第三十話 シュレディンガーの格闘家



 俺が狙うゴール地点は。


 今すぐ処罰するのは思い留まらせること。

 俺たちの将来的な活動を認めさせることの二つだ。


 直近の問題は前者だが、両方クリアして初めて安泰になる。


 今まだ「物語」の開始前であり、クロスが力を使うデメリットはやや軽い。

 つまり、世界をリセットしやすい状態にある。


 入学後は日が経つ毎にデメリットの被害が増えていく……つまりは、リセットへの脅威度が下がっていくので、一旦そこまでの保険を作らなければいけない。


 そのため現状での目標は、学園入学の日まで乗り切ることだ。



「もう一度言う。公式が言及していない以上、物語の裏で悪役令嬢が何をやっているのかなんて、誰も知りようがないんだよ!」



 そんな考えを念頭に置いて、俺は話を続ける。

 今までの話にも脈絡がない様に見えて、意図している部分はあるのだ。



「そうよ。公式が確定させるまで、格闘家をしている・・・・・・・・悪役令嬢と、格闘家をしていない・・・・・・・・・悪役令嬢、どちらの可能性も残されているのよ! 私はこれを「シュレディンガーの格闘家」と名付けたわ!」



 話は一気に戻るが。「もしかしたら悪役令嬢の趣味は格闘技で、学校の外では案外プロの格闘家をしていたのかもしれない」という仮説も前振りだ。


 普通に考えればあるわけがない。

 だが、明確に否定できる根拠はどこにもない。


 何故なら、登場人物全員の裏設定まで網羅している公式ガイドブックにすら、悪役令嬢リーゼロッテが、普段何をや・・・・・っているか・・・・・という旨の記載がないからだ。


 リーゼロッテが実戦空手家になろうがサファーデの使い手になろうが、さすらいのブラジリアン柔術家になろうが関係ない。


 原作で特に指示がなければ、どんな職に就いていたとして「原作通り・・・・」の流れからは外れていない。


 だから、今までの俺たちの行動はルール違反ではない。

 記憶を消すのは待ってもらおう。


 という論法の剛腕戦術である。

 クロスは苦い顔をして呻いているが。



「そこは嘘でもいいから、「シュレディンガーの悪役令嬢」と言ってくれ……」



 悔しかったら ※悪役令嬢は格闘家ではありません。

 くらいの注意書きを付けてみろという話だ。



「表面上……あのゲーム画面に出てきたところだけを取り繕えば、乙女ゲームの世界とやらは破綻しない。クロスが受け取る信仰心の量も変動しない。何か間違ってるか?」


 

 詭弁だが、つまりはそういうことである。



「……まあ、非常に遺憾ながら。間違ってはいない」



 これは、巷でよくあるスピンオフというやつだ。


 俺たちは物語の裏、本筋から外れた部分で動き、「実はこの時、悪役令嬢はこんなことをしていました」という動きが、本筋の方に影響を及ぼさなければそれでいい。



「つまり、リーゼロッテが体を鍛えるのは体力パラメータを育てるのに必要だし、格闘家を目指すのは原作の設定と、必ずしもバッティングしない。つまり影響はない」

「貴族令嬢って存在そのものとバッティングしてるんじゃないかな」



 さらっと念を押してみれば、やはり素直に認めはしない。

 だが、頑として否定するわけでもない。



「個性だ。細かいことは置いておけ。……で、リーゼロッテが現状でこう・・なのは進行上問題がないとして、後は他の登場人物に、悪影響が出なければそれでいいってわけだ」



 こちらとしても深い話はしたくないのだから、公爵令嬢の筋トレや格闘家の是非についてはこれくらいでいいだろう。


 つまり、悪役令嬢には大した出番もないので。

 ヒロインの前でだけ悪役として動けばそれでいい。そういう結論だ。



「そこで俺たちは、サブイベントとか共通ルートで登場せざるを得ないときには、その時だけ違和感なく立ち回るように気を付ければいい」

「そりゃね。ヒロインの主観で見て、物語が成立していれば不満はないけど。……できるか?」



 悪役令嬢からのヒロイン襲撃……もとい、嫌がらせイベントが起きるタイミングは、乙女ゲームをプレイして既に把握している。


 事前にどういう行動を取るか確認しておき、そのタイミングでだけ悪役令嬢らしく振舞えば、用は足りるのだ。



「大丈夫だよ。悪役令嬢は出番が少ない。悪役令嬢の出番なんて全部把握済みなんだから、リーゼロッテがトチることもないだろう。前準備をしっかりとすれば問題ないはずだ」

「……それならいいだろう。むしろ望むところだよ。だけど、もしも失敗して変なことになったらリセット案件だからな?」



 そう、悪役令嬢は問題ない。

 むしろ問題は、攻略対象の方だ。


 悪役令嬢なんぞと違って、アランのルートが選ばれたら週に一度や二度は物語に登場するわけだし。

 第一王子のルートなんか選ばれた日には、ハルとヒロインが毎日の如く顔を合わせることになる。


 原作の流れから外れる可能性があるとすれば、ここだ。

 だから。俺の提案に意味が出てくる。



「大丈夫だって。俺が出演するシーンになったらさ、原作通りにアラン・・・という人間を完璧に演じてやるよ。本編でだって、攻略対象の内面や内心は描写されないんだ。俺の性格なかみがどう変わっていようが、そこは関係ないだろ?」



 そう。攻略対象の俺だけしっかりしておけば、何も問題は起きない。



「……今のアランとはまるで別人だけど、本当に大丈夫なのか?」

「できる。これの知識を使って、な」



 そう言って俺は、クロスがテーブルの上に置いたノートを指さす。

 正確には、このノートに書かれている原作知識――公式ガイドブックの内容――を指している。



「物語上、ヒロインに望まれるアラン・・・を、俺は知っている。最悪の場合だが。万が一俺がヒロインから選ばれたら、その時は俺が攻略対象・・・・になればいい。内心で何を考えていようが、適した行動、適した発言をすれば物語は成立する……そうだろ?」

「なるほど、アランがいいならそれはアリだよ。……だけど、もしエールハルトが選ばれたら?」



 記憶を失うなどというリスクを、ハルにまで背負わせるわけにはいかない。

 だから話は打ち明けないし。

 俺たち二人のうち、攻略対象となるのは俺だけだ。



「当人の気持ちとか、公爵家の立場を考えるとそこは譲れない。……これは提案というか宣言だな。もしもヒロインがエールハルト第一王子ルートを狙うなら。どんな手を使ってでも、悪役令嬢たるリーゼロッテを勝たせる」



 リーゼロッテとハルの間にはゆっくりとだが、恋愛感情が育ってきている。

 俺としてはこのまま結婚して、末永く幸せに暮らしてもらえればいいと思っているのだ。


 妹分と弟分さえ幸せになればそれでいいのだから、まだ見ぬヒロインとやらがハルを選べず、「好みのイケメンをゲットできない」くらい些末な問題である。


 クロスは渋い顔をしているが。

 そこだけは絶対に譲れないポイントだった。



「……具体的な方法は?」



 攻略対象は俺たちの他に五人もいるのだ。ヒロインには是が非でも、そちらを選んでもらいたい。

 だが。もしもヒロインが第一王子。ハルが狙いだとしたら?


 その対処方法も、勿論考えてある。

 対策はノートに記入済みだ。



「ランダムイベントを、全て先回りして潰す。好感度など稼がせてやるものかよ」

「酷いな君」



 クロスは引いた顔をしていた。

 最近人を引かせてばかりだが、内容を聞いてから判断してほしいものだ。



「安心しろ。法に触れることはしないし、平和的に済ませるつもりだから」

「……平和的? そんな内容は記載が――いや、このノートに書いてある内容。後半は意味不明だったんだが。まさか」

「そのまさかだ」



 このノートには、原作で予定されていない分譲地開発計画や、お兄さん方・・・・・を雇った地上げの予定。

 とある菓子店や洋服店、アクセサリーを取り扱う店の経営販売権買い取り計画に、秋の豊穣祭の内容変更案などが記してある。


 どの計画も金にモノを言わせるだけで、法に触れることはしないつもりだ。


 一見すれば、およそ乙女ゲームと関係の無い内容だが。

 これらは全て、妨害計画の下準備である。


 何を妨げるか?

 決まっている。ハルに悪い虫が付くのを阻止するための計画だ。



「例えばどのルートでも見られる、「街はずれの花畑で偶然出会ってデートをする」イベントだが。これは郊外の敷地を買収して区画再開発だ。新規造成のために屈強な人工にんくがうじゃうじゃ集まっている、工事現場の前でのデートになる。ムードを出せるものなら出してみろという話だ」

「酷いな君!?」



 酷い?

 こんなものは序の口だ。



「夕焼けの見える公園でのデートイベントは、教会に多額の寄付をして……時計台の拡張工事だ。公園から夕焼けが見られないようして、デートスポットを消滅させる」

「ええ……」

「それから秋の収穫祭イベントは神秘的な豊穣祭から、トマト祭りに変更だ。こっそり忍び寄った俺がヒロインの顔面にトマトを叩きつけて、綺麗な純白のドレスを真っ赤に染めてやんよ!」



 ランダムで起きるイベントから不確実な部分を取り除き、確実に・・・発生を防ぐ。どんな体勢からでも妨害が可能だ。


 デートで行きそうな店は公爵家の財力で全て買収するし、王都のデートスポットは予め何か所か潰しておく。

 妨害の準備は万全だ。実に三十七通りものプランを考えてあるのだから。



「アラン……どうしてこんなキャラ作っちゃったんだよ開発スタッフ……こんなの、乙女ゲームに出していい人間じゃないぞ……」



 クロスは頭を抱えて唸っているが。



「で、これは問題ないよな? ランダム・・・・なんだから、起きない可能性だってあるだろ? ハルのイベントだけは全く起こらないから、他のイケメンに夢中になって影が薄くなることだろう。誰も傷つかない、優しい提案だ」



 弱っている今が好機だ。

 と、俺はさり気なく言質を取りに行くことにした。



「問題あるに決まってんだろ。他の攻略対象と行くデート先も無くなるし、そもそも卒業まで何のイベントも起こらない乙女ゲームなんて、あってたまるか」



 しかしこの作戦は流石に拒否された。

 まあ当たり前か。

 こんなもの、元々通るとは思っていない。



「流石に全部潰すとは言わねぇよ。ほんの二、三個だけ許してくれ。な?」



 これは無理な要求をしてから、妥協したフリをして本来の要求を話す、普通の交渉テクニックだ。



「ダメだ」

「ちっ、まあいい。そもそもハルを狙ってこなければ至極平和に終わるんだしな。……ちなみに確認だが。ヒロインにこっそり話をつけて、別な攻略対象を狙うように誘導するくらいはいいだろ?」

「ブラック寄りのグレーだが……まあ、話の展開を変えなけりゃな」



 普通の交渉は失敗したが、まあいいだろう。

 ヒロインが誰を狙ったって、「原作」通りになるのだ。ハルのルート以外なら手は出さない。


 できる限り早い段階で、遠回しに「王子は諦めろ」というメッセージを伝えて、早々に諦めてもらうのがベストだろうか。


 一番攻略しやすい、【騎士団長の息子】辺りと恋愛してくれれば話は早いのだが。こればかりはヒロインの出方次第。


 何はともあれ、ヒロインとの接触許可をもらったのだ。

 入学したら、モブキャラにでも変装して会いに行ってみるとしよう。



「あとは……そうだな。俺たち二人を選ばなかった場合、つまり他の攻略対象を選ぶなら、悪役令嬢が本気で邪魔をしに来ないボーナスステージにしてやろうと思っている」



 リーゼロッテがランダムで嫌がらせをしに来ることがあるのだが、その発生確率を下げておいてやろう。という話だ。



「勿論イベントでは対抗するが、表面上対抗しておけば問題ないんだろ? ……なんならヒロインが攻略に失敗したら、一旦バッドendを迎えてもらった後で、公爵家から仲を取り持ってもらおうと考えている」

「「パパ、お願い。友達の恋を応援したいの……」って私がおねだりすれば、相手が誰だろうとくっ付けてあげることができるわ!」



 乙女ゲームの期間はヒロインが卒業するまでの三年間であり、そこを過ぎればどんな展開になったとしても影響はないはずだ。


 むしろ、本編終了後にまで影響があってたまるか。


 だから、取引だ。

 物語の期間が終了した後、公爵家からの仲立ちで縁談を纏める。


 【第二王子】ルート以外ならば、まずもって縁談が成功するだろう。


 そもそもまともな感性を持っている子爵家令嬢ならば、第一王子は狙いにいかないと思うのだが。

 乙女ゲームとやらの力がどこまで及ぶかは分からない。


 まかり間違ってハルを落とされでもしたら、目も当てられない。


 だから最終手段として。

 ヒロインには「誰でも好きな相手と付き合うことができる権利」を用意したのだ。


 乙女ゲームとして一度エンディングを迎えた後……卒業後の話にはなるが、望むのであればモブキャラとだって結ばせてみせる。


 卒業後の輝かしい未来を約束するので、ハルと恋に落ちそうになっていた場合はそれをエサに諦めてもらおう。という作戦である。



 こうして一通りのプレゼンが終わったわけだが。

 クロスは紅茶を一口で呷り、頭をがしがしと掻いた後、渋い表情を浮かべた。



「汚ねえ……主従揃って汚ねえ……。本編終了後なら問題ないって、ちゃんと理解している辺りが手に負えねぇ……」

「おほほ、だって私悪役令嬢だし、アランは悪役令嬢の執事だもの。そりゃ汚い手も使うわよ!」



 リーゼロッテは吹っ切れたようで、今日もいい笑顔を浮かべている。


 そうだよ。俺たちは悪人サイドなんだ。

 この程度のことで、何をためらうことがある。



「どうよ。リーゼロッテとハルの未来を守りつつ、ヒロインもハル以外は選び放題だ。表面上は普通に進めるから「乙女ゲーム」にも影響が出ない。みんなハッピーなこの方針はアリか、ナシか」



 今後の方針として、これは結構いい線をいっていると思う。



「うーん。俺、個人としては、ナシ。かな? 舞台裏だからって好き勝手やらせるのもなあ。いつ爆発するか分からない、不発弾を抱え込むみたいなもんだし」

「そうか…………ダメか」



 だが、クロス個人は反対のようだ。


 ――では、客観的な意見も聞いてみようではないか。



「なら、今の話が通るか確認してみよう」

「確認って何を」

「何を、じゃなくて。誰に、が正しいと思うぞ。なあ……ちょっとクロスの上司に確認してみようぜ」



 そう言って、俺は執事服の胸ポケットから、クロスの名刺を取り出した。





 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


 次回、第二章完結!


 第二章は状況説明会のようになってしまいましたが、第三章は学園編。

 閑話を挟んで、ようやく乙女ゲームの本編に突入です。

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