第三十九話 無関係なんかじゃありません
いけない。これはいけない。
先ほど、リーゼロッテとハルが相思相愛になっていることを確認した後である。
相思相愛となっている婚約者の元へ、略奪愛上等のメインヒロインさんがやって来てしまったのだ。
そして、血の気の多い我らがお嬢様である。
最悪の場合は、ここで血を見ることになるかもしれない。
そう思った俺はリーゼロッテが暴走する前に止めるべく、一歩前に出ようとしたのだが。
俺が前に出るよりも早く、リーゼロッテは動き出した。
「お嬢――!」
「ご機嫌よう。私リーゼロッテと申します」
リーゼロッテはスカートの端を摘まみ、軽やかに、そして
カーテシーというやつだ。
……礼儀は正しいが、腰を落とし過ぎている。
夜会で他家の当主に挨拶する時や、王族を相手にする時で使うような……俗に言う最敬礼の深さになっていた。
同級生に最敬礼。
この場には、確実にそぐわないポーズだ。
ヒロイン―ーおそらく――転生者は子爵家令嬢のはずだが、何か指摘されたらどう胡麻化そうか。
礼儀作法を間違えるということは、それ即ち攻撃材料を与えることに他ならないのだが。
出方も分からないうちに、相手の手札を増やしたくはない。
その気になれば完璧な作法ができるはずのリーゼロッテだが、今は礼儀にまで割く意識はないようだ。
できればリーゼロッテの後ろに隠れていたいところなのだが、最悪の場合は俺がフォローせねばならないだろう。
ヒロインが転生者となれば、もちろん俺が身バレするリスクは格段に高くなる。
だがしかし、ここで何とかせねばリーゼロッテは「礼儀知らず」のレッテルを貼られる。
「原作」でも、「横暴な態度を取る、悪役令嬢の立ち居振る舞いには気品がない」という理由で株を下げる一幕があった。
振る舞いが第一王子の妻となるのに不適切だという点は、破局理由の一つになるのだ。
……さて、どう誤魔化すか。
多少強引だが、殿下が目の前に居たから慇懃な態度を取ったことにしようか。
いや、それとも……と、頭の中で瞬時に言い訳のシミュレートを開始した。
シミュレートはしたのだが。
「ご、ごきげんよう。メリル・フォン・オネスティと申します」
ところがどっこい。
どういうわけかヒロイン――メリルも、パーティー用のお辞儀である。
……同世代の子女には、もっと軽い感じでいいんだぞ。
と、俺は心の中でアドバイスを贈る。
メリルの方は多少ぎこちないが、リーゼロッテとメリルは同じようにスカートの端を摘まみ、深々と腰を落としている。
両者最敬礼だ。
見る者が見れば、公衆の面前で突然互いに土下座を始めたのと、さして変わらないレベルのインパクトがあるだろう。
この光景を見たハルは多少困惑した面持ちなのだが、無理もない。
……さて、先にカーテシーを解いたリーゼロッテが、仁王立ちしながら二人に問う。
「それで、殿下とメリル嬢は。こちらで何をお話しになられていたのかしら?」
「世間話かな。同級生になるから、私とも仲良くしたいと言っていた」
「殿下は甘いものがお好きらしいので、今度お菓子を作ってきてあげようと思って」
メリルは何でもないことのように言うが、それはおかしい。
例えば俺は、女の子から手作りのお菓子など、一度たりとも貰ったことがない。
手作りのお菓子を貰う?
男にとっては一大イベントだよ、それは。
そもそもメリルは、リーゼロッテがハルの婚約者だと知っているはずだ。
貴族なら知っていて当たり前のことだし。転生者としても、悪役令嬢が第一王子と婚約していることなど、当然知っているだろう。
婚約者の前で堂々とアプローチとは、この女も胆が据わっている。
俺は少しばかり感心したが、その一方で、リーゼロッテの背後から漂う雰囲気は不穏そのものだ。
「あら、婚約者がいる男性にそのような物を渡しては、いらぬ誤解を招きますわよ?」
「誤解だなんてそんな! 私はただ、みんなと仲良くしたいの」
「ふーん」
と言って、リーゼロッテがハルの方を見ると、ハルは目を泳がせていた。
無理もない。リアクションこそ淡泊だが、背後に
……まあ、「原作」通りと言えば「原作」通りなのだが。
俺の主は、意外と嫉妬深いようだ。
ハルは何か後ろめたいことがあるような反応だが……。道端で、ただ話していただけだろうに。
これから先、お前とお近づきになりたい女子生徒なんていくらでも現れるぞ。頑張れ。
心の中でそうエールを送っている間に、ハルはわたわたと手を振りながら、慌てた様子でリーゼロッテに弁解しようとした。
が、しかし。
「違うんだリーゼ」
「何も言ってはおりませんが、何が違いますの? 私、聡い方ではないので分かりかねますわ」
「いや、だから……違うんだ、リーゼ」
その様は、まるで浮気現場を見られた彼氏のようであった。
……どうやらハルは浮気ができないタイプのようだ。
この分だとリーゼロッテ以外の女子に手を出そうものなら、速攻でバレるだろう。
特に、今後ヒロインからのアクションがあれば、すぐにでも分かりそうだ。
ある意味安心材料である。
そして、二人の様子を横で見ていて、黙っていないのがヒロインだ。
「そんな小さいことで目くじらを立てて、殿下の友達付き合いを縛って……そんなの、かわいそうです!」
メリルは、己の胸の内から湧き出す感情のままに動くが如く、大きな手振りでリーゼロッテを非難した。
……しかし、外野で見ている俺は思う。
何故この子はこんなに芝居がかった口調なのだろう。と。
そして数秒後、答えに行きあたる。
ああ、これは中盤から出てくるルート分岐で、第一王子を選ぶための条件の一つ。
確か二年生の中盤に行われる、「悪役令嬢との対立」イベントのセリフだ。
……え?
おい、今日は物語の初日だぞ!?
ヒロインと悪役令嬢が初めて正面から揉めるシーンで、ここから先は本気でぶつかることになる……のだが。
二年目の夏まで待たないといけないはずのイベントを、メリルは出会って数分でぶちかました。
本気だ。このヒロイン、本気で第一王子を落としに来ている……!
エンディングに進むための好感度やパラメータこそ足りていないだろうが、このまま進めばハルのルートに入ってしまう。
特定のイベントを起こして攻略対象者を絞るまでは、誰と仲良くなっていようと同じイベントが起きる「共通ルート」というものがあるのだが。
その共通ルートをすっ飛ばし、そもそも他の攻略対象者に誰一人出会ってはいない段階。初手でいきなり第一王子をロックオンである。
ここまでくれば、本気度の高さが伺えるというものだ。
どうする、リーゼロッテ。
俺が固唾を飲んで見守っていれば。
「あら、婚約者の動向が気になるのは当然のことでしょう? それとも、貴方に何か関係が?」
彼女はそう答えた。
これは――「原作」通りのセリフだ。
マジかよ。イベントを進めていいのか!?
俺がハラハラしていると、リーゼロッテはちらりと振り返り、「大丈夫」という目でこちらを見た。
方やメリルは、両手を胸元で合わせ、もじもじとしている。
見た目は恥じらう乙女もかくや、というところだが。
分かっててやっているのだろうから、傍観者の俺から見れば、大分あざとく感じる。
さて、少し間が空いて、意を決したように彼女は言う。
「わ、私は殿下のことを大事に思っていますし、運命を感じています。私は……無関係なんかじゃありません!」
以上。全て「原作」通りのセリフで、この先に選択肢などなかったはずだ。
これでルートは確定してしまう。
第一王子のことを心配そうに見つめるヒロイン。
婚約者とヒロインの間で、思い悩む第一王子。
捨て台詞を吐いて去って行く悪役令嬢。
この後は、そのような展開になるはずだ。
何故、リーゼロッテは「原作」の流れに沿ってイベントを進めているのだろう。
向こうが掟破りの速攻……イレギュラーな真似を仕掛けてきたのだから、ここは律儀に付き合ってイベントを成立させなくても、クロスからのお咎めはないと思うのだが。
……一瞬そう思ったのだが、ハルの方向を見てすぐに気が付いた。
「あの、すまない。私と君は出会ったばかりだし……それほど深い関係ではないと思うのだが」
ハルの微笑みが崩れ、苦笑いに変わっている。
……ああ、それはそうだ。
メリルとハルは出会って数分、長くて十数分の関係だ。
好感度を稼いだ後ならまだしも、初対面で身内面をされたら「コイツ何言ってんだ?」となる。
そうか、最初からイベントが
好感度稼ぎや色んなイベントをすっとばして、急に攻略のルートを開通させるのは無理ということなのだろう。
好感度を上げる過程で色々とイベントが起きるので、特定の相手を狙えば二年生の後半からは自動で個別ルートに入っていくはずだ。
そんな風に半自動のため、何が成立契機かは分からないが。
好感度が足りていない時点でイベント
世界の強制力とか、運命の修正力とか。そんな御大層なものが発動するわけでもなく。
メリルが初対面の相手に運命を感じて、公開告白をしただけで終わった。
……慌てて損をした。
さて、飛び道具が無いようで一安心したが、状況は終わっていない。
ハルはドン引きとまではいかないが、多少
ここでメリルからどのような言い訳が出るのか、非常に楽しみだ。
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アランは公式ガイドブック(攻略本)の知識と、現代の知識を持っている(インストールされている)状態なので、乙女ゲームをプレイしたことがある現代日本人と同じくらいの知識量です。
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