58、コスプレはお好きですか
「ナルくん!」
剥不さんとの話を終えた日、最寄駅の改札を出ると先輩の声が聞こえた。制服姿の彼女は、手に買い物袋を持っていた。
「どうしたの? 遅かったね」
随分と長い間、外にいたのだろうか。駆け寄ってくる彼女の鼻の頭は、ちょっと赤くなっていた。
「あら?」
さっき剥不さんと話したことを、思い出す。
彼女の顔を見ると、普段は自然と出てくるはずのあいさつが、出てこなかった。
「何かあったの? ぼうっとしてるけども」
心配そうに、彼女は顔をくもらせた。
だめだ。
こんなことで困らせてしまってはいけない。嫌な想像を頭から振り落とす。
「図書室で、勉強してました。ちょっと頭使い過ぎちゃって」
嘘をつく。
罪悪感はあったが、これも二葉先輩のため、と自分に言い聞かせる。
俺の答えに彼女はにっこりと微笑んだ。
「熱心だねー。良いことだ」
「先輩は、何を?」
「いや、冬服がないからさー。とりあえず安いやつでも、買っておこうかと思って。ついでだから、付き合って」
「もちろんです」
ショッピングモールのあるビルの方へと歩いていく。
季節はだんだんと冬めいてきていて、足を進めると、カシャカシャと落ち葉の音がした。
「ハロウィーンだね」
町の飾り付けはオレンジ色だった。駅前で唯一栄えている広場周辺に、これでもかと言うほど、ハロウィーンの飾り付けがしてある。
「見て見て。この店、カップルで入ると半額だって」
おしゃれな外観のカフェの前に立ち止まった先輩は、店前に貼られたポスターを凝視した。
「おぉ、ケーキも安くなる……」
「良く見てください。コスプレしないと、半額にならないです」
「コスプレかー。ハードル高いなー。制服じゃダメかなー」
「たぶん無理かと……」
「ちぇー……」
残念そうに先輩は踵を返して、ショッピングモールの中に入っていた。
ショッピングモールの中も、ハロウィーン一色だった。にぎやかな音楽の中で、いろいろなコスプレ衣装が売られていた。
「何人かでやるなら良いんだろうけど。ぼっちにハードルは高い……。ナルくん、こう言うの好き?」
「見るのは、好きです」
「とても好きです」
「うわ、二回言った」
「自分でやるのは、ゴメンですが」
「……ふーん」
先輩はふと思いたったかのように、近くにあった水色のワンピースを手に取った。
「これは可愛い、不思議の国」
二葉先輩が衣装を合わせて、くるりと振り返る。とても可愛かった。
「どうかな」
「……買いましょう」
「やだよー。高いもん。さよならアリスちゃん」
あっさりと衣装を元の棚に戻してしまった。思ったより、がっかりしている自分がいる。
「俺が、買いましょうか」
「うーん、でも、現金尽きてるし、いつまでも借りてる訳にはいかんもんね」
買わないと言いながらも、彼女は、楽しそうに色々な服を見て回っていた。
ショッピングモールを道草しながら歩いていく。おもちゃ屋の前に立ち寄った時、二葉先輩の表情が変わった。
「あ……これ」
先輩が中に飾られている小さな箱に、じっと視線を注いだ。
「懐かしいなー」
「オルゴールですか?」
「うん、お母さんにもらったやつ。昔持ってたんだけど、壊れちゃって。同じやつ……まだ売ってるんだ」
その瞳は、遠くを見るようにぼんやりしていた。何か昔のことを思い出しているような、ぼうっとした感じだった。
「欲しいですか?」
そう言うと彼女は首を横に振って、
「ただ懐かしくなっただけ」
そう言いながらも、ショーウィンドウに向けて、手を伸ばした。
切れかかった天井の蛍光灯が、パチンと明滅した。
その一瞬だった。
俺の隣に、彼女の姿はなかった。
「あ……れ」
いない。
辺りを見回す。楽しそうに歩く買い物客の姿。そのどこにも、彼女の姿はない。
消失している。
「いない」
現実を受け止めるまでに、少し時間がかかった。
呼吸を落ち着けて、グラフの放物線を思い出す。
……まだ大丈夫なはずだ。
きっとまた出てくるんだから。
しばらくベンチで待っていると、ふと視線を外した瞬間に、二葉先輩は現れていた。
「あれ?」
彼女はキョロキョロと辺りを見回すと、俺を見て驚いたようにいった。
「なんだ、座ってたんだ。歩くの疲れた?」
「いえ……行きましょうか?」
「ん……? うん、そうだね」
不思議そうに先輩は首を傾げて、そして何事もなかったかのように歩き始めた。
彼女の中ではきっと何事もない。
それで良いんだ。
色々迷った挙句に、彼女はセーターを買った。オレンジ色の、かぼちゃみたいな色のセーター。
「テスト終わったら、またデートしたいね」
買い物袋を抱えた二葉先輩は、ウキウキした様子で言った。
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