第61話 熱愛偽装作戦 中



 朝目覚めるとラインに宇佐美うさみくんからのメッセージが入っていた。


<朝早くからごめん。あれから考えてたんだけど、やっぱり直に会って話をしたいと思います。連絡を下さい)


 ボクはベッドに潜り込んだまま返事を送る。すると程なくして返事が来た。


<今日の午前11時、駅西バス停のモニュメント前で待ちます)


 現在の時刻は朝7時半過ぎ、時間は十分ある。ボクはいつも通りに朝の支度を始めた。


 ダイニングで朝食を普段通り家族3人でとる。その席上、ボクは両親に今日の予定を伝えた。


「今日、お昼前に宇佐美くんと会ってくるね」


 パパもママも特に異を唱えることはなかった。彼なら問題ないと踏んでいるのかな。ボクたちの関係が認められているのは嬉しいことではあるのだけど。

 

 そして時計の針は進んで、約束の時刻まであと1時間を切った。


 家を出て、バス停に向けて歩く。

 夏休みも終盤になったけど、日が高くなるとまだまだ残暑が厳しい。時間通りに来たバスに乗り込むと、やはりというか、宇佐美くんが後ろの方の席に座っていた。


「やあ」


 すぐに目が合って、彼が声を掛けてきた。ボクは彼の一列前に座る。

 すぐに半身になって、彼に目線を配りつつ口を開いた。


「なんとなく、同じバスかなって思ってました」


 彼も同じ事を考えていたんだろう。口元にほのかな含み笑いが見えた。


「同じ方向からだから、やっぱりそうなるよね」


「ですよね」


 彼が顔を寄せて来た。そして他の乗客の耳に届かないような抑えた声を出す。ボクもそれに釣られて小声になった。

 含み笑いはいつの間にかすっかり消え失せて、キリッとしたいつもの眉。


「急に呼び立ててごめん。今日は大事な話をしたくて」


「昨夜の続き……って事で良いのかな?」


「そうだね……」


 昨日の話の続きで、明けて今日。大体話の内容は察しが付くけれど。

 でも車内ではそれについての話はせずにいた。ボクも、彼も。

 話題は夏休みの課題だとか文化祭のことだとかで、なんとなく重い空気をしばしの間二人とも忘れていたいかのようで。


 バスは駅西口に到着する。そのまま二人、待ち合わせ場所を通り過ぎて歩いていく。

 彼が前、ボクはその左斜め後ろ。


 いつもよりややゆっくりとした歩調で商店街の方へ進む。

 先に口を開いたのは彼だった。


「今から、少し僕に付き合って欲しいんだ」


 ボクの方に軽く振り向いたその目に、一も二もなく頷き返した。



§



 夏の暑さに包まれたアーケードの端の方まで歩いてきた。ここら辺りまで来ると商店街の人通りもまばらになって来る。


「その先に見えるオレンジ色がお店だから」


 彼がそう指さした先には、言葉通りの色に光るカフェの看板が立っていた。


 彼がドアを開けた。そのまま片手でホールドして、ボクを招き入れる。


 開店したばかりの店内はまだ他の客もまばらで、お好きな席にどうぞと案内された。彼は少し奥まった席へボクをエスコートする。


「もうお昼だね。何か食べてく?」


 向かいの席から、彼が開いたメニューブック越しに尋ねてきた。


「そうですね。ちょっとお腹も空いてきたし」


 断る理由もないボクは軽く頷いた。


 二人揃って注文したのはスパゲッティカルボナーラ。店員さんがテーブルから去ったとたんに、ボクたちの周りには奇妙な静寂が取り囲む。


「それで、今日話しておきたい事ってなんだった?」


 ボクはなるべく柔和な表情を見せつつ宇佐美くんに問いかけた。


 実際のところ、彼がこの場でこのタイミングでボクに伝えたいことは多分一つしかない。

 そしてボクの問いかけに対して彼が今、緊張の度合いを増していることは、いかに鈍いボクといえども感じ取ることはできている訳で。


 テーブルの上に両肘を乗せて、彼はやや前のめりの姿勢で訥々と話し始めた。


「……うん、実はその、舞浜まいはまさんの事とか関係なくね、あの、財部たからべさんときちんとお付き合いしたいと思っていて、僕は。なので」


 普段の彼からは想像しがたいほどぎこちない告白。

 パークで見せていた大人びた雰囲気からはかけ離れて、歳相応に見える初心うぶな態度を見せる彼を目の当たりにして、ボクは一つ安心している。


 彼は特別で完璧な人間なのではなくて、普通の高校生男子なんだって。


 彼が勇気を振り絞って告白したからには、ボクも真摯にそれを受け止める義務がある。もちろんその言葉は定まっていて、とうの昔に。

 ただ、それがLoveなのかLikeなのか、まだ自分の中ではっきりしていないのだけど。


 とは言うものの、彼が緊張していたようにボクもそれなりに緊張してるわけで……。


「ボ、ボクも、宇佐美くんの事は以前から好きなので。あの、こちらこそ舞浜さんのことは抜きにして、よろしくお願いします」


 少し背を丸めて、やや俯いたまま。ついついボソリと普段みたいにボクと言ってしまった。


「……あ」


 気づいたときにはもう遅い。

 そのまま言いよどんでしまって、俯いたまま顔を上げられない。果たして彼はどんな顔をしてこちらを見ているのか。


 永遠にも感じる瞬間を打ち破る声がすぐに聞こえた。


「……なんだかホッとした」


 ボクの予想に全くない台詞。意外な一言に釣られるように、顔を上げて彼をまじまじと見つめる。

 目に映るのは、にこやかな彼の顔。


「今まで僕と話すときはなんだか言葉遣いが妙に丁寧だったから、ちょっと気になってたんだ。

 やっと地を出してくれたみたいで安心した」


「……え、あの、その」


 恥ずかしさで頬が熱くなるのが分かる。

 ボクと言ってしまったこともそうだけど、彼にこれまでボクの様子をつぶさに観察されていた事に。

 同時に、さすがは宇佐美くんだとも思う。ボクの知る彼はいつも冷静に物事を捉えていた。ここでも、やはりそれは変わらない。


「まいりました」


 思わずそう呟いて、テーブルにおでこを乗せる。


「いや、そんなつもりじゃなかったんだけどな。顔を上げてよ」


 促されるまま、おずおずと顔を上げる。

 普段通りの屈託のない笑顔。この人相手に体裁を繕うことなんてやっぱりできないね。


 そんなやりとりをしていたら、ちょうど注文したスパゲッティが運ばれてきた。

 それぞれにフォークを構えて食べ始める。しばらくは彼も黙々と食べていたけど、半分ぐらいに減ったところで思い出したように問いかけがあった。


「それでさ、財部さん」


 食べかけの一口を急いで飲み込んで短く答える。


「は、はい」


「まずはお互いの呼び方から、変えていこうと思うんだけど。どうかな?」


「え、と。それって例えば、お互い呼び捨てでとかそんな感じ?」


「そう、だね」


 えーと、次からは宇佐美くんの下の名前、つかさって呼び捨てにしていいよって事なのかな。司、司、司……うう、なんだか恥ずかしいよこれ。

 多分ボクの頬はまた赤くなってる。

 

 フォークを持つ手が止まってフリーズしてしまった。そこでちらっと彼の顔色を窺うと、彼もやっぱりフリーズしてる。


 提案した彼本人がフリーズしてるんだから仕方がないよねと思い直して、おそるおそる妥協案を提示してみた。


「……あの、いきなり呼び捨ては多分難しいと思うから、その、できる範囲でって事にしときません?」


「そうだね。うん、やっぱりいきなりは……難しいよね」


 ボクの提案を受けて、緊張していた空気が少しほぐれた。とりあえずお互いに名字呼びはなるべく避けようって事になって、ボクからは司くん、彼からは優樹ゆうきさんとそれぞれ呼ぶことになった。



§



 食後の飲み物をいただきながら、引き続き舞浜さん対策について話をしたけれど、特別に何かをやるっていう訳でもなく。

 普通のカップルと同じでなるべくお互い傍にいること。それから、何かあったらすぐ連絡を取り合うようにしようと約束する。


 彼は一学期からこちら、彼女にどういった事をされていたかというのを詳しく話してくれた。

 ボクもプールで起きた事件のことを話す。

 案の定その内容に彼は絶句していた。


「……そんな事があったんだ。怖いね」


「うん。だから司くんから今回の話が来たときに、結構悩んだんだ。巻き込んじゃうかもって」


「心配してくれてありがとう。今日からは、僕もいるからね。至らないこともあるかも知れないけど」


 そう言って身を乗り出してくる彼の目は真剣そのものだ。それに対してボクは微笑みと共に言葉を返した。


「ありがとう。司くんがいてくれれば心強いよ。それにめぐみちゃん達のバックアップもあるし。だからもう、大丈夫」


「それにしても、舞浜さんの一味はとんでもないね」


「舞浜さん本人が手を出してくる訳じゃないから、本人の指示なのか、それとも取り巻きの勇み足なのか分からないけどね」


「いずれにしても彼女たちは要注意だね」


「うん」


 そのあとも話は続いて、学校のこととか、一学期の成績のこととかに至る。


 中学時代のことも尋ねられて、ボクは架空の聖ジュリア学園の話を即興で語るはめになった。あとで玲亜ちゃんと話のすり合わせをしないとマズいことになりそうだ。

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