくてもいいだろう。



「殿下はもう少し味方を増やすべきです! 親睦を深めましょう!」

「いや、だから私はそういうのは」

「いいからいいから!」



 リーゼロッテの方も、慣れないお嬢様ぶった口調と相まってストレスが溜まってきている。そろそろ終わりにしてほしいものだ。


 そう思いつつも、俺にはメリルからの止まらない攻撃を眺めることしかできない。



「……そろそろ、止めにしてくれないかしら」

「私は殿下に言っているんです。ね、いいでしょう? 殿下ぁー」



 甘えるような声を出したメリルは、ハルの腕を両手で抱え込んだ。そこそこ胸が大きいから、ハルの右手が谷間に半分ほど埋まっている。


 ハルよ。お前、物心ついてから、初めて女性の胸に触れたのだろうな。


 鼻の下伸ばしてたぞ、と。後で教えてやろう。



 さて、ここまで過剰なスキンシップは俺も予想外な訳だが、リーゼロッテはと言えば、俯いて肩を小さく震わせていた。



「ここまで言って、やめてもらえないのね」



 ……いけない。これはいけない。


 まさか、悲しみで震えているわけではあるまい。



「リーゼロッテ様に邪魔されるいわれはありません。人付き合いも恋愛も自由です」

「そう。公衆の面前だからと我慢してきたけど、もう、いいわよね……」

「良くありません。堪えてくださいお嬢様」



 俺が止めに入った瞬間、メリルが一瞬俺の方を向いた。


 そして、その後すぐに視線がリーゼロッテの胸部――小さくはないが左程大きくもない――へと向かい、勝ち誇ったように微笑んだ。


 メリルの奴。折角人が止めに入っているのに、何故わざわざ更に煽るような真似を……。



「……はっ! ま、まさか!?」



 一瞬の疑問の後、又しても、すぐ答えに至る。

 もしかしてこれは、「断罪イベント」の下準備か、と。


 第一王子と結ばれるためには、悪役令嬢を国外追放することになるのだが。その時は罪状がいくつか読み上げられる。


 その中には、「リーゼロッテがヒロインに暴力を振るった」というものが含まれており、そのシーンを見ていたと……ハルが証言するのだ。



 まさかこのアマ! 話の流れを利用して、ここで暴力を振るわれる道を選んだってのか!?


 ここでハルの好感度を上げることができないならば、リーゼロッテの評価を下げればいいじゃない。という判断だろう。


 この一瞬で「自分がぶたれても構わないから、リーゼロッテを地獄へ突き落すための証拠を得る」と。そう覚悟を決めたのだとしたら、それは恐ろしく世紀末的判断だ。

 スラム街の世渡りに通ずるものを見た気がして、俺は驚愕に目を見開く。



「この期に及んで、そういう態度を取るのね」



 そんな俺の前で。ゆらり。と、上半身を揺らす女がいた。


 誰あろう、クライン公爵家の一人娘、リーゼロッテお嬢様である。



「ええ、私が間違っているとは思いません。……もう一度言います。身分なんか関係ありません、人付き合いも、恋愛も。全部自由なんです! 身分に囚われるなんて、間違っています!!」

「……そう。ここまで言ってもダメなのね……本当に……何なのかしら。もう」

「何をぶつぶつ言っているんですか。言いたいことがあるなら、堂々と言えばいいじゃないですか!」



 まずいぞリーゼロッテ。ここで手を出すのはマズい。


 そう思い、俺は彼女の前に回り込み、抑えつけようと――




 抑えつけようとして、回り込んでから気が付いた。


 当家のお嬢様は、貴族令嬢が往来でしてはいけない顔。憤怒の表情を浮かべていた。


 リーゼロッテは俺を押しのけて一歩踏み出すと、メリルにずいっと顔を近づけて言う。




「なんだァ? てめェ……」



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