46、二葉ちゃんは七並べがやりたい


 先輩は煙のように消えていた。

 いや、煙どころではない。そこにはなんの痕跡こんせきも存在しなかった。


 まるで最初から、そこには誰もいなかったみたいに。


「鷺ノ宮助手」


 剥不はがれずさんが立ち上がり、鷺ノ宮に指示をした。


「トランプの枚数を、数えて」


 そう言いながら、彼女は窓とドアの両方が、完全に閉ざされていることを確認した。


「この部屋には隠し扉は?」


「あるわけないじゃないですか」


「では、これは完全な消失」


 ベッドの下、クローゼットの中。部屋のどこを見渡しても、二葉先輩はいなかった。


 二葉先輩が消えた。

 途端に、腹の底がひゅうと冷たくなった。


「一体どこに行ったんですか」


「分からない。空間のゆがみに巻き込まれたと推測」


「巻き込まれた……ってそんな」


 空間の歪みなんて見えないし、何もおかしいことなんてなかった。

 

「さっきまで……ここにいたじゃないですか。いや、人一人が消えるだなんて、そんなアホな……」


「でもいないものは、いない」


「だけど……」


「目に見えたものは、起こったこと」


 冷静な口調で、剥不さんは鷺ノ宮に呼びかけた。


「枚数は?」


「……ジョーカー入れて、きっちり五十三枚あります」


「そうか。三船二葉が握っていたものは、皆の手札に移動している」


「……つまり……」


「彼女が握っていたものは、消失しない」


 剥不さんは「新しい事実だ」と言って、あごに手を当てて悩み始めた。


「二葉……先輩」


 頭が混乱して、話に追いついていけない。

 ただ彼女がどこに行ったのかを、心配するだけで精一杯だった。


「先輩は帰ってくるんですよね」


 俺の質問に、剥不さんは眉間みけんにシワを寄せた。


「おそらく帰ってくる。五分五分」


「なんですかそれ……帰ってこない可能性もある?」


「そういう消失の仕方もある」


 あまりに馬鹿げている。

 これっきり二葉先輩が帰ってこないなんて、意味が分からない。事故でも病気でもないのに。


 しかし、どうしようもなく、頬を嫌な汗がつたう。


「鐘白」


 鷺ノ宮が俺を呼んだ。


「大丈夫。この消失は帰ってくる方の……はずなんだよ」


「だからって……どうすれば良いんだ、これ?」


「とりあえず、前回の状況を知りたい」


 二人に昨日、脱衣所で起こったことを話す。


「浴室……」


 俺の話を聞いた剥不さんは、何か思い当たったかのように、小さくうなずいた。


「浴室の扉は、密室?」


「……はい」


「となると場所も、あるかもしれない。一度外に出よう」


 剥不さんに連れられて、俺たちは一旦部屋を出て、扉を閉めた。


「これで本当の五分五分」


 扉が閉まっていることを確認して、剥不さんは言った。


「これで三船二葉は、シュレーディンガーの猫」


「いるか、いないか、扉を開けてみるまで分からないって、ことっすね」


「存在していて、存在していないと言える」


 二人が何を話しているのか、良く分からない。


「そう言うのは、どうでも良いんですよ」


 あせりはつのるばかりだった。


「二葉先輩が出てくれば、問題はないんだから」


 耐えきれず、ドアノブに手を掛ける。でも、扉を開ける勇気が出ない。


 ここを開けて、もし二葉先輩がいなかったら。


 怖くて仕方がない。

 ドアノブを持つ手が、かすかに震えている。


「私が開けるか」


 横に立った剥不さんが、声をかけてくる。


「……いや」


 覚悟を決めて、深呼吸する。


 けれど、改めてドアノブを握る前に、扉は向こう側からゆっくりと開いた。


 中から二葉先輩が顔をのぞかせていた。


「……ねぇ、そんなところで何してるの?」


 変わらずパジャマ姿の彼女はキョトンとして、俺たちに言った。


「七並べ、まだ途中なんだけども……」

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