第三十一話 徹底的にやってやるぜ
「…………上司だって?」
さて。ここに、出会ってすぐに受け取ったクロスの名刺がある。
俺は人差し指と中指で名刺を摘まみ上げ、肩書を一個ずつ確認していく。
「クロス、アンタの肩書は神界裁判所の、裁判官だ。裁判長じゃない。次に異界特別捜査官だが、捜査官がいるんだから本部があるよな? そこにも上長なり、責任者がいるはずだ」
目の前にいる男が創成神や創造神、唯一神のような存在ならお手上げだが、そうでもないだろう。
「無数にある並行世界を管理する、神々の
「で、異世界管理局現地特派員、つまりは単なる現地調査員。局長でもなければ副局長でもない。物語異端審問官? 教会で言うところの異端審問官なら、上に枢機卿とか教皇とかいるよな?」
たくさんの部署に所属しているようだが、つまるところクロスは便利屋扱いだ。
どの部署でも「そこそこ」のポジションしか持っていないと予想できる。
「それに今だって、俺たちに乙女ゲームをプレイさせた件で上から
国王陛下からいたずらをされたとき。
周囲の貴族を無視して、頭を狙いにいったのと同じ理論だ。
上役を説得してしまえばそれで終わりだ。
部下であるクロスも従わざるを得ない……ということである。
「俺が今言った内容がアリか、ナシか。上司に確認してみてくれよ」
「……それで納得するなら、まあいいだろう。もしそれで記憶を消されるような事態になっても文句は言うなよ?」
「もちろんだ」
ここにおける最悪のケースは。上司の指示を仰がず、クロスの独断で記憶消去を行うという流れだった。
本音を言えば、この場で先ほどの理論を認めてもらいたかったところではあるが。上に確認してもらえるだけで御の字だ。
「そうだな。じゃあ、ちょっと異端審問長官に確認を――」
「待った、そいつ以外にしてもらおうか」
「……なんで?」
「クロスが、自分の意見に合いそうな上司を選んでいたらお手上げだから。ノートの切れ端を使って、と。ほら、このくじを引いてくれ。異端審問長官以外の誰かに連絡だ」
異端審問などと、言葉の響きからして不穏な空気を感じる。
絶対にこの部署だけは避けるべきだろうと思った。
そして、案の定選んできたから拒否した。
まあ、そういう話だ。
「疑り深いな……まあいいけどさ。引いた場所で管轄が違うって言われたら諦めて――」
「異端審問以外の部署で、管轄しているところに当たるまで続ける」
「アラン。君には何か執念を感じるよ」
俺の提案は非常にビジネスライクなもので、その点でも異端審問とは相性が悪そうだ。
俺の提案による利益を、分かりやすいように金貨で例えよう。
世界をリセットして、
リセットにかかる経費が金貨三十枚として、手に入る収益が金貨百枚である。
手に入る利益は、差し引きで金貨七十枚だ。
そこいくと、俺とクロスがしっかりと働いた場合はどうなるか。
乙女ゲームから得られる利益の金貨百枚に加えて。
転生者とその従者から、追加で四十のボーナスが入る。
利益は合計で、金貨百四十枚だ。
比べてみれば、利益は倍である。
営業のクロスがしっかりすれば、御社の利益は二倍だぞ二倍!
得られる利益は俺が仮定したものだが、少なくともマイナスではあるまい。
という説得を試みるつもりだ。
この理論が異端審問官の長に通じるとは思えないので、是が非でも回避したい。
営業課のような部署があればそこに頼みたかったのだが、名刺に書いていないのだから仕方がない。
あるかどうか分からないし、クロスに聞いても教えてはくれないだろうから、三択問題になる。
そして俺が作ったくじの中からクロスが一本引き。
出てきた文字は「神界裁判所」だった。
俺が説得する相手は、裁判長とやらになるだろうか。
「うげ、裁判長かよ……なあ、せめて異世界管理局にしない?」
「ダメだ。裁判長に手紙なり報告書なり書いてくれ」
裁判所が相手でも相性は悪そうだが。
まあ異端審問よりはマシだろうと、俺は自分を鼓舞した。
「あの人には電話の方が早い。全く、何がどうなっても知らんぞ……一応ハンズフリーにしておいてやるけど」
と言いながらクロスはスマートフォンを操作する。
クロスから食らった「常識インストール」なる記憶改変の効果はまだ有効なので、基本的な機能は分かる。
アプリケーションの詳しい使い方までは分からないが、そこは常識の範囲外ということなのだろうが。
――さて、クロスが発信すると、裁判長はワンコールで出たようだ。
「あ、香坂裁判長。お疲れ様です」
『よう信の字。今どの辺じゃ?』
「乙女ゲームの世界ですよ。ほら、先週報告した世界です」
クロスの恰好は、今日も初めて会った時と変わらずスーツ姿である。
『そうか、異世界出張中か。だったら自分で回収した方が早そうじゃ。電話しながらお主の部屋に移動するが……、よっこいせっ、と。それで今から回収しようと思うんじゃが。この間貸したアレはどこにしまった?』
「アレ? アレって…………」
怪しいビジネスマン風の恰好ではあるが。
こうして見ると本当に、ただの務め人にしか見えない。
『ほら、話をしていたら見たくなったとかで。試合のビデオを貸したじゃろうが』
「あっ!」
あっ?
何だろう、クロスが凄く焦っている気がする。
『いや、話をしていたら儂も久々に見たくなってな。ビデオデッキの中か? それともパソコンの方か? 一週間もあれば流石に見終わったじゃろ』
「あー、はい。確かに見ましたが。あれはブルーレイディスクなので、正確に言えばブルーレイデッキの中です」
早く通話を打ち切りたい意図がありありと見える顔をしながら。
スピーカーモードとなったスマホから、裁判長の声が響いてくる。
『横文字が長くてかなわんの。これはどう操作すれば……お、できたできた。いや、人が話題に出すと、途端に見たくなるものよな』
そう言って、裁判長はカラカラと笑う。
口調は爺臭いが、意外と若そうな声だ。
聞こえる声だけで判断するなら、クロスよりも年下なのかと思う。
しかしこれは、一体何の話だと思い聞いていれば。
「え、ええ。そうですね、それで仕事の話ですが」
『まあ焦るな焦るな。先に感想でも聞かせろ。どうだったよ? 神界ドリームタッグマッチ、電流爆破編の感想は』
ドリームタッグマッチ。
電流爆破。
何か、どこかで聞いたことがある単語が出てきた。
その単語を聞いたリーゼロッテが目を輝かせて、クロスの目が泳いでいる。
これが何を意味するか。
『プロレスは最高じゃろう』
つまり上司はプロレスファンだ、と。
プロレスをやる人。
プロレスラーは、うちのお嬢様がなりたいと言っている格闘家の一つだ。
「あ、いや、裁判長。今その話は……」
『なんじゃ。大晦日にやっている総合の方が良かったか? それともボクシングか? それならこの間、異次元級のタイトルマッチがあってな――』
プロレスどころか、格闘技全般が好きだ、と。
そしてリーゼロッテの話を聞いていて格闘技を見たくなったクロスが。
上司から記録媒体を借りて見ていた、と。
「なるほど」
俺はこの瞬間、勝ちを確信した。
顔を引き
俺はニタリと、乙女ゲームのヒーローにあるまじき、
上司の後押しもあり、提案は全てクリアされた。
要点を纏めると以下の通りだ。
まず、リーゼロッテが体を鍛えることは認めさせた。
クロスは不承不承と言った様子ではあるが、ヒロインの前でドンパチやらないことを条件に、格闘家を目指す道も継続させた。
ヒロインが
神様の法律的には。本編の運行に支障がない範囲であれば、妨害をしても大丈夫だそうだ。
裁判長曰く「やっちまえ!」とのこと。
流石は裁判長だ。
話が分かる。
他のルートならご自由に?
むしろ、こちらの方で影から支援してやってもいい。
基本方針は、ヒロインをなるべく他の攻略対象に向かうように誘導しよう。
というところか。
ひとまず半年ほどの猶予は得た。
だが高等学院に入ってからの対策は、色々と考えておかなければならないだろう。
少しばかり憂鬱な近い未来を想像して、久しぶりに胃がキリキリと痛む。
「何故だ、どうしてこうなった…………ああ、また残業が……」
そして、目の前に座るクロスも頭を痛めている。
「あのさ、そんなに落ち込まなくてもいいだろ? こっちだってなるべく乙女ゲーム通りに動くし」
上司の口から、「面白そうだから続行!」というジャッジが下ってしまい、クロスは頭を抱えていた。
こちらとしては大金星だが、クロスにとってはいい迷惑だろう。
「トレーニングに《身体強化》を使い始めたから、「魔力」のパラメータも上がるはずよ。「学力」と「教養」は公爵家の力で最強の特別講師陣を揃えるし、「資金力」はこの小麦農……裏社会の帝王になる予定だったアランがいれば、何かしら稼ぐ手段も思いつくはずね」
おい、今俺のことを小麦農家って言おうとしなかったか?
と、目線を送るが。リーゼロッテはそっぽを向いて下手な口笛を吹いている。
……まあいい。けじめは後でつけよう。
俺たちがクロスを励ましていれば。
何故か、彼は怪訝そうな顔になって言う。
「……ん? おいおい。上から許可が出たんだから、もう俺だって何も言わないぞ? ヒロインの前でだけ格闘技の話題を封印して、真面目に乙女ゲームやってくれるなら、別にそこまでパラメータを伸ばさなくてもいいんだが」
それはそうだろうが、そこはこちらにも事情があるのだ。
「ヒロインがハルのルートを選んだら、正攻法で叩き潰す道も用意する」
「ぶっ潰すわ!」
「いっそ執念深いな!?」
スラムの人間は身内に優しく外部の人間に厳しい。
身内であるリーゼロッテのためならば、見も知らぬヒロインの恋愛事情など構いやしない。
そんなマインドは、俺の中でしっかりと息づいている。
正々堂々正面から。
魔術合戦イベントで打ち負かして、ヒロインを行動不能にするもよし。
学園祭のミスコンでリーゼロッテを優勝させて、好感度上げイベントのフラグを叩き折るもよし。
決闘で
ハルのルートでリーゼロッテが果し合いに勝てれば、町娘endに直行だ。
覚悟しろ、ヒロイン。
こうなったら徹底的にやってやるぜ。
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勝った! 第二章、完!!
閑話を挟み、第三章「メインヒロインは挫けない」が始まります。
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