51、こんなに近くにいる


 二葉先輩が息をのんだ。

 手のひらは汗ばんでいた。


「あ……」


 彼女が動揺するのが分かる。俺は何も言わずに、彼女の手を強く握った。


 どうしてかは分からない。そうせずにはいられなかった。


 つかんだ彼女の手は、少しだけ震えていた。息を吐いて、吸って、彼女は口を開いた。


「遊園地以来だね」


 小さな声で言った。


「手、握るの」


 俺はうなずいた。


「つい」


「つい?」


「好きだから」


 俺の言葉に、彼女が目を白黒させる。


「冗談みたい。キザなセリフ」


「だって、俺たち恋人なんだし」


「……そっか」


 薄闇の中で、二葉先輩は笑っていた。

 月の光が明るすぎなくて良かった。彼女の顔をはっきり見てしまったら、きっと手を握ったままではいられない。


 ぼんやりと照らされた、彼女の笑顔が好きだ。


「それもそうだね」


 同時に、どうしようもなく苦しくなる。

 心のどこかが、きしんで音を立てる。こんなに近くにいるからこそ、一層寂しくなってくる。


 心の歯車を狂わせるものの正体が分からない。俺は二葉先輩が好きだ。


 だから近づいたら、もっと近くに行きたくなる。


「……もうちょっとくっつく?」


 二葉先輩が言った。

 身体を少しだけ動かした。シーツがそれに合わせて動く。二葉先輩が俺の手を握り返した。


 彼女の匂いが、近づいてくる。


 シャンプーの香りだろうか。自分とは違うその香りは、口と鼻から入ってきて、ずっと残っている。


 二葉先輩の香りで、自分の身体が埋め尽くされていく。


「あったかい」


 彼女が言う。


 布団の下で握った手は、秋の夜風とは裏腹に熱く火照り始めた。内側から眠る感情に、グラグラと揺り動かされる。


「ナルくんは、あったかいなぁ」


 いつか聞いた言葉。


 二葉先輩の息遣いがこんなにも近く。

 身体が触れて、離れてくれない。びっしょりとかいた汗と、最大音量で響く心臓の鼓動。


 平静でいるというには、あまりにこくだ。先輩ももう何も喋らなかった。


 ただ、静かに呼吸をしていた。


「おやすみなさい」


 そうは言ったものの、寝られるはずもなかった。


 はっきりとした意識は、窓の外がしらみはじめるまで、ずっとそのままだった。時間は長いようで、あっという間だった。


 時折、二葉先輩が消失する気配がした。ピピーと鳴るアラーム音が、彼女の不在を告げた。少し経ってから、目を開けると、二葉先輩はやはりそこにいた。


 そんなことが何度か続いた。


 でも腕の中で眠る彼女の体温は、何度消失しても残ったままで、消えることはなかった。

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