5、わたし古参だよ

 

 トイレは未だ故障中だった。果たして直す気があるのか。


 だめだ、あきらめよう。

 使っている人が少ないと言うことは、そこまで復旧に急を要さない。困っているのは、俺だけかもしれない。


 トイレのドアから踵を返すと、ズボンのポケットでチャリンと乾いた音が鳴った。


『ぼっちは助け合うもんだよ』


 それを合図に、昨日の記憶がフラッシュバックする。久しぶりに聞いた誘いの言葉。

 ひょっとしたら俺が来ることをを期待しているんじゃないかと、フッと感じてしまうような優しい言葉。


 ……いや、考え過ぎだ。

 

 二葉先輩が俺に対して感じているのは、同じぼっちだと言う同族意識だ。

 どちらにせよ、昼食を食べる場所は必要で、考えられるのは、あの屋上しかなかった。


「お」


 真っ青な空の下で二葉先輩は、昨日と同じ場所で焼きそばパンを頬張っていた。


「ナルミくん」


 先輩はすっと手を挙げた。


「来たね」


「……お言葉に甘えさせてもらいました」


「もちろん。おいで」


 二葉先輩から少し離れた場所に、腰掛ける。ちらりと横を見ると、彼女は昨日と同じ焼きそばパンを頬張っていた。


 そして沈黙が始まる。


 気まずい。


 何を話そうか、考えるだけで口がカラカラになってきた。飯が喉を通らない。


 だめだ。

 諦めよう。

 心に毒だ。


 隠れるように、スマホを起動する。イヤホンを耳に入れ、隣にいる二葉先輩をシャットアウトする。


 ゲーム実況でも見よう。


「……何聞いているの?」


 横を見ると、かなり近くに二葉先輩は座っていた。


「ぶほ」


 スマホが手から落ちる。

 体育座りをした彼女は、首を傾げて俺を見ていた。


「驚かせた? ごめんごめん」


 大丈夫じゃない。


『豚野郎どもー! 今宵もうたげじゃー!』


 イヤホンが外れて、まぽりんチャンネルのオープニングが、爆音で発動する。終わった。


『ケツを差し出すのじゃー!』


 ……終わった。


 二葉先輩は呆然と固まっていた。


「あの、これは、違うんです」


「まぽりん?」


「え」


「まぽりんだー! 好きなの?」


「え? 知って……」


「すきすきー! 言っておくけど、私古参だよ」


 そう言うと二葉先輩は、ドヤ顔でポケットから小さなノートを取り出した。


「それ……運命タロットノート」


「そうそう! リスナープレゼント、限定品!」


「……まさか」


 あまりの人気のなさに、速攻で企画ごとなくなったレア物。


 この学校に持っている人間がいるとは。

 そして、それが隣にいるとは。 


 驚きを隠せずにいると、二葉先輩は「くふふ」と笑みを浮かべて、ノートを手で隠した。


「あげないよ。私の宝物だもん」


「……あ、そうじゃなくて」


「しょうがないなぁ。ちょっとだけだよう」


 なんだかんだ言いながら、二葉先輩は自慢してきた。


「……まだ一ページも減ってないですね」


「使わないよ。宝物だもん」


「好きなんですね」


「ね。ナルミくんは、いつから聞いてたの?」


「小学生の頃からです。ローカルの……ラジオ番組」


「やっぱり! 私も!」


 二葉先輩がはしゃいだように、大きな声を上げた。


 だんだんと話が弾んでいく。


 楽しい。


 ちゃんと人と話せている。


 知らないうちに、口角がすっかりゆるんでしまっていたようだった。


 ふと、二葉先輩がじっと俺の顔を見ながら言った。


「……ナルミくん、ムスッとしてるけど、笑うと可愛いね」


 その距離が近い。

 あと、数十センチでも近づけば、顔と顔がくっつきそうなほどに近い。


 動揺して後ろにのぞけった俺は、無様にしりもちを着いてしまった。


「痛っ……」


「わ、大丈夫?」


 先輩は俺を見下ろしながら、心配そうに言った。


「ごめんね。夢中になっちゃって」


 申し訳なさそうに、手を差し出してきた。それでまた、身体が固まる。

 ちょうど、そのタイミングで予鈴がなった。


「……じゃあ……俺はこれで」


 彼女の手を取らずに、自分の力で立ち上がる。


「明日も来る?」


 二葉先輩が、少し遠慮がちに俺に声をかけてくる。


「それは……」


 分かりません。

 と言おうとした口が止まる。


 彼女の瞳に「期待」の二文字が書かれている。


 目をそらすことができない。


「……来ます、多分」


「やった」


 二葉先輩は嬉しそうな顔でうなずいた。

 逃げるようにして、屋上から出て行く。ようやく一人になって、呼吸を落ち着け

る。


「くそ……」


 ぶつけた尻をさする。


「……何なんだよ……」


 二葉先輩の顔が、サッと脳裏をよぎる。

 笑った顔や楽しそうに話す顔、近くにまで寄ってきた顔が、何度も出てくる。

 いけない。


 感情を抑えることができない。毒のように、頭の中をぐるぐると回り、身体中に広がっていく。


「…………そっちこそ、可愛すぎるだろ…………」


 心に毒だ。

 まとわりついて、離れてくれない。その毒はまぶしいくらいのピンク色をしていた。

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