52、一緒に朝ごはん


 目を覚ますと、二葉先輩の姿はなかった。彼女がいた布団には、ぽっかりとした空白があった。


「……先輩?」


 身体を起こす。

 だるい。正直、まともに寝られたのは、一時間もないかもしれない。


 リビングの電気がついている。

 扉の隙間から、炊いたご飯の匂いがする。コトコトと鍋が立てる音が聞こえてく

る。


「おはよー」


 扉を開けると、お玉を持った先輩が振り返った。黄色とピンクのボーダー柄のエプロンを腰に巻いている。後ろ手で髪を結んだ彼女は、ジッと俺の顔を覗き込んだ。


「目、クマできてるよ。寝られなかった?」


「……いえ。……あの手伝います」


「無理しなくて良いよ。座ってて。もう朝ごはんできるから」


 上機嫌な様子の二葉先輩は、鼻歌を歌いながら味噌汁を作っていた。お玉で一口味見をした彼女は、こくんとうなずいた。


「はい、どうぞ」


 白米、ワカメの味噌汁、塩鮭、納豆。考えられる限りでは、完璧な献立だった。


「いただきます」


 箸を取り、味噌汁を口に入れる。

 わざわざ昆布で出汁を取っている。いつも飲むインスタントとは、比べ物にならないおいしさだった。


 顔を上げると、二葉先輩が俺のことを見ていた。何を言わずとも、「どう……?」と問いかけているのが分かる。


「美味しいです」


「……良かった」


 先輩はホッとしたように笑った。


「久しぶりに作ったの」


「とても美味しいです。出汁だし取ったんですか?」


「分かる? 早く起きたから、ちょっとね」


 炊きたてのご飯と良く合う。目玉焼きが丁寧に半熟に保たれている。


 なんか知らんけど、涙が出てきた。


「え……なんで泣いてるの?」


 ボロボロと涙を流しながら、飯を食べる俺を見て、先輩はギョッとした顔をした。


「魚の骨、引っかかった?」


「いや。違うんです」


「七味入れすぎた?」


「そうじゃなくて」


 涙をぬぐって、口の中のものを飲み込む。


「幸せだなと思って」


「何それ」


「二葉先輩のご飯が食べられるなんて、俺は幸せです」


「大げさだなぁ」


 彼女は呆れたように言った。


「大したもんじゃないよ」


「でも先輩だって、俺の弁当食べて、叫んだじゃないですか」


「あれは……ナルくんのお弁当は本当に美味しかったんだよ」


 目玉焼きをご飯の中で崩す。

 とろりとした黄身が茶碗の中で広がっていく。先輩は「そうだ」と言った。


「また、あの弁当また作って」


「じゃあ、今度のお昼にでも」


「やった」


 嬉しそうに彼女は微笑んだ。


 朝ごはんは、余すことなく完食した。

 玄関を出たところで手を繋いで、歩き始める。どちらから言うでもなく、自然と手が触れ合っていた。


「今日は涼しいね」


「もう十月ですから」


「やっぱり秋は良いなぁ」


 秋晴れの空は清々しく気持ちが良かった。もう上着がなくては肌寒い。先輩は薄いベージュのマフラーを巻いていた。


 色づき始めた街路樹の下を歩いていく。

 最寄り駅から電車に乗っている間も、ずっと手は繋いだままだった。そこだけ、ずっとじんわりと温かった。


 改札を出たところで、また、どちらから言うでもなく手が離れていった。 


「はよっす」


 振り返ると、自転車に乗った鷺ノ宮が近づいてきていた。

 目の前で止まると、俺と二葉先輩の顔を交互に見て、言った。


「なんか。朝からお熱いですな」


 ニヤニヤとした笑顔で、鷺ノ宮は捨てセリフを吐いて去っていた。


 二葉先輩は唇を噛んで、ボッと顔を赤らめていた。


「……うっせ」


 バゴン、と鷺ノ宮の後頭部に、先輩のカバンが直撃した。バランスを崩した自転車は、水のたまった側溝そっこうに落下した。


「ぐおあー!」


 鷺ノ宮の悲鳴が通学路に響き渡った。

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