第37話 Art nouveau

ザ・ミュージアムは、Bunkamuraの地下フロアにある。


2人が前回訪れた東京国立近代美術館とうきょうこくりつきんだいびじゅつかんに比べると、はるかに小規模な美術館である。


開館直後という事もあり、館内は閑散かんさんとしていた。


企画展きかくてんの展示はパリ時代のポスターやイラストが中心である。


それらの作品を鑑賞かんしょうしながら、御門みかど友梨佳ゆりかのために解説する。


「『アールヌーヴォー』という言葉はフランス語なんだ。日本語に直訳すれば『新しいスタイルの芸術』という意味だね。『アールヌーヴォー』の『アール』は『Art』というつづりだけど、これは英語の『Art』と全く同じ意味になる。違いは発音で、英語では『アート』、フランス語では『アール』と読むんだ。これはフランス語読みの代表だね。有名な航空会社の『Air France』は英語読みなら『エアフランス』だけど、フランス本国では『エールフランス』という発音になる。」


「『エールフランス』なら私も存じています。そうすると『ヌーヴォー』もフランス語なんですか?」


「その通り。『ヌーヴォー』のつづりは『Nouveau』だけど、これが英語だと『New』になる。だから『Art nouveau』を英訳すると『New art』という味気ない表現になってしまうね。」


「英語だと『New art』なのに、どうしてフランス語では『Nouveau art』ではなく『Art nouveau』になるのでしょう?」


「それがフランス語の特徴だよ。英語の場合、形容詞は必ず名詞の前に置かれるけど、フランス語は、そうとは限らない。形容詞が名詞の前に置かれる場合と、名詞の後ろに置かれる場合の両方があるんだ。しかも同じ形容詞と名詞の組み合わせでも、形容詞が前に置かれるか後ろに置かれるかで意味が違ってくる事がある。」


「それは知りませんでした。」


「アールヌーヴォーは19世紀末から20世紀初頭しょとうのヨーロッパを中心に、それまでの新古典主義に反発した芸術家たちが始めた芸術の革新運動の事だよ。アールヌーヴォーの中心はパリだったけど、誰か一人が始めたというわけではなく、ヨーロッパ各国で同時多発的に起こったんだ。時代がそれを求めていたんだろうね。そしてアールヌーヴォーの対象は絵画だけではなく、ガラス工芸や建築など多岐たきに渡っている。」


御門みかどの言う通り、ミュシャの作品の内、いくつかは友梨佳ゆりかにも見覚えがあった。


友梨佳ゆりか御門みかどに感想を伝える。


「それにしても見ていて全く古さを感じさせないというか、これが100年前の作品とは、とても思えません。」


「芸術というものも社会の変化と無縁ではいられないんだ。それまでのヨーロッパの芸術家は王侯貴族おうこうきぞくや教会といったパトロンがいて、彼らの求めに応じて作品を制作するスタイルが一般的だったけど、ミュシャの場合、タバコや舞台の宣伝ポスター、雑誌の表紙など、企業という新しい顧客こきゃくがミュシャに制作を依頼したんだ。これは王侯貴族おうこうきぞくに頼らない、非常に現代的な制作スタイルと言えるだろうね。」


「アールヌーヴォーとアールデコは、どこが違うのですか?」


「アールデコは時代的にアールヌーヴォーの後に来るムーブメントだね。過剰かじょう装飾そうしょくはいしたモダンアートはアールデコから始まったんだ。それに比べるとミュシャの作品はとても装飾的そうしょくてきで、これこそアールヌーヴォーの代表と言えるかな。」


「確かに植物や幾何学模様きかがくもよう装飾そうしょくされた作品が多いですね。ただ私としては装飾そうしょくよりもポスターにえがかれた女性たちの髪飾かみかざりやアクセサリーに目が行ってしまいます。とても綺麗きれい・・・」


「それは女性ならではの視点かもしれないね。今でこそ高い評価を受けているけど、実は第一次世界大戦後のヨーロッパでは、アールヌーヴォーは世紀末の退廃たいはい芸術として否定されてしまったんだ。1960年代のアメリカで再発見されるまで、アールヌーヴォーは忘れ去られた存在だったんだよ。」


御門みかどの解説を聞きながら、友梨佳ゆりかは1時間以上かけて、ミュシャの作品を堪能たんのうした。


そして2人が地上に出た時、時計は正午近くになっていた。


「もう12時か・・・蘭堂らんどうさん、どこかで食事にしよう。」


「昼食の事ですが、実は私、お弁当を作って参りました。」


友梨佳ゆりかは今日のために、サプライズを準備していた。

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