30、離さないで


「うぎゃー!」


 お化け屋敷中に響き渡りそうな悲鳴をあげているのは、他ならぬ二葉先輩だった。


「きゃああ!」


 横からにゅっと現れたコンニャクに、先輩が大きな声を上げる。怖がり方が尋常じんじょうじゃない。きっとこのお化け屋敷を作った人は、本望に違いない。


「早く行こう! 早く行こう!」


「は、走りますか!」


「そ、それはダメ。動悸どうきが……」


「でも……」


「どぎゃー!」


 今度は床に転がっていた人形に悲鳴を上げる。


「わ、私はもうダメだー!」


「ダメじゃないです。頑張ってください!」


「殺してくれー」


「もうちょっとですから……」


 毛糸でできた蜘蛛くもの巣をくぐると、今度は小さな部屋に行き当たった。ここでお経をとって、ゴールまで運べば終わりだ。


 震える先輩を引き連れながら、クリア条件であるお経を取る。すると照明がパチンと暗くなった。


「な……何も見えないよう」


 今にも泣き出しそうな声で、先輩が言う。

 腕に込められた力が、さらに強くなる。未だかつてないくらいに、先輩とぴったりとくっつく。


「……先輩」


「離さないでね。離したら泣くから」


「は、はい」


 ゴクリと唾を飲み込んで、一歩ずつ進む。

 二葉先輩の胸に挟まれた腕の感覚が、頭を火照らせて行く。なんだこの柔らかい物体は。


 いかん。

 雑念を捨てるんだ。手に持ったお経を、小さな声で読み上げる。


「……摩訶般若波羅蜜多心経」


「ヒィ。何読んでるの。怖い怖い」


「お経です」


「ばか!」


 ギュッと腕をつねられたので、お経を読むのはあきらめる。


「見えてきましたよ。出口」


 出口の光が見えてくる。

 もうちょっとだ。


 ……と思った途端。


 頭上からひもで吊られた人形が、落ちてくる。


「お」


 最後の仕掛けだけあって、気合が入っている。ちょっとこれはびっくりした。


「…………ぇ」


 二葉先輩は、言葉もなく固まっていた。


「二葉先輩?」


「も」


「先輩?」


「……もー、やだー!!」


 前後不覚になった先輩が走り始める。何やら訳の分からないことを叫びながら、彼女は出口に向かって猛ダッシュした。


 離さないでと言ったのに、自分から離すとは何事だ。

 慌てて、その後を追いかける。


 飛び出すようにして、お化け屋敷から脱出する。


「はぁ……はぁ……」


 肉体的にも、精神的にも疲れた。息が上がっている。


「つ、疲れましたね」


 前にいるはずの、彼女に声をかける。


 さぞ青ざめた顔をしているだろうと思い、視線を上げると、そこに先輩はいなかった。


「あれ?」


 後ろ、横とくるりと見回してみたが、彼女の姿はどこにもない。


「二葉先輩?」


 おかしい。

 待っていても来る気配がない。


「……先輩、スマホ持ってないんだよな」


 どうやら、完全に迷子になってしまった。

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