うちのお嬢様は少しおかしい



 身寄りのない子どもを、余裕のある貴族が拾い上げて、職業訓練を施してから社会復帰させるという政策が施行された。


「そんなことを知ったのが、ちょうど2週間前か」


 先週で13歳になった俺は、5年前に両親を亡くしていた。

 つい先日まで、スラム落ち一歩手前の極貧生活をしていたので、政策による保護の対象となったそうだ。


 というか昨日までは、日銭を稼ぐためにスラム街で小間使いをしていた。

 立派な貧民街の一員になっていたところを、保護されたことになる。


「しかし、この上品なお仕着せには、未だに慣れないな」


 公爵家の使用人を名乗る大人たちが、ある日突然玄関先に現れた。

 ろくすっぽ話もせず簀巻すまきにされて、公爵邸へと運び込まれた。


 そしてそのまま徒弟とてい制度なるものの説明を受けて、紙とペンを渡されて、流れで雇用契約書にサインすることになった。


 次の朝には公爵家の使用人見習いだ。

 初めの数日間は、夢でも見ているのかと思っていた。


「現実感が無いのは、今も変わらないけどな」


 さて、そんな、ここに来る前の俺がどのような生活をしていたか。


 先祖代々のものだという、両親が遺した無駄に広い邸宅の庭で野菜を育て、子どもにできる簡単な使い走りでパンを買う。そんな貧乏暮らしを続けていた。


「今にして思えばあんなボロ家でも、住所があるだけマシな方だったな」


 家がなければとっくにストリートチルドレンの仲間入りをしていたことだろう。


 日銭を稼ぐだけでひーこら言っていたところを保護された身なので、政策を打ち出した国王陛下と、実際に俺を拾ってくれた公爵家の面々には感謝の言葉もない。


 特に当主のアルバート・フォン・ジオバンニ・クライン様には、本当に感謝しているのだが――


「おっ、お止め下さい! お嬢様ぁぁあああっ!」


 ――今日も今日とて、執事長であるエドワードさんの絶叫が、青空に吸い込まれていった。


 精魂尽き果て喉も枯れ果てたのか、下手をすると口から魂が抜けていきそうな危ない叫びだ。


「……毎日のように響き渡るこの断末魔は、何とかならないものかね」


 俺がこの屋敷にご厄介になってから今日で2週間になるが、これを毎日聞かされるのは精神的に堪えるものがある。


 庭先で叫んでいるエドワードさんは、今年で63歳と聞いた。

 髪は完全な白髪であり、立派な口ひげも整った眉毛も真っ白。顔には皺が目立つ。


 恰幅かっぷくもそこまで良くはなく、筋力も体力も衰えてくる頃だろう。


「あまり無理をさせると倒れそうだよなぁ。……執事の歳を考えろよ、お嬢様」


 疲労困憊の様子で叫ぶ執事から視線を外した俺は、公爵家が誇るみやびな庭園で運動している、見目麗しいお嬢様の姿を見物する。


 サラっサラのロングヘアーは太陽に照らされて黄金のような輝きを放ち、遠目にもパッチリした目は印象的だ。


 金髪金目で、着ているものはシルクっぽい生地の――少し光沢があって、売ったら高値がつきそうな――薄いピンク色のワンピースを着た少女。


 彼女こそ、公爵夫妻が愛してやまない一人娘だ。


 髪を波打たせ、一心不乱に体を上下させ、極限まで自分を追い込もうとしている彼女こそが。流れる汗がほとばしり、目が闘魂に燃えている彼女こそが――御年おんとし10歳のクライン公爵家令嬢、リーゼロッテ・フォン・カトリーヌ・クライン様である。


 当家が誇る見目麗しいお嬢様は、一心不乱にスクワットに興じていた。


「……なんでだよ」


 ワンピースの丈は膝下から15センチくらいだが、アップダウンする度に太ももが露わになり、下手すると下着が見えそうだ。

 とまあ、気品も色気もへったくれもない有様である。


「まったく自分の歳も考えろよ、お嬢様」


 同じ年頃の平民だってもっとオシャレに、というか所作に気を使うぞと、俺は内心で呆れていた。


 あれが公爵家の令嬢だと言って、信じてくれる人が何人いるだろうか。


 旦那様は国一番の大貴族という由緒正しい家柄だ。線が細めで、身体を鍛えているイメージなどない。


 奥様とて生粋の貴族令嬢として育ったと聞く。運動は精々が、馬で遠乗りに出かけるのが好きだというくらいで、筋力トレーニングをしている姿など見たことがない。


「あの夫婦から、どうしてあんなお嬢様が誕生したんだか」


 公爵夫妻は何かにつけ新米使用人の働きぶりを視察しに来るが、特に口を出すわけでもなく、少し離れた位置から穏やかに微笑んでいることが多い。


 高位貴族の前で粗相をしようものなら普通は打ち首が視野に入るが、夫妻の目の前でミスをした使用人がいても、叱るどころか優しく励ましてから去って行くという聖人君子ぶりである。


 使用人寮で同室になったアルヴィンが言っていたが、使用人の間で囁かれる屋敷の七不思議のうち、3つにお嬢様がカウントされているのだという。


「いや、もう何も言うまい」


 本当に、何があればああ・・育つのだろう。

 そんな思いを胸に抱きつつ、俺は目を逸らした。


「ともあれ以前の生活と比べれば、ここの生活は最高だ。あの問題児お嬢様については見なかったことにすればいいさ」


 実家を思い起こせば、無駄に大きい屋敷には碌な家具が無く、俺の部屋にある物と言えば壊れかけたボロのベッドに、スカスカの薄い布団くらいのものだった。


 由緒正しいお屋敷はオンボロで、修繕する金などないから隙間風は酷かった。遠く離れた隣人の下手くそなトランペットを、毎晩ライブで聞かされるくらいには音漏れも酷かった。


 飯なんて、くず野菜のスープに硬い黒パンが一つと質素な生活。そのくせ邸宅に合わせた敷地はやたらと広く、すぐに雑草が繁殖することへ腹を立てていたものだ。


「あれと比べりゃ、ここは天国だからな」


 比べるのも烏滸おこがましいくらいだ。公爵家の使用人寮は綺麗に整っており、隙間風が吹くような安普請でもない。

 それに食事は美味いものを腹いっぱいに食える。


 家事だってきちんと役割分担するから、働く時間だって以前の半分くらいだ。

 これで不満など、あろうはずがなかった。


「まあ、なんだ。そのうち慣れるだろ」


 徒弟制度は15歳――つまり成人を迎えるまでの期間は、孤児を育てるという趣旨の政策と聞いた。


 卒業までに多少貯金をして、手に職つけて、最終的にはどこぞの庭師か農家か、運が良ければ下級役人にでもなるのだろう。


 だからこの絶叫には、ほんの2年ほど我慢すればいいだけの話だ。


「さーて、仕事仕事っと」


 これが俺、アランの新しい日常なのだと自分に言い聞かせてから、もう少し建設的に現実を見ることにした。


「今日はこの後洗濯物を干して、読み書きと最低限の礼儀作法を習って、それが終わったら、乾いた洗濯物を取り込む予定だったか」


 夕方に時間があれば護身術の訓練だ。

 本当に毎日が充実していると思いながら、俺は歩き始めた。


「お嬢様! そ、そのような恰好で腹筋など……! こ、ここは庭っ! 表でっ、地べたっ……かはっ!?」


 遠くでエドワードさんが片膝を付いているが、俺には関わりの無い出来事である。

 俺は何も見ていない。そう自分に言い聞かせながら、渡り廊下を進んでいく。


「うん。今日は天気がいいな。洗濯物もよく乾きそうだ」


 どこまでも広がる春の青空を見上げながら、俺は屋敷の裏手にある物干し場所に向かった。


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