やっちまえ! お嬢様!! ~転生して悪役令嬢になった当家のお嬢様が最強の格闘家を目指し始めてしまったので、執事の俺が色々となんとかしなければいけないそうです~

山下郁弥/征夷冬将軍ヤマシタ

プロローグ

お嬢様、覚醒する。



 本来の・・・私の意識は長い間、暗い水底に漂っていた。


 今生の私は公爵家の一人娘であり、どこに出ても恥ずかしくない淑女となるべく生きてきたが、どこかに違和感は抱えていたのだ。


 しかし今日になって、ようやくその違和感の正体に思い当たった。


「前世の記憶があるのよね。なんだろう、ロックが急に外れた感じ?」


 私は難病を患っていたから、入院している記憶ばかりだ。

 唐突に思い出した記憶の数々は、正直に言ってあまり楽しいものではない。


 たまに家に帰れば、父と母はいつも喧嘩ばかり。生まなければよかったとまで言われたけど、これは俗に言う不幸な一生というやつだろう。


 そして中学校3年の終わり頃、持病が急激に悪化し始めて、せっかく合格した高校にもほとんど通えないまま――闘病生活の果てに命を落とした。


「でも今は違うわね。友達はいないけど、お父様もお母様も私を溺愛しているから」


 娘が欲しいものは何でも用意すると公言している、生粋の親バカだ。


 去年の誕生日プレゼントに「遊び場が欲しい」と言ったところ、遠方にある領地の郊外に、小さめの城が建てられた。


「日本にあったなら、文化遺産に登録されるくらいには立派なやつがね」


 愛し方のスケールが豪快な一方で、ごく普通の家庭でもある。私は9歳になったが、今でも家族3人で川の字になって、一緒のベッドで寝ることも多い。


 夫婦仲も非常に良好だ。

 前世とは比べ物にならないほど、幸せな日々を歩んできたと言えるだろう。


「まあ、今日からは自立しようと思うけど」


 さて、そんな両親は私のために、優秀な家庭教師を何人も家に呼んだ。教師たちは皆口を揃えて、公爵家の一人娘は秀才だ、天才だと褒め称えたが――それはそうだ。


 当時4歳の子どもが5桁の掛け算、割り算をできれば誰でも驚く。


 前世の幼少期に習い事をしていたお陰で、ピアノや歌唱のお稽古は完璧。

 読み書きも6歳になる頃にはマスターした。


「今日まで違和感を持っていたのは、知識の出どころよね。しかしまさか転生していたとは……」


 習ったことがない知識を滔々と語ることができる。

 弾いたこともない楽器で、その日のうちに一曲演奏できるようになる。


 こんなもの、違和感を覚えて当たり前だった。


「むしろ今にして思えば、どうしてこれまで、この違和感に気が付かなかったのかしら?」


 記憶を取り戻した今、小学生レベルの内容をクリアしただけで、褒め称えられるのはどうかと思う。


 しかし今世でもハンデを抱えているのだから、前世の知識というアドバンテージは生かすべきだ。私はそう、前向きに考えることにした。


 そしてこの身体が抱えた問題。

 それは体が弱い・・・・ということだ。


「前世と変わらず……いや、体力に限れば前世よりも貧弱かしら」


 病気がちで、何かにつけて風邪を引く。

 虚弱体質で、少し走れば息切れする。

 筋力などロクにない。


 比喩でも何でもなく、箸より重いものを持てないレベルの脆弱さだ。

 前世の私は重い病気にかかったとはいえ、ここまで弱々しくもなかった。


 しかし私には、叶えられなかった夢がある。

 今世でそれを叶えるには、兎にも角にも体力が必要だ。


「まあ……試してみないことには始まらないか」


 自我を取り戻した私が最初にやったことは、体力測定だ。


 そして自分の体力を確かめるために、走り始めて十分ほど経った頃、私はめまいがして動けなくなり、家の外壁に手をついて荒い息を吐くことになった。


「ぜぇ……はぁ……こ、こひゅー」


 どうやらこの体は、自分が思っていた以上に体力がない。


 走るどころではなく、この広い庭園を歩いて一往復するだけで、疲れて動けなくなってしまった。


「このままじゃ、ダ、ダメね」


 体力がないとはいえ、今世の私は、前世の私ほど重い病は抱えていないのだ。

 ただ体が弱いだけなら、まだ何とかなる。私は自分にそう言い聞かせた。


「夢を叶えるなら、まずは、体力」


 ただ人生の終わりを待つだけだった私に、一時でも希望をくれたもの。

 それは病院のテレビで流れる、格闘技の試合中継だ。


 隣の病室にいたお姉さん――長い入院生活で退屈していた私に、よく乙女ゲームなんかを貸してくれた人――が退院する時にもらった、古いノートパソコン。


 それを使ってメジャーマイナーを問わず、世界各地で行われたあらゆる格闘技の動画を探した。

 トレーニング方法から心構えまで、知識だけで言えばそれなりのものになった。


 知れば知るほどのめり込んでいき、いつしか興味は憧れへと変わっていった。


「多くの人々を熱中させる、スター選手なんかになれなくてもいいとか……思っていた気がする」


 誰か一人にでもいいから、希望を与えられるような存在になりたい。

 そう夢見るようになったのだ。


 もちろん叶うことがない夢だと分かってはいた。

 志した時には既に病気が悪化して、身体がほとんど動かなくなっていたのだから。


「だけど、好機到来ってやつよ、これ」


 前世で果たせなかった願いがある。

 そして今、前世の記憶を引き継ぐなどという、あり得ない体験をしている。


 また、こんな風に来世などあるか分からない。

 来世があったとして、記憶を引き継げないかもしれない。


 だからこそ、この得難い奇跡と、この一生はフルに使い倒すと決めた。


「そうよ……やってやるわ」


 流石に不治の病は抱えていないのだから、身体が動くならこちらのものだ。


 こうなれば誰か一人にでも、などとは言わない。

 多くの人々に勇気と夢と希望を与える存在になってみせよう。


 誰よりも強く、誰よりも輝ける皆の憧れ、希望の星に。


「そうよせっかく転生したんだから、私は最強の格闘家スターになる!」


 今の私は不幸な家庭で育ち、弱いままに人生を終えた少女ではない。

 最強の格闘家を目指す公爵家令嬢。


「今の私は、リーゼロッテ・フォン・カトリーヌ・クラインなんだから。名前からして結構強そうじゃない?」


 どんな障害が待ち受けていようと、必ず最強の格闘家になる。

 そう決意した私は、固く拳を握りしめて天に掲げた。


「……そういえばこの名前、どこかで聞いたことがある気がするんだけど。どこで聞いたんだろう?」


 数秒考えてみたが、すぐには思いつかなかった。

 まあ些末なことだろうと考えて、私は体力増強プランを練る。


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