第一章 お嬢様は最強の格闘家になりたい

第一話 過ぎし日の思い出と、公爵夫妻の力業



「何故だ……どうしてこうなった」

「分からないわ……私にも全く。さっぱり。見当がつかないわ」


 大陸東部に君臨する覇権国家、アイゼンクラッド王国における二公五侯爵の頂点。位人身くらいじんしんを極めるところのクライン公爵家当主であっても、まるで分からない事柄が世の中にはある。


 それは隣国の突発的な政治情勢の変化であったり、下級貴族の予期せぬ反発であったり、はたまた家庭内のことだったりする。


 今とりわけ悩んでいるのは我が家の天使たる、一人娘リーゼロッテのことだ。


 幼い頃から体が弱く、蝶よ花よ箱入り娘よと大事に育ててきた娘が、9歳の誕生日に覚醒したのだ。


「あの事件は、もう1年前のことになるか」

「……そうね、アルバート」


 妻のキャロラインも重々しい口調で振り返っているが、あれはまさしく覚醒であった。

 私も当時のやり取りは、鮮明に覚えている。


「ほーらリーゼ、大きなケーキだぞ! パティシエが8人がかりで作り上げた最高傑作だ!」

「ねえ、パパ……。ケーキもいいけれど、誕生日プレゼントに欲しいものがあるの」


 自慢ではないが、クライン公爵家の権勢は強い。

 広大な領地をいくつも保有し、税収は周辺国の国家予算を上回るほどだ。


 その上で国内にいる無数の貴族家の筆頭に立っているのだから、王家以外には何を遠慮することがある……といった無敵ぶりだった。


「可愛い娘のおねだりだ、何でも用意するとも」

「いいの?」

「ああ、何が欲しいんだい? 流行りのドレスかな? それともアクセサリー?」


 そんな公爵家の一人娘だというのにリーゼは遠慮がちだ。

 娘からプレゼントが欲しいと言われたのは、去年の誕生日以来となる。


 城を一つ建てたのだから中々に値が張ったが、避暑地として我々も使用しているし、何より娘の喜ぶ顔が見られたのだから、金貨20万枚など安いものだった。


「違うの、パパ……えっとね、私が欲しいのは……」

「言ってごらん。何が欲しいんだい?」


 公爵の名に懸けて。例えどんな手段を講じようとも、最高の一品を手に入れてみせる。

 そう意気込んだ私に、娘がリクエストしたものは――


「ダンベルとプロテイン、あとランニングシューズ」

「!?」


 刹那、私の体を稲妻のような衝撃が駆け抜けた。

 最愛の妻キャロラインも、目を丸くして娘を見ていたことは記憶に焼き付いている。


「あの……リーゼ? 今なんて」

「こんな貧弱な体ではやっていけないわ。鍛えるのよ!」

「「!?」」


 という事件があったのが、去年の誕生日だ。

 今にして振り返ると、初期の発想そのものは悪くなかった。


「まあ、最初は良かったのよ」

「……最初はね」


 あの病弱で小食だったリーゼが黙々とトレーニングをこなし、食事の量が目に見えて増えた。


 トレーニングメニューはきちんとコントロールできているようで、極端に太ることも変に筋肉質になることも、無理をして体を壊すこともなかった。


 リーゼのことを実の孫の様に可愛がり、身体が弱いことを案じ続けた家令のエドワードなどは、涙を流して喜んでいたものだ。


 だが、いつからだろうか――エドワードの涙が悔し涙に変わったのは。


「あ、あの、お嬢様。体作りはもう十分では?」

「まだよ。まだ、こんなもんじゃ足りないわ」


 日に日に増えるトレーニング量。

 徐々に過酷になるトレーニングメニュー。


 一体どこを、一体何を目指しているのか。

 体作りならもう十分じゃないかと問いかければ、娘はこう答えた。


「私はね、最強の格闘家になりたいの!」

「か、かくっ!?」

「スター選手になるだけじゃない。ゆくゆくは世界レベルの団体を立ち上げてみせるわ!」


 深窓の令嬢が。幼い頃から実の孫の如く可愛がってきた、可憐な少女が――ある日突然――武術家を目指し始めた。


 この情報を処理しきれなかったエドワードは、数秒の時間を置いて失神した。

 そして次に目覚めた時、彼は非情に穏やかな顔をしていた。


「気が付いたか、エドワード!」

「ああ、旦那様。奇妙な……夢を見ておりました」


 か弱い声で呟き、次いで、窓から見える庭先で筋力トレーニングをするリーゼを見て――彼は枕を引き寄せた。


「まだ、悪い夢の途中のようです」

「エドワード!? おい、しっかりするんだ!」


 これが1年前のことで、現在に至るまでこのような騒動が続いている。


「……もうエドワードの心身は限界だ」

「ええ、見れば分かるわ」


 日に日にやつれ、ひきつけを起こす回数が増えた。口元をひくつかせながら必死に笑顔を取り繕おうとする忠臣の姿など、もう見ていられない。


 そして、それ以前の問題も色々とある。


「理不尽な叱り方をした、礼儀作法の教師には脇固め」

「誘拐犯にはカナディアン・デストロイヤー……だったかしらね?」


 そして、刃物を持って襲い掛かってきた暴漢には、真空飛び膝蹴りなる技を仕掛けて撃退する始末。


「屋敷の内外で、もうリーゼを止められる人材がいない」


 私たちが注意しろと言われたこともあるが――強く叱って、娘に嫌われたくなどない。

 さあどうしたものかと悩んでいたところへ、ふと舞い降りた天啓。徒弟とてい制度だ。


 徒弟、弟子を育てる。

 孤児救済のための制度だが、これを見た私はふと考えた。


「これだ! 止められる人間がいないのならば、育てれば・・・・いいじゃないか!」


 可能な限り、有能な孤児を集めよう。

 もしかしたら、リーゼのことを何とかしてくれる少年少女がいるかもしれない。


 王宮から飛んで帰ってきた私は妻の太鼓判をもらい、早速人材のリストアップを開始した。

 そうした経緯で、今日の日を迎えている。


「もう手段は選んでいられない」

「分かっているわ。だからこそ、なのよね」

「ああ。制度を悪用するようで気は引けるが、に任せよう」


 呟きながら、私は一枚の書類に目を通す。

 そして、それと同時に扉がノックされた。


「入りたまえ」

「失礼致します」


 私の執務室に現れた使用人見習いの少年。彼の名前はアランという。


 専属使用人を雇う上での理想の条件は、リーゼよりも2つか3つ年上かつ、分別が付いており、思慮深そうな者。


 かつ、リーゼの突発的な行動をフォローできる適応力があり、元貴族ではあるが現在は平民で、没落後にどこの貴族の紐も付いていないことだ。


「さて、早速だが本題だ。君がこの屋敷に来て3週間ほどだが……当家が抱えた諸々の事情は、分かるだろう?」

「はい。何となくではございますが」


 その他にも5つほどの選考基準を設けた結果、新米使用人たちの中から彼が選ばれた。

 できれば女性という項目もあったが、他の項目まで含めた最適解は彼のはずだ。


「ならばよし。今日から君をリーゼの専属使用人に任命する」

「あの……?」

「もちろんただの使用人よりも上の扱いで、言うなれば執事見習いかな」


 アランは大袈裟に驚くこともなく、色々と考えを巡らせていた。

 その内面がどうであれ、冷静を装うのはいいことだなと、感心しつつ話を続ける。


「君の任務は、リーゼを一人前の貴族令嬢にすることだ。娘と共に成長し、何としてでも、公爵家の令嬢として恥ずかしくないレベルに鍛え上げてくれ」


 彼は断り文句を探しているようにも見えるが、しかし拒否権は無い。

 断らせるつもりなどないのだ。


「僭越ながらリーゼロッテお嬢様には、エドワード様が付いております。教育であれば私などよりも、エドワード様の方が……」


 アランの目は泳いでいる。リーゼの行動は屋敷中の人間に見られているからな。恐らく引き受ける自信がないのだろう。


 ――だが、逃さん。


 私は立ち上がり、アランの両腕をがっしりと掴んで叫んだ。


「アラン、エドワードではもう止められない。だから君が……君が! リーゼの軌道修正をするんだ!」

「ですが旦那様!」


 アランは反論しようとしたが、それを許す我々ではない。

 すかさずにキャロラインが援護に入り、横合いから発言を封殺しにかかった。


「もしもこのままリーゼが社交界デビューをしたら、あの子が……いえ、公爵家がどうなるか、分かるわよね?」

「奥様、それは…………まあ、はい。想像に難くありません」


 未成年の子どもに、我々は何をお願いしているのだ。という気持ちはもちろんある。

 だがそれ以上に、状況は切迫していた。


 もうリーゼの「お兄ちゃん」か「お姉ちゃん」を作り上げ、尊敬する兄姉からのアドバイスという方向でしか、淑女の道へ軌道修正する案は考えつかないのだ。


「高等学院の卒業まででいい。それまで支えてくれれば、望む未来を用意しようじゃないか」

「お願いよアラン。栄転なのだし、貴方の意思で引き受けてほしいの」

「う……あの、私には、その」


 彼は戸惑っているが、無理もない。

 公爵夫妻からの頼みに失敗したら、その時点で命が危ないのだから当たり前だ。


「望むなら金銭でも構わない。公爵家の名に懸けて報酬を約束する」

「万が一失敗しても、責任は問わないから、ね?」

「金銭ですか。それ……でも、私には荷が重いかと」


 ダメで元々だと思っているので、失敗したからと言ってペナルティを与えるようなことはしない。


 だがこの場では、ひとまず力押ししかあるまい。

 金で揺れそうな雰囲気を感じ取った私は、妻とアイコンタクトを取った。


「頼む。任期満了時に、生涯賃金くらいは支払うから」

「お願いよ。職務として押し付けたくはないの」

「生涯賃金。あっいや、やはり私には……」


 一瞬だが迷いを見せたアランを、我々は一気に落としにかかった。


「気乗りしないだろうが、そこをなんとか」

「いえ、ええと……私ごときに務まるものでは、ないと思いますが」

「大丈夫よ。私たちが許可を出せば、反対する人間はいないから」


 私が左肩を、妻が右肩を力強く掴んだ数秒後。

 彼は折れ、「諾」の返事をもらうことに成功する。


「よし、引き受けてくれてありがとう。全面的に任せるよ」


 更に数十秒後。彼が退室し――残された私と妻は、盛大なガッツポーズをした。

 専属のストッパーができたのだから、リーゼの奇行も収まろうと期待してのことだ。


 しかしそう遠くない未来で、彼が娘のトレーニングなど問題にならな・・・・・・いくらい・・・・の問題を引き起こすなど、誰が想像できただろう。


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