Extra episode – Five years later

私達の結婚から5年が過ぎた。


「ママー!っこ」


息子をかかえて庭に出た私に向かって突進してくるのは、4歳になる長女の紅葉もみじだ。


紅葉もみじという名前は、私と夫が初めてデートした時に一緒に鑑賞かんしょうした、横山大観よこやまたいかんの作品からいただいている。


彼女は2歳の長男をっこしている私を見て、自分もっこして欲しくなったようだ。


そして今、私のお腹には3人目の子供が宿やどっている。


自分が母親になってみて初めて、親のありがたさが理解できる。


私の親も、こんな大変な思いをしてきたのだ。


とにかく子育ては体力勝負の世界だ。


子供は親の思う通りになんか動いてくれない。


目を離すと直ぐにどこかへ行ってしまう子供たちのおんぶやっこを日常的に繰り返すうちに、私の腕にはすっかり筋肉が付いてしまった。


『母は強し』は比喩ひゆではなく、本当の事だった。


とはいえさすがに妊娠中にんしんちゅうの私が、長男と長女の2人を同時にっこするのは体力的にきびしい。


紅葉もみじ、じいじがっこしてくれるって。じいじにっこしてもらいなさい。」


父はひまさえあれば自宅に戻って子供たちの相手をしてくれる。


「じいじ、っこして。」


「おお、よしよし。紅葉もみじ、こっちへおいで」


父は口では「蘭堂らんどう家のあとぎとして、きびしく育てる」と言っているのだが、今のところは甘々あまあまの祖父である。


小さな孫たちが、可愛くて仕方ないようだ。


そんな父の至福しふくの時は、すぐに終わりを迎える。


「社長、もう時間です。」


「その前に昼飯くらい食わせろ、美野里みのり。」


「お昼はサンドイッチを用意してありますから、車の中でがって下さい。」


「サンドイッチ!?、そんなもんで俺の腹がふくれるか!?昨日だってサンドイッチじゃないか!」


「昨日はタコスです。」


「似たようなモノだろ。俺は肉が食いたいんだ!こう、血のしたたるようなステーキをだな・・・」


「昼間からそんなモノを食べたら、早死にしますよ。」


「何だと!貴様なんかクビだ!クビ!」


「ハイハイ。いいから早く車に乗って下さい。先方せんぽうを待たせてしまいます。」


その時ちょうど庭に出て来た母が、美野里みのりに声をかける。


美野里みのりちゃん、いつも世話をかけて済まないわね。」


「いえ、慣れていますから大丈夫です、奥様。」


「オイ、俺を無視するな!俺の話を聞いてるか!?」


「じゃあお願いね。」


「行って参ります。」


高校生の時から父の秘書を務めている美野里みのりは、見る見るうちに頭角とうかくあらわした。


大学卒業と同時に父の第一秘書となった彼女は、今や蘭堂らんどうグループにとって必要不可欠ひつようふかけつな存在となっている。


父に直言ちょくげんできる数少ない存在である美野里みのりは単なる秘書ではない。


彼女は本社の重役やグループ会社トップの意見を吸い上げて父に進言しんげんするポジションにあり、蘭堂らんどうグループの意思決定いしけっていに深く関与かんよしている。


重役の中には彼女の事をひそかに『女帝じょてい』と呼んでいる者がいると、美野里みのりから聞いた事がある。


『重役の誰がそれを言っているのか、とっくに調べはついている』などという恐ろしい事を、彼女はさらりと言ってのける。


どうやら彼女の方が一枚上手うわてのようだ。


私も大学には進学したものの、妊娠にんしん・出産による休学をはさんでいるため、卒業はまだ先の話だ。


一方、夫の御門みかどは大学を卒業し、日本画家にほんがかとして順調なスタートを切っている。


蘭堂らんどうグループのホテルにかざる絵など、今のところ蘭堂らんどうグループがらみの仕事が大部分だが、それ以外の依頼も少しずつ増えてきている。


今は直前に迫った初めての個展に向けて、準備の真っ最中だ。


私も夫の仕事を手助けするため、友人たちを個展に招待している。


彼女たちが夫の作品を気に入ってくれれば、顧客こきゃくが増えるかもしれない。


私は夫が仕事に集中できる様、家の事や子供たちの事については、出来るだけ自分でやるようにしていた。


そのため、毎日が目の回るような忙しさだが、3人目の子供が生まれれば、さらに忙しくなるだろう。


同年代の女子が送るようなライフスタイルは、私には無縁になってしまったが、後悔こうかいは無い。


これは私自身が選んだ人生だ。


私は、身近で大切な友人の事をおもう。


美野里みのり、本当にありがとう。あの時、あなたが私の背中を押してくれなかったら、私は今、こうしてはいない。』


そして私は今日も彼女のためにいのる。


親愛しんあいなるあなたに幸せがおとずれますように。』

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