第58話 真夏のカップル
「あ、飛行機だ。近いね」
「え? どこ?」
「ほら、左後ろの方」
思わず高めのトーンで声を上げて。そして言われたとおりに顔を向けると、手の届きそうな高さに青い尾翼のジェット機が思いの外のんびりと空を泳いでいた。
「驚いた。こんな近くを飛ぶんだ」
思わず素に戻ったボクの声。
「飛行機は風上に向かう方が着陸しやすくて、夏場は海から南風が吹くからね。だから北回りのこのコースで飛ぶんだろうね」
「よく知ってるね」
「小さい頃によく読んだ本の受け売りだけどね」
少し決まり悪そうに頭を掻く彼。
そんな彼の背後を進むジェット機を目で追いかけると、観覧車を巻き込むようなルートで海に向かって下りていく。その先の遙か遠くに平らな島からちょこんと飛び出たビルが一つ。
「あ、あそこが空港かな?」
ボクが指を差してそんな声を上げると、今度は彼が体を捻る。
「ああ、そうかも知れないね」
のんびり飛んでいるように見えたけど、ジェット機はもう空港の直前まで飛んでいて、見る間に高度を下げて行く。
思わず着地のカウントを数える。
「3・2・1、ターッチダウン!」
その瞬間をボクの目はくっきりと捉えていた。
「すごく遠いのによく見えるね」
彼が驚いた様子を見せた。確かにここからだと空港は見えても、着陸の瞬間は普通の人じゃ見えなかったかもしれない。
「あ、目は良い方なの、で」
不審に思われることはないだろうけど少し焦る。それを感じさせないようにはにかんだ表情を返した。
でも彼は特段疑うような素振りを見せることもなくて、そのままスルーして話が続く。
「そうなんだ。
宇佐美くんがボクに向き直って尋ねてきた。表情はまた柔らかい。
「え? ど、どうかな……」
「なんだか今すごく楽しそうだったからね」
「そ、そう?」
当たり障りのないように答えようとするけど、内心はもうドキドキだ。
確かに男の子の頃は乗り物全般が好きだった。特に飛行機が好きで、パイロットになりたいとか将来の夢で発表したこともあったっけと今さら思い出す。
「ちょっと意外だったなと思ってね。あ、別に変だとか言いたい訳じゃなくてね」
「意外、ですか……」
「好きなものは性別とか関係ないしね」
そんな事を言う彼は相変わらず穏やかな様子でいるけれど、窓越しの光に照らされてますます眩しく感じられる。ボクがまともにその顔を見られなくなってしまったところで、ちょうど周回を終えた観覧車はカゴのドアが開け放たれた。
容赦ない熱気が襲いかかって来て、ボクたちは天国から灼熱の地獄へ。でもなんとなくすっきりとした心持ちで観覧車を後にした。
そのあとも、宇佐美くんと二人でパークを巡る。
アトラクションに乗ったり、歩き回ったり、水分補給をしたりを繰り返しつつ、熱い空気の中を存分に回遊する。端々で彼の見せる気遣いは、どうかすると年齢に不似合いなくらい大人びた気配を感じさせる。その上話をしているうちに意見が合うところも見つかって、彼と一緒にいる事に慣れてきたボクがいた。
話をすればするほど、彼はボクのよく知っていた宇佐美くんそのものだった。
ボクがいなかった部分の影響を特段感じることはできなくて、男の子時代のボクという存在は彼にあまり影響を及ぼしていなかったのかななんて、却って微妙な気持ちが芽生えてしまったりもしたけど。
§
そして気がつくとみんなで約束した集合時間が近づいてきた。二人並んでゆっくりと今朝入ってきたゲートに戻る。
パークのゲートには
ボクたち二人が近づいてくるのに気づいた愛ちゃんだけど、声を上げようとして止める素振りをする。なんだか少しニヤリと笑ってる? 怪訝に思いながら近づくと、彼女の方から耳打ちしてきた。
「まるで恋人みたいな距離感ではないかね優樹ちゃんや」
思いもしなかったその指摘に固まるボク。ボク自身は宇佐美くんにくっついていた感覚はなかったのだけど、他の人からはすっかり恋人同士に見られていたようだった。今更恥ずかしがっても仕方のない事だけど、気付かされてしまうとどうしようもなく胸が高鳴る。
宇佐美くんは男子組の方に固まっていて、ボクのそんな様子に気付いていないようなのがせめてもの救いだった。
ボクたちの後すぐに佳奈ちゃん組も合流してきた。
8人揃ったところで、アウトレットへ一緒に歩いて移動を始める。
このあとお昼をみんなで食べて、それからはまた別行動になる。フィナーレを飾る花火は夜8時から20分間の予定で、それが済んだらこのバス乗り場に集合するようにと立木君から説明があった。
§
お昼ご飯を終えて、パークでの組が再びそれぞれに散っていく。
気がつくと他の6人はすっかり見えなくなってしまって、またもや宇佐美くんと二人きりになっていた。
アウトレットを二人で見て回るは良いものの、はたと困った。ボクは普通の女の子のファッションは未だに良く分かってなくて、今でも服はほとんどママの意見で選んでるくらいだ。コスメが分かるわけでもないし、アクセサリーにもまだまだ目が届かない。
「とりあえずぶらぶら散歩しようか」
動けないボクを促すように、彼のエスコートで夏デート第二段が始まった。
パークにいるときは気がつかなかったけど、並んで歩く宇佐美くんの目線はボクのそれよりも明らかに上にある。4月、女の子になる前も彼の方が少しだけ背が高かったけど、その頃よりも今はもっと上に行っている気がした。この3ヶ月ちょっとの間に彼の背はずいぶんと伸びたみたいだ。
ボクは大きく変わってしまったけれど、彼もまた変わって行くんだね。当たり前のことだけど。
時々ショーウインドーを覗きながら二階の通路を歩いていたら、一階通路の一角に人垣を見つけた。時折拍手が沸き起こるので、なにかパフォーマンスでもやっているに違いなかった。
「人が集まってる。何かやってるのかな?」
ボクがそんな事を呟くと、彼も興味があるようで。
「どうだろう。上から覗けるかな? 行ってみよう」
そう言って二人同時に少し早足になる。見えてきたのはイベントエリアに広がったドーナツ状の人垣。人垣の真ん中では男性のパフォーマーが2人いて、その一人がぽいぽいと軽妙なテンポで色々な物を放り上げていた。
「あれはジャグリングだね」
宇佐美くんがいち早く気づいて教えてくれる。
「すごく器用だよね、あんなシーソーの上でバランス取りながら」
「そうだね、バランス取るだけでも大変だと思うのに」
横倒しの円柱の上に板を渡して、その上で一人のパフォーマーがバランスを取りながらジャグリングを披露している。もう一人はそのパフォーマーにアイテムを渡したりする役。
色々な物をお手玉にしているけど、段々とジャグリングにはあり得ないような物まで使い始めた。新しい物が飛び始めるたびに歓声が上がるけど、最後にとうとう松明を手にしたときにはさすがに悲鳴が上がった。
ボクも宇佐美くんも言葉を忘れて見入る。
果たして火傷はしないのかとか、すっぽ抜けて観客に向かって飛んでいったりはしないのかとか、見ていて心配にはなったけど、最後はアシスタントと二人並んで両手に松明を掲げたまま深々と一礼。
その様子に観客からは盛大な拍手喝采を浴びて、パフォーマンスはフィナーレを迎えた。
ボクも思わず拍手を贈る、隣では宇佐美くんも同じく拍手をしていた。
「最後の松明、凄かったね。何か起こらないかずっとヒヤヒヤしてた」
まだ拍手の続く中、ボクは宇佐美くんに向けてそんな感想を呟いた。
「僕もだよ。でも自信と腕があるからできるんだろうね」
すると目の前にカゴがぬっと現れた。一瞬何事が起こったのか分からなかったけど、長い竿の先に付いたカゴを二階のボクたちの前まで差し出しているパフォーマーさんと目が合った。
「お気に召したらどうぞおひねりを、って事だろうね」
宇佐美くんがそう言いつつ僕に千円札を渡してきた。
「これを出してあげてよ。なるべくニッコリ微笑んでね」
微笑むことに意味があるのかどうか分からなかったけど、ボクは彼に言われた通りに満面の笑みをパフォーマーの男性に向けながら、そのお札をカゴに差し入れる。
そして少し大きく手を振ると、男性は恭しくお辞儀を返してきた。その様子を見て観客がまた拍手を打ち鳴らす。なんだかボクもパフォーマーの一員になったみたいで少し良い気分になった。
かごが下がっていくのを見て、ボクは宇佐美くんにそっと耳打つ。
「ありがとう。わたしも半分出すから」
彼はそんなの良いってと言ったけど、こういうのは折半した方が良い気分も分け合えるんだよと言っておいた。
§
長く中天で睨みを利かせていた夏の太陽も沈んで、空は紺色に染まる。アウトレットの人混みも少し落ち着いて来たようだけど、それでもまだまだ人は多い。
通路に掲げられている時計を見るともう7時半過ぎ。モールの二階はいつの間にか花火を見ようとする人で溢れていた。
「わ、もうあんなに人がいるよ。宇佐美くん、早く上がらないと」
「財部さん、慌てると危ないよ」
気付けばボクが前を歩いて、彼が少し後ろを付いてくる感じに立場が逆転していた。一日一緒にいて、それなりにたくさん話もして、変わらない宇佐美くんに安心して、彼の変わっていく部分にも気がついて、それでボクの心も整理が付いて。これからボクが向かうべき方角が定まったような気がしていた、なんとなく、だけどね。
だからかもしれない、朝に比べて分かるほどボク自身に自信があるし、大胆だ。
人混みの中、なんとか場所を見つけて滑り込む。宇佐美くんと並んで見る花火はとても綺麗だった。今年というボクの中でも特別な一年の内でも、更に特別な思い出として残りそうな予感がした。
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