第62話 熱愛偽装作戦 下


 話に夢中になっていたら、ふとした拍子にドリンクの氷もすっかり溶けてしまっているのに気がついた。スマホを開いて時計を見ると午後1時をとうに回っている。

 ボクがスマホを覗くのを見て気がついたようで、つかさくんもテーブルに置いた彼のスマホで時間の経過を見て驚いていた。


「あれ、もうこんな時間だ」


「いつの間にか話し込んじゃったね。司くん、時間は大丈夫?」


「ああ、僕は大丈夫。それより優樹ゆうきさんの方こそ」


「ボクも大丈夫」


「そっか」


「そういえば、明日の文化祭の準備って何時からだっけ?」


「あー、えーとね……」


 彼の指はそのままスマホをタップして画面を切り替える。スケジュール帳だろうか。


「朝9時からになってるね」


「よし。時間間違ってなかった。そうすると司くんは何時のバスに乗る予定?」


坂東ばんどうのバス停で8時12分発かな」


 少し宙に目を泳がせて、思い出すような素振そぶりで答えた彼。

 ボクもちょっと目を泳がせて、そしてすぐ彼に目線を合わせて答える。


「じゃあ三丁目だと15分発か……うん。ボクもそれに乗ろう」


「え?」


 驚いた表情で固まる彼。

 対して、ねだるような目線を送るボク。


「え? もしかしてダメ?」


「いや、そんな事はないけど」


 そう言いつつもポリポリと頬を掻く彼。その目線は脇の方へ。

 ボクは少し眉をひそめて続きの言葉を放つ。


「だって、本当につき合ってるんだから良いよね?」


 最終的な彼の返事はなかったけれど、拒否してる感じもなかった……はずで。



§



 帰り道もまた同じバス。今度は二人並んで座ってる。

 彼とここまで近い距離に座るのは、男の子時代を含めても初めてだ。

 もっとドキドキするのかなと思っていたけれど、思ったよりも心は平静で。横目に映る彼もまた、普段と変わらない雰囲気で。


 『次は三丁目』とアナウンスが聞こえる。少し腰を浮かせて窓際の降車ボタンを押した、その途端。


「優樹さんの自宅まで送るよ」


 不意を突く申し出に慌てて振り向く。


「そんな、悪いって」


 残り少なかった呼気で一言、やっと絞り出した。

 不意を突いてきた本人はニコッと笑顔を見せていて、これはもう絶対曲げないヤツだと直感する。


「いいって。この間、送ってもらったお返しだよ」


 そう言われてしまうと返す言葉もなくなって。そうこうするうちにバスが停車した。

 下りなくちゃと彼に急かされてバタバタと歩道に降り立つ。

 路面からの照り返しがジリっと肌に刺さった。


「それじゃ、いえこっちだから」


 ボクはそう言って家の方向を指さす。彼は黙って頷くと、すぐ後ろから歩調を合わせてついてくる。

 バス道から外れて住宅街の奥へ進むこと3分ほど。何事もなく家の前までやって来た。


 ガレージに車の影は無い。今日はママもパパも仕事の日、二人とも帰ってくるにはまだ早い時間だった。


 玄関に続くアプローチの前に立つ。

 振り向いて、彼に声をかけた。


「ここがボクの家だよ。まだ暑いし、中で涼んでく?」


 家の様子を熟視していた彼だったけど、ボクの声に気がついて視線が戻ってきた。


「いや、ここからなら自分の家までもそんなにかからないし、遠慮しておくよ」


 ニコッと笑みを返してくる口元。


「そう」


「うん。それじゃまた、明日」


「うん。また明日」


 軽く手を振ってさよならを交わしたけど、なんとなく残る、寂しさの余韻。

 彼は時々こちらを振り返りながら去って行く。

 ボクはそれを見送ったあとも、なかなか玄関をくぐれずにいた。



§



 翌朝、予定通り8時15分のバスに乗ろうと玄関を出ると、バス停までの通り道に見慣れた影が立っていた。

 司くんだ。


 まさか待っているとは思っていなかったので、見つけた瞬間に心臓が飛び上がりそうになったけど、なんとか立ち直って歩みを進める。


「おはよう」


 先に声をかけてきたのは彼の方だった。


「おはよう、つ、司くん」


 下の名前で呼ぶのは、やっぱりまだなんとなくぎこちない。

 いやそれよりも、どうして今ここに彼がいるのか。並んで歩き始めてすぐに疑問をぶつけに行く。


「12分のバスに乗ってくるんじゃなかったの?」


「家を出たのがちょっと早過ぎちゃってね」


 さらりと言ってのけられた、とってつけたような言い訳。


「その理由はなんだかわざとらしいよ」


 横並びで歩きながらボクがそう指摘すると、彼はぷっと吹き出した。


「まいった。やっぱりダメかな」


「気持ちは分からなくもないし、家もそんなに遠くないからなのは分かるけど……。でもわざわざ寄ってもらうのはやっぱり申し訳なく思うし」


「無理はしてないんだけどね。それに、同じバスに乗るって言ってたからさ」


「あ……うん、そう、だね。待っててくれて素直に嬉しくはあるけど……。なんか、ね」


 確かに同じバスに乗ると宣言してたのはボクの方。ただそれは同じ時間に同じ方向へ移動するからって理由がメインで、ひとときでも彼と長くいたいとかいうのとは違ったはずなんだけど。


 うーん、ちょっと重い女の子って思われちゃったのかな?

 そんな事をぐるぐる考えていた。


「グイグイ来る彼氏はお好みじゃないのかな?」


「いやっ……そういう訳じゃ……ないんだけ、ど。なんか、意外って言うか。ちょっと驚いてるって言うか」


 ボクは誤解を拭い去りたくてかぶりを振る。

 その一方で少し悲しげにも見える彼の目。


「イメージ壊れちゃったかな」


「そんな事はない、よ」


「本当に?」


「ほんとうだよ」


 努めて明るく切り返した。


 イメージが壊れてないっていうのは本当のこと。男の子時代のことを思えば、二人でもっとやんちゃな事だってしていたのだから。

 でもボクが女の子として現れてからの彼は、そんなやんちゃな素振りをボクの前で見せたことはなかった訳で。だから不意を突かれたような気持ちになっていた。


 そのまま三丁目のバス停まで並んで歩いて、予定通りの駅行きバスに乗り込む。一人掛けのイスが一つだけ空いていて、当然のように二人で譲り合った。


「こういう時、男は立つものだから」


 彼はそう言うけど、ボクだってそんなに柔じゃないしとなかなか座らないでいたら、次のバス停で乗り込んできたお姉さんにあっさり座られてしまった。

 思わず彼と顔を見合わせて、吹き出しそうになるのをこらえながら、小さな声で。


「ごめん。片意地張らずにすぐ座っておけば良かったね」


 なんてしおらしい様子で、笑ったような困ったような表情を浮かべたら。


「まあ、こういう事もあるよね」


 ふてくされたような様子も見せずに、いつものにこやかさで彼も小さな声を返してくれた。本心は分からないけれど。


 駅で乗り換えた学校へ向かうバスは空いていて、まだ夏休み中だって事を思い出させてくれた。二人並んで席に座って、夏の朝日が浮き彫りにする、くっきりとした影絵の街を目に映しながら揺られていく。

 景色は普段と変わらないはずなのに、隣に司くんがいるだけで違う世界みたいに見えた。



§



 教室に入ってまず目に入ってきたのはいつものLTSGの顔ぶれ。司くんとのお付き合いを受けたことは彼女たちには昨夜のうちに伝えてあったけれど、それでもちょっと驚いた顔をされた。


「いやいや優樹ちゃんや、いきなり同伴登校とは」


 ボクは教室に入るや否や司くんの隣から引っぺがされて、めぐみちゃんに抱え込まれるようにLTSGの輪の中に引き込まれた。引き込まれつつもちらっと彼と目を合わせたけれど、彼は少し苦笑して手をひらひらさせているだけで追いかけては来ない。まあ、それは当たり前だよね。


 愛ちゃん、佳奈かなちゃん、史香ふみかちゃんに囲まれて口々に詰問されて、それに丁寧に答えていく。


「だから、司くんとは家の方向が同じなんだよ」


「だからっていきなり同伴まで発展するとか」


「だって家を出たら待ってたんだよ……。断れる訳ないじゃないか」


「おほー、彼氏熱入ってますねー」


「クールそうに見えてましたけど、宇佐美うさみ君なかなかやりますね」


「うん、ちょっと意外だったけど。でもそれも良いかなって」


「だめだー、もうすっかりできあがってるわこの子ー」


「しかもしれっと下の名前呼びだよ? この二日でどんだけだよ」


 そんな感じでわちゃわちゃと女子話が続く中、隙間から司くんの方を窺い見ると、あちらはあちらで園田そのだ君や立木ついき君たちに囲まれていた。

 そこからさらに視線をずらすと、机にがっくりと項垂れて伏せる男子がちょこちょこと見える。

 あれはもしかしなくても、ボクに気があった男子たちって事だとはすぐに気付いた。こればっかりはどうしようもない事だけど、彼らの心中は察するに余りある。本当に申し訳ありませんと、心の中で彼らに手を合わせた。


 さらに目配せをすると、舞浜まいはまグループに属する白馬はくばさんと瀬戸田せとださんはあんまり良い雰囲気を纏ってないのが見える。他に居合わせる女子は栗原くりはらグループって事になるけど、そちらは普段と変わりない雰囲気を出しているのと対照的だ。

 愛ちゃんがラインで言っていた通り、栗原グループはボクに敵対しないというのはどうやら本当のことらしいと、ここでやっと実感できた。


 当の舞浜さん本人は、今日はここに来ていない。彼女は演劇部所属なので文化祭では部活の方で舞台をやるとは聞いていた。だからクラスの出し物には最初からノータッチ。

 今日、この様子を彼女に直接見られなくて良かったと、ボクは人知れず胸をなで下ろす。


 そんなこんなでざわついていた教室だったけど、時間が来てクラス委員の相澤あいさわ君と栗原くりはらさんが登壇して声をかけ、文化祭の準備が始まった。

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