第76話 幸せを担保するもの
一晩考えた末に、わたしは理由を告げずにゆうちゃんにお願いをした。
『ねぇゆうちゃん、今度のお休みの日にパパとママに会いたい。できれば司くんなしで』
『え? なんでまた、急に?
それに、司もなしにって……。
何かあった?』
『なんにもない。ただ、会いに行きたくなっただけ』
わたしがそうやって押し気味に出たら、彼女はそれ以上理由も聞かないまま、パパとママに会う段取りを付けてくれた。
『今度の連休に会いに行くことにしたよ。それで良かったよね?
司には、今晩伝えるけど』
『うん、ありがとう。ゆうちゃん』
その夜、晩ご飯を司くんと共に食べる席で話が出た。希望通り、彼は付いてこないことに決まる。
そして、パパとママに会いに行く日がやって来た。
§
瞬間移動で実家に向かおうとするゆうちゃんを引き留めて、電車で行って欲しいとねだった。彼女は少しばかりためらいを見せたけど、結局は希望通りにしてくれた。本当に素直で聞き分けの良い、わたしにはもったいないくらいの妹。
実家に向かう電車に乗り換えて人心地付いたところで、彼女が改めて尋ねてきた。
『ねえ、ゆう姉。急にパパとママに会いたいって、一体どうしたのか教えてもらってもいいかな?』
ゆうちゃんの疑問はごもっとも。わたしも彼女に事の次第を伝えるべきかどうか、この数日の間ずっと悩んでいた。でも、赤ちゃんのことは彼女にお願いするより他ないのだし、結局は全てを彼女に知らせておくことに決めていた。
『実はね、5日前かな。
玲亜ちゃんから念話があって、あなたがおめでたみたいだって』
『え? おめ、でた?』
『そうらしいよ。まだできたてみたいなんだけどね』
わたしがそう伝えると、彼女はそのまま黙ってしまった。しばらく待ってもそのままなので、わたしは一言断りを入れて身体の主導権を握る。
『ちょっと、身体借りるね』
意識が切り替わっても彼女は黙ったままで反応がない。よほどおめでたがショックだったのか。
進行方向左側の窓辺は、初夏の空が広がっていた。
わたしが新しい身体に乗り移れば、流れ去る車窓もしばらくは見られなくなる。それになにより、次の機会では今とは違う感じ方になっているのかも知れない。
今のゆう姉としての記憶はなくなってしまうのだから。
そんなことを思うと、今の瞬間全てがいとおしく感じてしまう。
『……あの、おめでたって事はさ。おめでた……』
電車が途中駅に到着する頃合いで、ようやくゆうちゃんの反応が返ってきた。
『赤ちゃんができました。ってことね。
おめでとう、ゆうちゃん。
……それでね、ゆうちゃん。10年前の約束、覚えてる?』
わたしはそう言って彼女の返事を待つけれど、一向に届かない。
いつまでも待っている訳にもいかず、わたしは答えを言ってしまう。
『もう。忘れたとは言わせないよ?
玲亜ちゃんと三人で話したでしょ? わたしがいつまでもゆうちゃんと共存する訳にもいかないからって。だから新しいわたしの身体を用意する話だよ』
ここまで言ったらさすがに彼女も気がついたらしく。
『あっ、あぁー』
なんて少し間の抜けた感じのする返事が返ってきた。
『忘れてるといけないから話すけど、ゆうちゃんは永遠の魂で身体も死ぬことはなくて、それに対してわたしは人間の魂。ゆうちゃんと一緒にいる間はわたしの魂も消えることはないけど、永遠にそれでわたしが耐えられるの? っていう話が発端ね。
それで、わたしは新しい身体をもらって、一人の独立した人として生きた方が良いんじゃないかって玲亜ちゃんが言っていた訳』
『うん、そうだった。思い出したよ』
『で、赤の他人になるのもどうかって事で、あなたと司くんの赤ちゃんとして人生リスタートしようって、そういう話』
『うんうん。そうだったよね』
『それでねゆうちゃん。
玲亜ちゃんが言うには、わたしがここにいられるのもあと一カ月もないんだって』
『……一カ月。またずいぶんと忙しないね』
『そうね。だから最後にパパとママの顔を見ておきたくて。
それで、話もしておきたくて。
だって、赤ちゃんになったらしばらく話せないし、それに……』
話を続けているうちになんだか涙声になってしまって、念話が続けられない。
『ゆう姉?』
ゆうちゃんが心配してくれている。
『ごめん、ゆうちゃん代わって』
わたしは溢れそうになる涙を堪えながら、身体をゆうちゃんに明け渡す。
『忙しないなあ』
そう言いつつもそっとフォローしてくれる、ゆうちゃんはできた妹だ。
そして肝心なことなのに伝えることができない、わたし自身が情けない。
§
自宅のマンションから電車を乗り継いで1時間。更にバスに揺られて30分弱。
久しぶりになる財部家の玄関の前に、わたしとゆうちゃんは立っていた。
『それじゃ、インターホン押すよ?』
『うん』
わたしがそう答えると、ゆうちゃんの手がインターホンに伸びる。
聞き覚えのある電子音。それと共に声が響く。
「おかえりなさい。玄関、開いてるからね」
その声に導かれて玄関をくぐると、ママがいつもの笑顔で待っていた。
「おかえり、ゆう姉。
ゆうちゃんも、元気だった?」
「うん。ゆう姉もボクも変わりないよ」
そのまま居間へ上がり込むと、奥のソファーに腰掛けて、パパが待っていた。
「おかえり、ゆうちゃん」
「ただいま」
おかえりの挨拶を交わしつつ、パパが手振りでソファーを勧めてくる。
促されるまま一段低くなった視点。
正面に座るパパが身を乗り出してきた。
「今日はゆう姉が会いたいって言ってきたと聞いたねえ」
ゆうちゃんがそれに答えた。
「うん、そうなんだ。
ここから先はゆう姉に直接話をしてもらった方が良いと思う。それじゃ、交代するね」
パパが頷くのを見て、わたしの意識が浮上する。
ママもパパの隣に座った。
わたしは二人を見渡しながら話し始める。
「パパ、ママ。急に会いたいなんて言ってごめんね」
「ゆう姉だね。
君は僕たち夫婦の大切な子供なんだから、いつ来たっていいんだよ」
そう言って見せるパパの表情は、変わらない温和な微笑み。
でも、今から言うわたしの一言で、それは多分、崩れてしまう。
「うん、ありがとう。
……それでね、実は今日、二人にお別れを伝えに来たの」
二人とも大きく目を見張った。
§
三人の間を無言の時間が静かに滔々と流れていく。
そこから立ち直って声を上げたのは、パパだった。
「ゆう姉。
……お別れ、っていうことは、その、天国に行ってしまう、とか、そういうことなのかねえ?」
見開いたパパの目がふるふると震えている。その感情の源は分からないけれど。
「……天国に行くのとは少し違うとは聞いてるけど、今のわたし、ゆう姉という存在はもうこの世からなくなるってことなの」
ママは無言のまま、鼻を赤らめて顔をしかめていた。瞳からは今にも光が溢れそうだ。
「そうかい……、いつかはこういう時が来るものと薄ら覚悟はしていたけれど、ゆう姉はまた旅立ってしまうんだねえ」
その表情とは裏腹に、パパの声は落ち着いていた。
まるでなにかを知っていたかのように。
「時が来たと生成神さんには言われたの。
もうあまり時間がないとも。
だから、最後にパパとママにどうしても会っておきたくて……」
そこでわたしの視界が一気にぼやけた。
堪えていたわけでもなかったのに、急な涙が溢れる。
思わず俯くと、膝の上に夏の夕立みたいな大粒のシミが散らばる。
「……あ、あれ? おかしいな」
そうぽつりとこぼしたわたしの肩が抱き起こされて、耳元から聞こえてきたのはママの息づかい。少しすすり上げるようなそれは、わたしと同じ。
「……ママ。
ごめんね。
わたし……ママにも、パパにも、なにも……返せなかった。
……いっぱい、いっぱい……もらって、ばっかりで、……なにもできずに、終わっちゃうよ……」
嗚咽が重なって、喉が震える。声が、上手く出ない。
そんなわたしをすっぽりと丸ごと包むように、ママの抱擁は続く。
「ゆう姉ちゃん、そんなことないよ。
あなたは私たち夫婦の一人目の娘。生まれてきてくれたことだけで、もう十分お返しはもらっているの。
だから、そんなに気を病まなくていいのよ」
「ママ……」
「あなたがいなくなるのは、本音を言ったら寂しいし、悲しい。
でもね、それが定められたものなら、受け入れて前に進むしか。
パパも、ママも、そしてあなたも」
「……ママ、わたし、怖いよ。
パパやママやゆうちゃんのことも全部忘れて、新しい人になるんだよ。嬉しかったことも、悲しかったことも全部全部、なかったことになるなんて……
……やっぱり、わたし、耐えられないよ」
もっともっと話したいことはあったはずなのに、そのままもう声にならなくて。わたしはママの腕の中で、まるで小さい子供みたいにただ泣きじゃくっていた。
§
その日は実家で泊まることになった。
翌日はゆうちゃんの仕事があるはずだったけれど。
『祝日だから日勤はないし、宿直だけなんだ。午後病院に行けばいいからゆっくりしよう?』
そう彼女が言ってくれたので、甘えることにした。
パパもママも久しぶりの親子水入らずですごく嬉しそうだ。
晩ご飯はもちろん、ママの手料理。お得意の煮込みハンバーグとおかずを色々。食べるたびにほっこりと心が温まるような味覚を、今夜は一口ずつ噛みしめてゆっくりと味わう。
深夜、二階の自室でベッドに潜り込む。
部屋の真ん中には進学で旅立った日と同じく、破壊神の鎌と生成神のハンマーが全く変わらない様子で、ほのかな輝きを放ちつつ浮かんでいる。
魂の運命を定める二つの神具。
その二つの光に吸い込まれそうになる錯覚を感じつつ、わたしは眠りに落ちた。
ハッと目が覚めて、慌てて身体を起こす。
目に映ったのは昨夜と変わらない部屋。
眠ったときと同じ場所で無事目覚められたことに安堵した。
カーテンの隙間から外の光が漏れて、時が流れたことを知らせてくる。
わたしがこの実家で過ごす、最後の朝。
起き出して布団を整える。壁の時計は六時過ぎを示していた。
まだパパもママも起きて来る気配はない。
家の様子を隅々まで目に焼き付けながら、物音を立てないようにゆっくりと階段を降りる。
居間のカーテンを開けると、お向かいの家に反射した朝の光が差し込んだ。
床を走る光の帯を追いかけて振り向くと、居間から続くダイニング、そしてキッチンまでがほのかに照らされる。
いつの間にかわたしはソファーに座り込んでいた。
もうすぐこの風景も見納め。
でも昨日取り乱したときの心のわだかまりは、不思議なことにもうすっかり消え失せていて。今はただ、前を見ることができる。
自分の身体が欲しいと願ったのは、わたしだ。
ゆうちゃんやパパ、ママ、司くんと共にいたいと願ったのも、わたしだ。
願いは、叶う。
わたしの記憶という多少の犠牲は、確定した幸せな未来を得るために必要なもの。
そんな細かなことで立ち止まってはいられない。
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